サウスダコタ (戦艦)

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USS South Dakota (BB-57) anchored in Hvalfjörður, Iceland, on 24 June 1943 (NH 97265).jpg
艦歴
発注 1938年12月15日
起工 1939年7月5日
進水 1941年6月7日
就役 1942年3月20日
退役 1947年1月31日
その後 スクラップとして売却
性能諸元
排水量 基準:38,000トン[1]、満載:44,374トン
全長 207.36m
全幅 32.95m
吃水 10.35m
機関 蒸気タービン4機4軸 130,000 馬力(97 MW)
最大速 27.8ノット
航続力 15ノットで15,000浬[2]
乗員 士官・兵員:1,793名[2](戦時2,364名)
兵装 45口径40.6cm砲:9門
38口径12.7cm砲:16門
56口径40mm対空砲:68門
70口径20mm対空砲:76門

サウスダコタUSS South Dakota, BB-57)は、アメリカ海軍戦艦[3]サウスダコタ級戦艦ネームシップ[4] 。艦名はアメリカ合衆国40番目の州に因む。その名を持つ艦としてはペンシルベニア級装甲巡洋艦サウスダコタ[注 1]に続いて2隻目にあたる[注 2]

「戦艦X」(Battleship X)、「ブラック・プリンス」(Black Prince)、「オールド・ネームレス」(Old Nameless)、艦名を縮めた「SoDak」などの愛称があった[5]

概要[編集]

戦艦サウスダコタ(USS South Dakota, BB-57)は、アメリカ海軍が太平洋戦争で運用した戦艦で、サウスダコタ級戦艦の1番艦[1]。45口径40.6㎝三連装砲塔3基を搭載し、同クラス砲に対応した防禦力をバイタルパート方式で確保、38口径12.7㎝連装両用砲塔4基8門と各種対空機銃を装備、同世代の大和型戦艦[6]に匹敵する速力27ノットを発揮できた[7][注 3]1942年(昭和17年)3月に竣工後[8]、同年10月下旬の南太平洋海戦で初陣を飾り[9]、猛烈な対空砲火で空母エンタープライズを掩護した[10]。つづいて11月中旬の第三次ソロモン海戦に参加、リー提督が指揮する第64任務部隊(戦艦ワシントン、サウスダコタ、駆逐艦4隻)として日本軍のヘンダーソン飛行場砲撃部隊をサボ島ガダルカナル島近海で邀撃し[注 4]、11月14日から15日にかけての夜間砲戦で被害を受ける[13]。損傷は艦上部構造物にとどまり、重要区画は無事だった[1]

損傷修理後、1943年(昭和18年)6月から7月にかけて大西洋で行動した[14]。9月から太平洋に戻り、機動部隊の支援作戦に従事した[14]。1944年(昭和19年)6月19日、マリアナ沖海戦で爆撃を受け損傷した[14]。10月以降はレイテ沖海戦に参戦、1945年(昭和20年)2月の硫黄島攻略戦、3月以降の沖縄攻略戦に参加[14]。7月には日本本土近海で行動し、釜石艦砲射撃静岡県浜松市への艦砲射撃をおこなった[14]。太平洋戦争終結から間もなくして予備艦となり、現役に戻ることなく解体された。

艦歴[編集]

実戦参加まで[編集]

アメリカ海軍は日本海軍の新型戦艦(大和型戦艦)について情報収集をおこない、ノースカロライナ級戦艦の設計をあらためてサウスダコタ級戦艦を建造することになった[15][16]。サウスダコタは同級の1番艦として、1939年(昭和14年)7月5日にニュージャージー州カムデンニューヨーク造船所で起工した[3]。1941年(昭和16年)6月7日にハーラン・J・ブッシュフィールド夫人によって命名、進水。1942年(昭和17年)3月20日[1]、初代艦長トーマス・L・ギャッチ英語版大佐の指揮下就役した。 フィラデルフィアでの艤装完了後、サウスダコタは6月3日から7月26日まで整調訓練を行った。8月16日にフィラデルフィア海軍工廠を出航、パナマに向かった。8月21日にパナマ運河を通過し、トンガヌクアロファに9月4日到着した。その二日後、ラハイ水道で海図にない暗礁に衝突し船体に大きな損傷を受けた。工作艦ヴェスタル(USS Vestal, AR-4)から応急修理を受けた後、9月12日に真珠湾へ向かい補修を受けた。9月15日、ソロモン海で行動中のアメリカ軍機動部隊を伊19が襲撃し、空母ワスプと駆逐艦オブライエンが沈没、戦艦ノースカロライナが中破して長期修理を余儀なくされた[17][18]。姉妹艦ノースカロライナの離脱により、ノースカロライナ級戦艦2番艦のワシントンは、異なる形式のサウスダコタと行動を共にすることになった[19]

実戦投入されることになったサウスダコタには、年齢を偽って志願した12歳のカルビン・グラハム英語版も乗艦していた。サウスダコタは10月12日に出港し、空母エンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)を中心とした第16任務部隊と共に訓練を行った[注 5]。同部隊は10月16日に真珠湾で再編され、空母ホーネット(USS Hornet, CV-8)を中心とした第17任務部隊英語版と共に、エスピリトゥサント島の北東において10月24日に集結した[22]トーマス・C・キンケイド少将の第61任務部隊は、空母2隻(ホーネット、エンタープライズ)、戦艦1隻(サウスダコタ)、巡洋艦6隻、駆逐艦14隻になった[23]。本艦と同世代艦であった大和型戦艦大和[24]、連合艦隊司令長官山本五十六長官の旗艦としてトラック泊地から動かなかった[25]

南太平洋海戦[編集]

南太平洋海戦でのサウスダコタ。九七艦攻は既に魚雷を投下している[26]

ニューカレドニアヌーメアでは、新任の南太平洋部隊指揮官ウィリアム・ハルゼー・ジュニア中将が麾下のアメリカ軍機動部隊に対し、サンタクルーズ諸島からガダルカナル島にかけてのソロモン海の安全を確保するよう命じた[27]。すなわち、ガ島の日本陸軍がヘンダーソン飛行場に総攻撃をおこなうので、この支援のためガ島に接近する日本艦隊(近藤信竹中将の前進部隊、南雲忠一中将の機動部隊)を阻止する任務を与えた[28]ウィリス・A・リー提督が指揮する第64任務部隊(戦艦ワシントン、重巡サンフランシスコ、軽巡ヘレナ、軽巡アトランタ、駆逐艦6隻)には、日本軍のガダルカナル島増援部隊を砲撃で阻止するよう命じた[27]。キンケイド提督の第61任務部隊英語版(第16任務部隊、第17任務部隊)に、ガダルカナル北東海面に進出するよう命じた[27][29]10月25日正午、PBYカタリナ飛行艇が日本の空母機動部隊を発見した[30]。第61任務部隊は攻撃隊を発進したが、空振りにおわった[31]

10月26日未明、ヌデニ島を発進したアメリカ軍のPBY飛行艇が南雲機動部隊を爆撃したが[32]、被害はなかった[33][34]。 同日26日午前5時(日本時間)、翔鶴索敵機は第61任務部隊を発見し、午前6時に第一航空戦隊翔鶴瑞鶴瑞鳳)は攻撃隊を発進させた[35][36]。またエンタープライズから索敵として出撃したSBDドーントレスが一航戦を発見、このうち2機が軽空母瑞鳳を爆撃して中破させた[37][38]。ここに南太平洋海戦の火蓋が切られた[32]。第61任務部隊は二つの集団にわかれており、航空戦が始まったときキンケイド提督直率の第16任務部隊(空母エンタープライズ、戦艦サウスダコタ、重巡ポートランド、軽巡サン・ファン、駆逐艦8隻)は、ジョージ・D・マレー少将が指揮する第17任務部隊(空母ホーネット、重巡ノーザンプトンペンサコラ、軽巡サン・ディエゴジュノー、駆逐艦6)からおよそ20km離れた海域にいた。

一航戦の第一次攻撃隊はスコールの中にあったエンタープライズ隊をやりすごし、青天下のホーネット隊に攻撃を集中した[39]。爆弾と魚雷の命中によりホーネットは炎上して傾斜した[40]。F4Fの邀撃と各艦の対空砲火で一航戦第一次攻撃隊は大きな被害を受け、攻撃隊指揮官村田重治少佐(翔鶴飛行隊長)も戦死した[41][42]

続いて一航戦の第二次攻撃隊(0610分発進の翔鶴隊〈零戦5、艦爆19、触接艦攻1〉、0645発進の瑞鶴隊〈零戦4、艦攻16、触接艦攻1〉)が日本時間8時20分から午前9時の間に到達し、健在の第16任務部隊(エンタープライズ、サウスダコタ、ポートランドほか)を狙った[43][44]。米軍時間9時50分、エンタープライズのレーダーは接近する日本軍攻撃隊を探知した[45]。サウスダコタはエンタープライズのそばで対空砲撃を行った。『ニミッツの太平洋海戦史』では「戦艦「サウス・ダコタ」の対空砲火が正確で猛烈をきわめたため、「エンタープライズ」の損害は飛行甲板に三個の爆弾を受けたにすぎなかった。」と記述している[10]。翔鶴隊(爆撃)は「敵航空母艦一隻爆撃六弾命中、続イテ攻撃セル瑞鶴艦攻隊ノ成果ト相俟テ之ヲ撃沈ス 駆逐艦一隻大破炎上 敵機一機撃墜」、瑞鶴隊(雷撃)は「航空母艦一(エンタープライズ型)撃沈、戦艦一(サウスダコタ型)轟沈、巡洋艦一(艦型不詳)撃沈、駆逐艦一大破 敵機八機撃墜」、制空隊は敵戦闘機4・艦爆1機撃墜と報告した[46]。一航戦第二次攻撃隊損害は、喪失(零戦1、艦爆10、艦攻9)、不時着(零戦1、艦爆2、艦攻1)であった[46]。 実際の戦果/被害は、エンタープライズが中破、重巡洋艦ポートランドに魚雷3本命中(不発)[注 6]、駆逐艦スミス英語版が被弾機に突入された[51]

つづいて日本の攻撃第3波が12:30(日本時間午前9時30分)に襲来し、サウスダコタは九九式艦上爆撃機に襲われた[52]。ホーネットが着艦不能となったので、エンタープライズは2隻分の艦上機を受け入れていた[53]。サウスダコタはレーダーで疑わしい目標を探知、エンタープライズに着艦しようとしていた味方機を誤射した[53]。エンタープライズは「周辺に所属不明機なし」と通知した[53]。直後、日本軍攻撃隊が低い雲をついて攻撃を開始した[53]。 この攻撃隊は、第二航空戦隊(司令官角田覚治少将)の空母「隼鷹[54]から飛来した志賀淑雄大尉が率いる二航戦第一次攻撃隊29機(零戦12、艦爆17)であった[55][56]。雲高3500メートル、雲底500メートルと視界が悪く、空母を発見できなかった部隊は周囲の護衛艦艇を攻撃した[57][58]。サウスダコタは一番主砲塔上に250kg爆弾の直撃を受け、49名が負傷した[59]。ほとんど損傷がなかったにもかかわらず、動揺した士官が操舵系を無断で第2戦闘指揮所に切り換えたため数分間操艦不能となり、結果サウスダコタは空母エンタープライズに突進した[59]。この時はエンタープライズが4万トンの戦艦を回避し、大惨事をまぬかれた[59]。二航戦第一次攻撃隊は空母に命中弾3発、大型巡洋艦に命中弾1、軽巡に命中弾2、敵機12撃墜を報告した[55]。日本側は艦爆11(自爆9、不時着2)を喪失した[55]。実際には、エンタープライズに至近弾、サウスダコタに命中弾1、軽巡サン・ファンに命中弾があった[53][60]

これ以降、エンタープライズとサウスダコタは、炎上したホーネットと曳航役の一部艦艇を戦場に残して避退した[61]。アメリカ艦隊はニューカレドニアヌーメアに退いた。連合軍はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地を引き続き保持し[62]エスピリッツサント島の航空基地と共に拠点の強化をすすめた[63]。本海戦で、サウスダコタは日本機26機の撃墜を記録した[51]。しかしサウスダコタのピート・パブリック対空射撃指揮官は、戦艦ワシントンのスコッティ・キャンベル対空射撃指揮官に「個々の撃墜申告を合計しただけ」と2人きりの場所で打ち明けている[64]。 10月30日の04:14、サウスダコタは駆逐艦マハン(USS Mahan, DD-364)と衝突、マハンは船首が曲がり構造材が大破した。また、火災は直ちに鎮火され両艦はヌーメアに帰還し、サウスダコタは再び工作艦ヴェスタルから補修を受けた。この頃、サウスダコタは「艦隊の疫病神」であるという評判が立っていたという[65]

南太平洋海戦における日本軍の大本営発表では「空母4隻、戦艦1隻、艦型未詳1隻撃沈/戦艦1隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻中破、敵機200以上撃墜/我方空母2隻、巡洋艦1隻小破、未帰還40数機」だったももの[66]、アメリカ側は空母ホーネット[注 7]と駆逐艦ポーターが沈没、空母エンタープライズ、戦艦サウスダコタ、軽巡サンファン、駆逐艦2隻が損傷した[70][71]。日本側は空母翔鶴瑞鳳および重巡筑摩、駆逐艦照月(27日未明、夜間空襲)が損傷し[66]、航空隊の損害も甚大であった[72]。11月上旬の戦果訂正では、空母3隻(ホーネット、エンタープライズ、大型空母〈サラトガ疑いあり〉)、戦艦サウスダコタ、巡洋艦3隻と駆逐艦1隻撃沈、巡洋艦3隻と駆逐艦3隻撃破、敵機喪失200以上となった[73]

第三次ソロモン海戦[編集]

11月11日、サウスダコタはキンケイド提督が指揮する第16任務部隊の一部として、ヌーメアからガダルカナル島にむけ出撃した[11]。空母エンタープライズは損傷状態のまま工作艦ヴェスタル関係者をのせて出撃し、ガダルカナル島南方からアメリカ軍輸送船団を支援することになった[74]。戦艦ワシントンとサウスダコタ、重巡ペンサコーラノーザンプトンは、エンタープライズの護衛を命じられていた[75]。エンタープライズはヘンダーソン飛行場に航空隊をおくりこみ、11月12日深夜から11月13日未明にかけての第三次ソロモン海戦(第一夜戦)[76]で損傷した戦艦比叡に致命傷を与えた[77][78]。 翌14日もヘンダーソン基地の従来航空戦力と協同で作戦をおこない[79]、第二水雷戦隊が護衛する輸送船団に大損害を与えた[注 8]。 また飛行場砲撃部隊を支援していた重巡衣笠を撃沈した[注 9]

11月13日、サウスダコタはウィリス・A・リー少将率いる第64任務部隊に合流した。11月14日午後3時40分[81]、ハルゼー提督はリー少将が指揮する戦艦2隻と駆逐艦4隻をエンタープライズの護衛からのぞき、サボ島の南で日本艦隊を待ち伏せするよう命じた[82]。航空機や潜水艦の索敵により、南下してくる日本艦隊を捉えたのである[83]。 リー少将が指揮する第64任務部隊は、ノースカロライナ級戦艦ワシントン(USS Washington, BB-56)、サウスダコタ級戦艦サウスダコタ、駆逐艦プレストン英語版(USS Preston, DD-379)、ウォーク英語版(USS Walke, DD-418)、ベンハム(USS Benham, DD-397)、グウィン(USS Gwin, DD-433)であった[11][84][13]。 同日23:30、第64任務部隊はガダルカナル島から南西90kmの水域を遊弋し、サボ島沖を00:30から02:30の間に通過するという日本艦隊を待ち受けた(第三次ソロモン海戦)。この艦隊は前進部隊指揮官(第二艦隊司令長官近藤信竹中将、旗艦「愛宕」)が率いるヘンダーソン飛行場砲撃部隊と、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将(旗艦「早潮」)が指揮する日本陸軍第38師団を乗せた日本軍輸送船団であった[85][注 10]。リー提督は、飛行場砲撃隊を片付けたあと、日本軍輸送船団を「処分」しようと考えていた[87]。 一方、日本側哨戒機は「サボ島近海に巡洋艦2隻、駆逐艦4隻あり」と報告した[88][89]

近藤提督の部隊は全14隻から成り[90][91]、三つに分割されていた[92][93]。14日午前8時30分発令の兵力部署では飛行場射撃隊、直衛隊、掃討隊にわかれていたが[94][95]、交戦直前に若干の指揮系統・部隊編成変更[96]、陣形変更があった[80][注 11]

第64任務部隊と交戦時の近藤部隊は、第十戦隊司令官木村進少将が率いる前衛隊(軽巡洋艦〈長良〉、駆逐艦〈初雪白雪五月雨〉)、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将が率いる掃討隊(軽巡洋艦川内、第19駆逐隊〈浦波敷波綾波〉)、近藤長官(旗艦愛宕)直率の主隊(高雄型重巡洋艦愛宕高雄〉、金剛型戦艦霧島、朝潮型駆逐艦〈第四水雷戦隊旗艦〉[99]朝雲[注 12]、秋月型駆逐艦照月[注 13])であった[100] [注 14]

まず三水戦(掃討隊)が先行し、3隻(川内、浦波、敷波)がサボ島東側を、「綾波」が単艦でサボ島西側を南下した[注 15]

七日月に照らされた海面は[99][102]、視界良好であった[103][104]。サボ島の南東約20km地点で[105]、サウスダコタの艦橋からおよそ18,100ヤード(16.6 km)の距離に日本側三隻を視認できた。日本時間21時14分、敷波が第64任務部隊の艦影をとらえた[106]。日本時間21時17分、ワシントンが戦艦か巡洋艦と思われる先導艦(軽巡洋艦「川内」)に対して砲撃を開始し[107]、1分後にサウスダコタも主砲により単縦陣の2隻目を砲撃した[108]。日本時間21時19分、浦波は「敵ハ砲撃ヲ開始セリ」と報じた[109]。ワシントンとサウスダコタの射撃は目標に命中したと判定され、サウスダコタは一方の目標にレーダースクリーンから光点が消滅するまで砲撃を続行したが[110]、掃討隊3隻は特に損傷もなく煙幕を展開して北方に避退した[111]。誤認戦果であったが、リー部隊は日本側の前路掃討隊を撃退した[112]。掃討隊は「重巡2、駆逐艦4」と通報し[101]、相手が戦艦であることに気付いていなかった[103]

短い凪があり、レーダーは4隻の敵艦を示したのち、日本艦は5,800ヤード(5.3 km)の距離でリー部隊の右舷方向から接近した。サボ島の西側を南下してきたのは[112]、単独行動中の綾波と[101]、前衛部隊(長良、初雪、白雪、五月雨、電)であった[103]。 駆逐艦同士の戦いが始まり、ワシントンとサウスダコタは副砲で米軍駆逐艦を掩護した[87]。米軍駆逐艦部隊はグウィンを残して戦闘不能となる[113][114][注 16]。 長良隊は魚雷を再装填するため、北西方向に離脱した[120]。日本側は綾波が沈没した[76][121]。またワシントンとサウスダコタは綾波に致命打を与えたが、サウスダコタでは戦闘中に全電源が遮断される[注 17][注 18]。さらに16インチ主砲の爆風で水上機が炎上したが、この機体は主砲の爆風でカタパルトから海中に転落した[123]。ワシントンは主砲の砲焔光で日本艦隊を見失い、また主砲発射の衝撃で故障した電気系統の修理を急いだ[123]。23時40分、ワシントンは戦艦霧島の艦影をとらえたが、砲術長は通信不能となったサウスダコタであることを考慮して発砲を許可しなかった[124]

前衛駆逐艦同士の交戦に決着がつく中、旗艦ワシントンは行動不能の味方駆逐艦を回避するために左方向へ取舵をとり、サウスダコタは面舵に変針して、旗艦よりやや北寄りの航路を進んだ[125]。レーダーが故障していたので、旗艦ワシントンの行動を見落としたのである[126]。つまり、サウスダコタは愛宕以下5隻の目の前に躍り出た[112]。愛宕側はアメリカ側に戦艦がいると想定しておらず、長良隊から「敵戦艦二隻、エスペランス岬ノ北西」と知らされて混乱していた[127][128]。月は日本時間21時59分に没し[99]、闇夜となっていた[129]。 愛宕や指揮下各艦は探照灯を照射して[80]、「敵ハ高キ前檣楼ヲ有シ上甲板高ク偉大ナル新式戦艦」を確認した[130]。日本側は、距離6000-8000mで砲戦を開始した[131]

日付がかわった15日午前0時以降、ワシントンとサウスダコタは単縦陣を形成する近藤長官(旗艦「愛宕」)直率部隊[80](前方警戒〈朝雲、照月〉[99]、射撃隊〈愛宕、高雄、霧島〉)と反航戦で砲火を交えた[132][注 19]。 サウスダコタは近藤部隊から砲雷撃を受けたが主に副砲で反撃し[130]、巡洋艦1隻の撃沈を主張した[133]。アメリカ側戦艦が発射した照明弾により[127][134]、周囲は真昼のように明るくなっていたという[135]。 誤認戦果とひきかえに、サウスダコタは上甲板に多数の命中弾をうけた[123]。霧島の発射砲弾は、飛行場射撃用の三式弾68発、零式弾22発、一式弾27発であった[136]。この夜の愛宕の発射弾数は、20㎝徹甲弾55発、20㎝通常弾6発、12.7㎝高角砲弾49発、25mm機銃少数であった[137]。朝雲は12.7㎝砲弾を75発、照月は長10㎝砲弾を20発発射したと記録している[138]

アメリカ軍の調査によると、サウスダコタに合計27発の砲弾が命中した[注 20]。42発命中との資料もある[140]。20㎝砲弾5発、15㎝砲弾2発が不発であった[141]。霧島の14インチ砲弾は5発命中したが徹甲弾は1発のみであり、他の4発は三式弾零式通常弾だった[142][143]唯一命中した14インチ徹甲弾は3番主砲下の居住区を貫通して3番主砲のバーベットに衝突して炸裂し、バーベットの装甲を割っていた[要出典]。また3番主砲の右砲に深刻な損傷を与えて使用不能に至らせた[143]。日本側の旗艦愛宕も[130]、敵戦艦の第三砲塔が旋回中に停止するのを認めた[144]。 被弾時に飛び散った破片は甲板を吹き上げたり、後方の厨房等を破壊した[143]。しかし殆どの砲弾は甲板上中央の艦上構造物に命中し、炸裂せずに貫通した砲弾も多かった[145]。艦上構造物の士官居住区や射撃装置は破壊されたが、船体に命中したのは3番砲塔ガンバレル以外は小口径砲弾のみだったので、艦の重要部分に損害はなかった[145]。装甲が貫通されたのは唯一船体中央部喫水線近くに命中した20cm徹甲弾1か所のみであり、それによって若干の浸水が生じた[146]。3つの射撃管制レーダーや副砲の光学射撃装置も破壊された[147]が機関と操舵系には損傷なく航行には支障は出ず、人的被害は38名死亡、60名負傷に留まる[148]。霧島の零式通常弾の命中による火災は艦上構造物の他に1番主砲の先の船体にも発生[149]。1-2番主砲は無傷であったが、既述のようにレーダーや方位盤が破壊されたために個別射撃(Local Fire Control)だけが可能で、射撃に制約があり[注 21]、事実上戦闘能力を喪失してしまった。サウスダコタはワシントンを見失い、これ以上の損害を生じさせることはできず後退を開始した[150]。 なお愛宕(第一次発射8、第二次発射8、第三次発射3本)[151]、高雄(第一次不明、第二次発射8本)、朝雲[138](4本発射)は酸素魚雷を発射した[132]。各艦は魚雷命中を記録した[152][153]。 だがサウスダコタやワシントンに命中した魚雷は1本もなかった[139][150]

一方、サウスダコタの苦境はワシントンにとってのチャンスになった。愛宕や霧島が探照灯をつけたため[80]、米戦艦は目標が敵部隊(日本戦艦)であることを確信する[154]同士撃ちの心配をなくしたワシントンは16インチ主砲と5インチ副砲を霧島に向けて発射した[155]。被弾した霧島は舵取機が故障し[76]、航行不能となった[156]。愛宕側はワシントンに全く気付いておらず[140]、砲撃されて初めてワシントンの存在を知った[157]。その後、ワシントンは反転攻撃してきた主隊や[153]、追撃してきた駆逐艦(五月雨[158]陽炎[注 22]親潮)の魚雷を回避した[160][161](あるいは早爆により被雷しなかった)[139][150]。ワシントンは駆逐艦主砲弾1発の被弾のみで戦場を離脱後、サウスダコタと設定水域で合流、ヌーメアに帰還した[162]。哨戒中の伊9[163]レンネル島東方海面で避退中のワシントンとサウスダコタを発見したが[164]、2隻に被害はなかった。

一連の夜戦により、ワシントンとサウスダコタは日本艦隊のヘンダーソン飛行場砲撃を阻止して勝利した[127]。駆逐艦ウォーク、プレストンは撃沈され、ベンハムは放棄されて僚艦グウィンの砲撃で沈められた[87]。日本側の報告では「推定敵兵力:新型戦艦2隻(訂正後、戦艦4隻)[165]、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦6~8隻」[166]、「サウスダコタ型戦艦1隻撃沈確実、ワシントン型戦艦1隻中破、戦艦(艦型不詳)1隻大破沈没確実、大巡2隻撃沈、駆逐艦2隻轟沈、駆逐艦2隻沈没」であった[136][165]。 この過大判定は、酸素魚雷の自爆や早爆を命中と誤認した事に由来している[167][168](日本側は戦艦に魚雷命中を記録しているが[116][101]、ワシントンならびにサウスダコタとも、1本も被雷しなかった)[136]。 日本側の損害は、四水戦被害なし[169]、愛宕に副砲弾2発が命中[170](損害軽微)[144]、霧島が沈没[注 23]、綾波が沈没した[注 24]。また田中少将指揮下の残存輸送船4隻はガダルカナル島に擱坐揚陸を敢行したが[177]、米軍は物資が揚陸される前に空襲と艦砲射撃[178]、さらに海兵隊の重砲で輸送船を粉砕した[179]

修理と大西洋での活動[編集]

サウスダコタはヌーメアで工作艦プロメテウス(USS Prometheus, AR-3)による補修を受けた後、11月25日にトンガタプ島に向かい、さらにその後、本国に帰還。ヌーメアでは、「ワシントンはサウスダコタを見捨てて逃げた」という噂が広まり、両艦乗組員は歓楽街で留置場が満杯になるほど大規模な喧嘩を繰り広げた[180]。サウスダコタがニューヨークに到着したのは同年12月18日のことであった。ギャッチ艦長は“サンデー・イブニング・ポスト”の取材に「戦艦X(サウスダコタ)が霧島を撃沈し、ワシントンとリー提督は逃げた」と宣伝したので、サウスダコタ乗組員に戦争後も消えない怨恨を刻んだ[181]。こうした経緯もあって、ワシントンの乗員からは「大きなクソッタレ」(Big Bastard)、艦名を捩った「クソッタレの男根」(Shitty Dick)などという不名誉なあだ名も付けられている[5][182]。 また最年少乗組員のグラハムは、第三次ソロモン海戦での本艦の戦闘と損傷によって本当の年齢が判明し、のちにアメリカ海軍から追放された[注 25]。 こうした些細な事件を背景にサウスダコタはオーバーホールと完全修理を終え、1943年(昭和18年)2月25日に出航、海上公試の後空母レンジャー(USS Ranger, CV-4)と共に4月中旬大西洋で作戦活動を行い、サウスダコタは続いてスカパ・フローを拠点としてイギリス軍の本国艦隊との作戦活動を行った。当時、ノルウェーを拠点にドイツ海軍のビスマルク級戦艦ティルピッツシャルンホルスト級戦艦シャルンホルストなどが活動していたが、サウスダコタと撃ち合う事はなかった。

タラワの戦いとその後[編集]

8月1日にバージニア州ノーフォークに帰還、21日に出航しエファテ島を経由して9月14日にハバナ港に到着。11月7日にフィジーに移動し、4日後に第8および第9戦艦部隊と共に出航、第50.1任務群、空母迎撃部隊の支援を行った(ギルバート・マーシャル諸島の戦い)。ガルヴァニック作戦によりギルバート諸島に対する攻撃がはじまり、空母部隊は11月19日にジャルート環礁ミリ環礁への攻撃を行い、日本の飛行場を無力化した(ギルバート諸島沖航空戦)。部隊は続いてマキンおよびタラワへの上陸部隊に対する航空支援を行った(タラワの戦い)。サウスダコタは5隻の戦艦と共に12月8日に任務群を構成しナウルへの艦砲射撃を行い、艦砲射撃と航空攻撃によって海岸沿いの敵施設および飛行場は大きく破壊された。サウスダコタは12月12日にエファテ島に後退し維持および弾薬補給を行った。1944年(昭和19年)1月29日に再び戦闘に参加し、フリントロック作戦により空母部隊はマーシャル諸島ロイ=ナムル島を攻撃した。翌日サウスダコタは移動し、ロイ=ナムル島の日本の拠点に砲撃を行い、その後クェゼリン環礁、マジュロ環礁、ロイ=ナムル島への上陸部隊に航空支援を行う空母部隊と合流した。

2月12日にマーシャル諸島を出航したサウスダコタは2月17日と18日にトラック諸島の日本拠点に対する攻撃を開始(トラック島空襲)。6日後、マリアナ諸島に最初の攻撃を行う空母部隊の護衛を担当し、部隊は数度の航空攻撃を受け、サウスダコタは4機の日本機を撃墜した。2月26日にマジュロ環礁に帰還、3月22日まで停泊しその後第5艦隊の高速空母部隊と共に出撃した。部隊は3月30日から4月1日にかけて西カロリン諸島のパラオ、ヤップ、ウォレアイおよびウルシー環礁に対して空襲を行った。

サウスダコタは4月6日にマジュロ環礁へ帰還し、翌週に空母部隊と共に出航した。4月21日にホーランディアを攻撃し、翌日には上陸部隊支援のためアイタペ湾、タナメラ湾、フンボルト湾を攻撃した。4月29日および30日には空母部隊を護衛し、その後トラック諸島に戻り砲撃を行う。翌日サウスダコタはポナペ島への砲撃部隊に加わりこれを攻撃した[183]。マジュロ環礁へ帰還し5月4日から6月5日まで維持作業を行った後、第58任務部隊に加わりサイパン島およびティニアン島への上陸作戦を援護した。空母部隊は6月11日に敵施設への攻撃を始め[184]、サウスダコタおよび6隻の戦艦は艦砲射撃のため6月13日に空母部隊から分離した[185]。サウスダコタはサイパン島のタナパグ湾に対して攻撃を行い、主砲および副砲で6時間以上の砲撃を行った。日本側は「あ号作戦用意」を発令した[186]

6月15日、連合軍はサイパン島上陸を開始した[187]。連合艦隊はテニアン島に司令部を置く第五基地航空部隊[188](指揮官は第一航空艦隊司令長官角田覚治中将、参謀長三和義勇大佐)にアメリカ艦隊攻撃を命じた[189][190]。同15日午後、トラック泊地から飛来した天山11機は空母又は戦艦1隻に魚雷2本命中、輸送船に雷撃火災1の戦果を報じ、5機がグアム島に帰投した[189]。同15日夜、ヤップ島から日本軍攻撃隊(日本時間14時3分発進〈彗星3、零戦6〉、日本時間15時発進〈銀河10、零戦5〉)が飛来した[189]。部隊指揮官は第521航空隊飛行長江草隆繁少佐であった[191][192]。8機から12機の日本の戦闘機および爆撃機が偵察機部隊との戦闘をくぐり抜け任務群に対して攻撃を行い、サウスダコタは4機に砲撃し1機を撃墜、残る11機は他の艦による砲撃により撃墜された。喪失は銀河8(自爆1、未帰還7。江草少佐戦死)、陸偵1、彗星1、零戦1であった[193]

マリアナ沖海戦[編集]

6月19日、サウスダコタは空母部隊と作戦活動を行う[194]。第三艦隊司令長官小沢治三郎中将指揮下の小沢機動部隊(第二艦隊、第三艦隊)が西方から接近し、アメリカ軍の主力は敵を迎え撃ちサイパンの地上部隊を支援できるように配置された[195]。リー提督が指揮する第58.7任務部隊[194](戦艦ワシントンノースカロライナアイオワニュージャージー、サウスダコタ、アラバマインディアナ、巡洋艦部隊)は対空警戒部隊として空母機動部隊の前方に進出した[196]。なおリー提督の旗艦は戦艦ワシントンだった[194]。 日本軍前衛部隊には戦艦4隻(大和武蔵金剛榛名)が配備されていた[197][注 26][注 27]。 戦艦同士の水上砲戦の可能性は、アメリカ側戦艦部隊の士気を高めた[196]。サウスダコタの士官は「我々は連中の戦列に本気で襲いかかるつもりだった。われわれは前檣楼に大きな軍艦旗さえ掲揚した」と回想している[196]

10:12分以降、西から日本部隊の接近が報告された[200]。これは栗田部隊の第三航空戦隊[201](司令官大林末雄少将:千歳千代田瑞鳳)を日本時間午前7時30分に発進した三航戦第一次攻撃隊[202](零戦14、艦攻7乃至8、戦闘爆撃機43乃至48)であった[203][204]。三航戦第一次攻撃隊は日本時間9時35分にF6F ヘルキャットの迎撃をうけて損害を出し(米軍記録、戦闘機により42機撃墜)[205]、空母1・巡洋艦1に爆弾1発命中[206]、他に空母3隻に命中弾を報告した[207]。三航戦第一次攻撃隊は、戦爆(爆装零戦)31乃至32、艦攻2、零戦8を失った[202][207]。 つづいて一航戦(大鳳、瑞鶴、翔鶴)第一次攻撃隊[208](前路索敵〈天山2〉、攻撃隊〈天山27、彗星53、零戦48〉[209]。栗田部隊の誤射等で約10機が被害を受け[210]、彗星5程度が不時着か引き返す)が日本時間午前10時50分頃から攻撃を開始し、F6Fの邀撃で大損害をうけた[注 28]。一航戦第一次攻撃隊の一部は米軍空母群を発見できず、戦艦部隊を攻撃した[211]

一連の空襲で、リー部隊は、前衛としての任務を完遂した[212]。アメリカ軍機動部隊の損害は軽微であった[213]。サウスダコタは10:49に三航戦所属機の攻撃を受け、直撃弾を浴びる[205]。主甲板に250kg 爆弾1発が命中、爆発により24名が死亡、27名が負傷し、艦は配線が切断され大きく損傷したものの、深刻なダメージは生じなかった。サウスダコタは沈没を免れた[214]。ほかに重巡洋艦ミネアポリスに至近弾があった[205]。 日本軍第二次攻撃(一航戦第一次攻撃隊)の攻撃では、戦艦インディアナに不発魚雷があり、アラバマやアイオワが攻撃を回避した[215]。 本隊では空母バンカーヒルが小破した[211]。第二航空戦隊(隼鷹、飛鷹、龍鳳)の攻撃隊はアメリカ軍機動部隊を発見できず[216]、戦闘機の邀撃などで損害を出した[217]

このマリアナ沖海戦の初日で、日本側は艦上機と基地航空隊の双方から300機以上の航空機を失った[218]。その様子は後に「マリアナの射的遊び The Marianas Turkey Shoot.」と語られた。さらに潜水艦の奇襲で主力空母2隻(大鳳翔鶴)が沈没した[219][220]。航空戦は6月20日も継続し、空母飛鷹とタンカー2隻が沈没し、瑞鶴以下数隻に損傷を負わせた[注 29]。米軍攻撃隊の帰投は夜になり、各艦は探照灯や照明弾で海面を照らし、収容作戦を実施した[222]。サウスダコタは空母の傍で灯火をつけたので、何機かはサウスダコタに着艦を試み、最後の瞬間に飛び去っていった[222]。 戦闘の終了後、日本艦隊はもはやマリアナ諸島においてアメリカ軍への脅威とはなり得なかった[223]。任務群は6月27日にウルシー環礁に帰還し、サウスダコタは真珠湾を経由して西海岸へ向かい、7月10日にピュージェット・サウンドに到着した。

サウスダコタはピュージェット・サウンド海軍工廠で検査され、公試後8月26日に真珠湾に向けて出航した。ウルシー環礁を経由して真珠湾に到着すると第38任務部隊を構成する第38.3任務群に加わった。任務部隊は10月6日に出撃し、4日後に沖縄に対して空襲を行った。10月12日および13日には台湾の日本の艦艇および施設に対して空襲を行った(台湾沖航空戦)。サウスダコタを含む3つの部隊はフィリピン東部に後退し作戦活動を12月24日まで実施した。レイテ沖海戦にも参加した。10月25日、リー提督の第34任務部隊(ワシントン〈旗艦〉[224]、サウスダコタ、マサチューセッツ、アラバマ、アイオワ、ニュージャージー)はエンガノ岬沖海戦により空母4隻を失って敗走する小沢機動部隊を、もう少しで射程におさめようとしていた[注 30]。 このときサマール島沖のサマール海では、栗田艦隊が第7艦隊の護衛空母部隊に襲いかかっていた[227]サマール沖海戦[228]。様々な事情を経て[229]、ハルゼー提督は午前11時15分に第34任務部隊を反転南下させた[226][注 31]。 駆逐艦への燃料補給のあと、ハルゼー提督は第34任務部隊第5群(戦艦ニュージャージー、アイオワ、軽巡3、駆逐艦8)を編成し[226]敗走中の栗田艦隊(大和など)をサンベルナルジノ海峡通過前に捕捉しようとした[231]。栗田艦隊は同25日22時までに海峡を通過しており[注 32][注 33]、ハルゼーのアイオワ級戦艦2隻と護衛部隊は10月26日午前1時に駆逐艦野分(重巡筑摩生存者収容)に追いついて、野分を撃沈した[233]。サウスダコタはこの追撃戦に連れていかれなかった。 その後、ミンドロ島上陸作戦を支援するため空母部隊はマニラ、ルソン島を攻撃した。

1944年12月30日から1945年1月26日までの間に空母部隊は1月3日、4日、9日、15日、21日に台湾を、1月6日、7日にルソン島を、12日にはサン・ジャック岬およびカムラン湾を、16日には香港、海南島、22日には沖縄を攻撃した。

日本近海での作戦行動[編集]

グアム沖の戦闘で戦死した乗組員に対する礼拝。1945年7月1日

サウスダコタが所属する高速空母部隊は2月17日に東京に対して攻撃を行い、2月19日および20日には硫黄島への上陸部隊の支援を行った。2月25日に再び東京への攻撃を行い、3月1日に沖縄での攻撃を行った。ウルシー環礁で弾薬補給を行った後、任務群は日本本土へ向かい、3月18日および19日には神戸、呉、九州地区への攻撃を行った。3月23日、24日には沖縄に対して攻撃を行い、サウスダコタは艦砲射撃グループに加わり沖縄南東へ砲撃を行った。その後任務群に再合流し沖縄への砲撃、九州南部の飛行場への攻撃を3月29日、31日から4月3日まで行った。4月7日に空母部隊(第58任務部隊)は九州南西部で日本艦隊への攻撃を行った。戦艦大和は航空攻撃で撃沈され、サウスダコタ含めアメリカ戦艦部隊は砲戦の機会を失った[234]。 サウスダコタは4月19日に再び沖縄南東に対する艦砲射撃に参加し、日本と対峙する XXIV 軍の支援を行った。

5月6日、ランゲル(USS Wrangell, AE-12)からの補給中に16インチ主砲装薬庫の爆発事故を生じ、火災と共に装薬庫4室が爆発した。二番両用砲は氾濫し火災は鎮火した。3名が即死し、8名が負傷のため死亡、24名が負傷した。サウスダコタは5月11日から29日までグアムに後退し、その後レイテ島に6月1日到着した。

サウスダコタはレイテ島を1945年7月1日に出航し、7月10日に東京空襲を行う第38.1任務群の護衛を行った。7月14日、岩手県釜石市釜石製鉄所に対する砲撃(釜石艦砲射撃)を実施した。これはアメリカ戦艦による日本本土に対する初の砲撃であった。7月29日および30日の夜には静岡県浜松市への砲撃を行い、8月9日には再び釜石を砲撃している。8月10日には本州北部への空襲を行う空母部隊の護衛を、8月13日と15日には東京空襲部隊の護衛を行っている。15日の攻撃は第二次世界大戦における最後の攻撃で、同日日本は降伏した。

サウスダコタは8月27日に相模湾に停泊し、8月29日に東京湾に入った。9月20日に東京湾を出航し、沖縄、真珠湾経由でアメリカ西海岸へ帰還した。10月29日にサンフランシスコからサンペドロ湾へ移動した。1946年1月8日に西海岸を出航、オーバーホールのためフィラデルフィアへ向かった。6月に大西洋予備役艦隊入りし、1947年1月31日に予備役となった。1962年6月1日に除籍されるまでそのままの状態で保管される。1962年10月25日にサウスダコタはルリア・ブラザース・アンド・カンパニー有限会社にスクラップとして売却された。

サウスダコタは第二次世界大戦の戦功により13個の従軍星章を受章した。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 初代サウスダコタは、1920年(大正9年)6月7日にヒューロン (USS Huron, CA-9) と改名された。
  2. ^ ダニエルズ・プランサウスダコタ級戦艦(建造中止)を加えると3隻目となる。
  3. ^ サウスダコタは旗艦設備をもつため、姉妹艦3隻(インディアナ、マサチューセッツ、アラバマ)と比較して副砲が2基すくない(他3隻は12.7㎝両用連装砲5基10門を装備)[1]
  4. ^ 第二艦隊司令長官近藤信竹中将(旗艦「愛宕」)が指揮する前進部隊[11]。飛行場砲撃隊[12](重巡愛宕〈旗艦〉、高雄、戦艦霧島、駆逐艦朝雲照月)、前衛(軽巡長良、駆逐艦初雪白雪五月雨)、掃討隊(軽巡川内、駆逐艦浦波敷波綾波)。
  5. ^ 空母エンタープライズは8月24日第二次ソロモン海戦で損傷[20]真珠湾に戻り修理をおこなっていた[21]
  6. ^ アメリカ側の資料で、南太平洋海戦の対空戦闘中に日本軍潜水艦が第61任務部隊を襲撃、ポートランドや駆逐艦を雷撃したとの資料があるが[47]、日本側記録では該当艦がない[48]。確認できる攻撃は、10月27日午前3時38分の伊21から戦艦ワシントンに対するもの(伊21はコロラド級戦艦と判断していた[49]。早爆してワシントンに被害なし)[50]
  7. ^ 自沈処理中に追撃してきた夜戦部隊(愛宕、高雄など)に追いつかれ[67]、曳航不能のため駆逐艦秋雲巻雲により雷撃処分された[68][69]
  8. ^ (第三次ソロモン海戦、第四水雷戦隊戦闘詳報、経過概要、その1)[80]〔 (ハ)十四日ノ夜戰 當時ノ敵情ハ「ガ」島附近ニ行動中ノ敵水上艦艇相當數(戰艦約四 空母一乃至二巡洋艦六乃至八 駆逐艦約一〇)ニ上リ空母ヨリ発進セル敵飛行機ハ本朝來外南洋部隊支援隊及輸送船團ヲ攻撃シツヽアリ之等小型機ハ「ガ」島飛行場ヲ中継基地トシテ活溌ニ活動シツヽアルモノノ如シ又巡洋艦四ヲ基幹トスル敵ハ「ガ」島南方ヨリ今夜「サボ」島附近ニ進出我ガ輸送船團ヲ攻撃シ來ル算大ナリ。/「ツラギ」方面ヨリスル敵魚雷艇モ亦活動ヲ續ケアリテ十三日夜ノ外南洋部隊大巡隊(鈴谷摩耶)ヲ以テスル「ガ」島飛行場射撃ノ際近接セル状況ヨリ見テ射撃艦ニ對スル警戒ハ充分ナルヲ要ス(以下略) 〕
  9. ^ (自11月11日至11月15日「ガダルカナル」ニ対スル敵増援阻止竝ニ我増援強行作戰経過一覧表)[76]〔 一.衣笠ハ一四日敵機ノ爆撃ヲ受ケタル后漸次艦内ニ浸水増加シ同日〇九二〇顛覆沈没シ艦副長ハ壮烈ナル戰死ヲ遂グ、乗員ノ大部ハ巻雲夕雲ニ収容ス/二.綾波ハ一四日「サボ」島附近ノ夜戰ニ於テ戰斗開始後約一五分ニシテ被戰大火災トナリ航行不能トナリタルヲ以テ浦波ニ乗員ヲ収容之ヲ処分セリ/三.霧島ハ「サボ」島ノ南西方ニ於テ敵Bト遭遇シ約一〇,〇〇〇米ノ距離ニ於テ之ト猛烈ナル交戰ヲ交ヱ初戰ヨリ主砲及副砲彈ヲ命中セシメ少クトモ一〇彈以上ノ命中彈ヲ敵Bニ與ヘ特ニB×1ノ艦橋ヲ吹キ飛バス等力戰奮斗中不幸舵取装置ニ敵彈ヲ受ケ面舵一〇度ノ侭舵停止直進不能トナリタルヲ以テ己ムヲ得ズ敵ト離隔スル行動ヲ執リ其后敵彈ニル被彈ノ爲舟左ニ大傾斜シ之ヲ修正スル為舟右ニ注水セル処急激ニ舟右ニ傾キ顛覆スルニ至レリ 此ノ間乗員ハ最后迄勇戰奮戰シ士氣軒昂タルモノアリタリ(同艦々長ノ報告)/四.今次海戰ニ於テ我方モ相当ノ損害アリタルモ敵ハ補助部隊ノ大半ヲ喪失スルニ至リタルヲ以テ今后ノ作実施上相当ノ制肘ヲ受ケタルモノト思考ス 〕
  10. ^ 増援部隊(早潮、親潮、陽炎、海風、江風、涼風、高波、巻波、長波、天霧、望月)と輸送船11隻のうち[86]11月14日の空襲で輸送船6隻が沈没、損傷船1隻を護衛して天霧と望月が引返し、他の駆逐艦も救助者満載のため戦闘可能なのは駆逐艦3隻乃至4隻にすぎなかった[79]
  11. ^ 射撃隊[97](前進部隊指揮官/第二艦隊司令長官直率)ガ島飛行場砲撃(愛宕、高雄、霧島)、第四戦隊直衛(長良、電、五月雨)/直衛(第四水雷戦隊司令官)霧島直衛(朝雲、白雪、初雪)、霧島後方警戒(照月)/掃討隊(第三水雷戦隊司令官)(川内、浦波、敷波、綾波)[98]
  12. ^ 第四水雷戦隊司令官高間完少将座乗。
  13. ^ 照月は、第61駆逐隊司令則満宰次大佐の司令駆逐艦。
  14. ^ (第三次ソロモン海戦、第四水雷戦隊戦闘詳報、経過概要、その2)[80]〔 (前略)情況此ノ如クナルヲ以テ「ガ」島攻撃隊ハ會敵ヲ予期シツヽ豫定ノ射撃實施ニ應ズル如ク行動シ敵ヲ発見セバ先ヅ之ヲ撃滅スル意圖ヲ以テ極メテ警戒ヲ嚴ニシツヽ南下ヲ續ケツヽアリ 一九四五令ニ依リ直衛配備ヲ徹シ11dgヲ集結セシメ10Sノ後尾ニ就ク如ク行動中二〇二六再ビ令ニ依リ朝雲照月ヲ率ヒ霧島ノ後方警戒ニ當ル如ク行動ス 二〇一四「サボ」島東方ニアリシ敷波ヨリ敵ラシキ艦影ヲ二〇〇度方向ニ認ムノ報アリ 次イデ愛宕川内浦波ヨリ敵情ノ通報ヲ受ケツヽ射撃隊ノ後尾ヲ警戒續行中二一五一射撃隊反轉シテ「ルンガ」ニ向フト共ニ令ニ依リ後衛ノ位置ヨリ反轉シテ4Sノ前方ニ占位前衛トシテ敵方ニ進撃ス(以下略) 〕
  15. ^ (昭和17年11月14日)本月一二日及一四日ノ夜戰ノ状況竝ニ戰果ニ就キ其ノ后GFニ於テ研究精査セル結果[101]〔 一.一二日ノ夜ハ「ガ」島[飛行場]射撃ノ為11S(比叡、霧島)ハ10S(長良 d×6)ヲ直衛トシ「サボ」島ノ西方ヨリ進入セルモ二三三〇頃右方ニ敵C1×4 C2(防空)×2 d×7ガ輸送船ノ外方ヲ低速ニテ警戒中ナルヲ發見近距離ニ於テ敵ニ先ンジテ有利ナ態勢ヨリ之ヲ照射砲撃竝ニヲ加ヘ忽チ其ノ数艦ヲ撃沈セリ 又前方ニ進出シ居レル前衛dハ北方ニ別ノ敵C1×3 d×2ヲ発見之ト激戰ス 尓后ノ戰斗ハ各艦夫々勇敢ニ肉迫猛撃シ彼我混戰ニ陥レル為詳細ハ判明セズ/尚比叡ノ沈没ニ至レル状況ハ曩ニ奏上セル通リナルモ、同艦ハ翌日天明后「サボ」島南方ニ漂流セル敵損傷Cヲ砲撃々沈スル等最后迄奮戰セリ。
    一四日夜ハ先ヅ掃蕩隊トシテ進入セシメタル3Sdガ「サボ」島東方ニ於テ敵C1×2 d×4ヲ認メ之ヲ追躡セルモ間モナク敵ノ砲撃ヲ受ケ一時煙幕ヲ展開避退セリ。此ノ時綾波ハ「サボ」島ノ西方ヨリ進入此ノ敵ヲ襲撃C1×1 d×1撃沈ノ大戰果ヲ擧グ/コノ状況ニ於テ主隊ノ直衛ナリシ10Sヲ放チ「サボ」島西方ヨリ進入セシメ「サボ」島南方ニ於テ更ニ此ノ敵C群ニ対シ猛烈ナル攻撃ヲ加ヘC1×1 d×2ノ戰果ヲ擧グ
    主隊(4s及霧島)ハ4Sd(朝雲、照月)ヲ伴ヒ「サボ」島ノ西方ヨリ進入セントセルモ時二二〇〇頃右前方約六,〇〇〇米ニ敵B×2ヲ発見其ノ先頭艦ヲ照射砲雷撃ヲ集中多数ノ命中戰ニ依リ前檣楼ガ折レ大傾斜 上甲板ガ水中ニ浸ルヲ確認シ居リ撃沈確実ト認メタリ
    此ノ戰艦ノ前方ニ別ノB×2アリタル模様ニシテ霧島ハ之ヨリ盛ンニ砲撃ヲ受ケタリ 尚此ノ時機ニ前方ノ戰艦群ノ二番艦ニ魚雷命中落伍セルヲ認メタリ 4S及霧島ハ一時反転敵ト離脱セルモ間モナク敵ノB×1ガ再ビ近接之ト交戰シ魚雷ヲ命中セシメ居ルモ此ノ時霧島被害ヲ受ケ沈没セル模様ナリ
    10Sハ曩ニ敵C群ト交戰シ居リシモ主隊ノ交戰ヲ知リ直チニ敵主力方向ニ馳セツケ之ヲ追躡二回ニ亘リ之ヲ襲撃セリ/10Sハ襲撃ヲ終リ皈途「サボ」島南方ニ於テBラシキ前檣楼ト一本煙筒ヲ有スル大艦ガ全艦火災ニ包レ時々大爆発ヲ起スヲ認メ居リ之ハ先ニ落伍セル戰艦ト推定セラレ撃沈畧確実ト認メタリ
    両夜共夜戰ナリシ為戰況錯綜混乱セル結果2F竝ニGFニ於テハ戰況竝ニ戰果ノ判定ニハ特ニ慎重ヲ期シ当夜参加部隊ノ集合ヲ待チ其ノ報告ヲ整理検討セルヲ以テ其ノ結論ハ相当信頼シ得ルモノト思考ス 〕
  16. ^ 五月雨は雷撃により大型巡洋艦1隻撃沈を報じた[115][116]。綾波は砲雷撃により「甲巡(大型巡洋艦)1轟沈[89]、駆逐艦1撃沈、駆逐艦1乃至2撃破」と記録した[117]。初雪は軽巡洋艦2隻撃沈と報告した[118]。アメリカ側は、魚雷によりベンハムが大破、プレストンとウォークは6インチ砲(14㎝砲)や8インチ砲(20㎝砲)に乱打されて沈没したとする[108]。前衛隊で14㎝砲を装備していたのは長良のみ[119]
  17. ^ ミュージカント著『戦艦ワシントン』では、駆逐艦の砲弾命中に起因すると記述する[122]
  18. ^ 被弾による損傷ではなく、電気系統の故障だったとも[123]
  19. ^ (第三次ソロモン海戦、第四水雷戦隊戦闘詳報、経過概要、その3)[80]〔 (前略)朝雲二一五四 一四〇度方向約一〇〇〇〇米ニ敵ラシキ艦影ヲ認ム 之ニ近接シ愛宕ノ照射ニ依リ戰艦二隻ナルヲ確メ二二〇二朝雲照月ニ對シ右魚雷戰ヲ令シ朝雲ハ同時刻砲撃開始二二〇三発射(右魚雷戰反航B=80 D=3500発射雷數四)約三分後命中魚雷二本ヲ認メ4S及霧島ノ砲雷撃トニ依リ之ヲ撃沈ス(照月ハ発射セズ)/二二一七愛宕ヨリ「エスペランス」北西一〇粁ニ敵戰艦アリトノ報アリ次イデ長良ヨリ敵情ヲ得テ二二五〇針路二二〇速力二六節トナシ之ニ向ヒツヽアリシモ二三一五ニ至リ令ニ依リ霧島ノ警戒ニ任ズル爲霧島ノ位置ニ引返シ二三四三現場着之ガ警戒ニ任ズ/尓后霧島ノ状況調査及ビ通信連絡ニ努メツヽアリシモ同艦ハ〇〇四二總員退去ニ決セルヲ以テ朝雲照月ヲ之ニ横付令ニ依リ〇一〇〇現場ニ來着セル五月雨ヲ合セ指揮シ之ヲ附近ノ警戒ニ當ラシメツヽ乗員収容中〇一二〇ニ至リ霧島ハ左舷ニ急速ニ傾斜ヲ始メ間モナク顛覆沈没セルヲ以テ引續キ三艦ヲ以テ〇二三〇迄ニ人員ノ救助ヲ終リ〇二三五現場発北方ニ避退ス 〕
  20. ^ 27発の内訳は、15㎝砲弾6発、20㎝砲弾18発、36㎝砲弾1発、口径不明弾1発だったという[139]
  21. ^ 反航戦のあと近藤部隊は反転してサウスダコタを追尾してきたが[99]、サウスダコタは後部を担当する3番砲塔が射撃不能であった。
  22. ^ 高田敏夫(当時、陽炎水雷長)によれば、陽炎はサウスダコタらしき米戦艦と距離1000mですれ違い、反転して追跡したが見失ったと回想している[159]。陽炎は敵味方識別の合図をおくったが戦艦から反応はなく、「敵戦艦なのか、霧島なのか」と迷っているうちに魚雷を発射する機会を逸したという[159]
  23. ^ 長良[171]や朝雲で曳航を試みたが、失敗した[172]。霧島は11月15日午前1時すぎに転覆して沈没した[173]。随伴艦3隻[80](朝雲、照月、五月雨)が[174]、霧島艦長岩淵三次大佐以下霧島乗組員1128名を救助した[138][175]
  24. ^ 炎上して航行不能になった「綾波」は放棄され[176]、乗組員を「浦波」に収容したあと沈没した[76]。一部の乗組員はカッターボートでガ島に上陸した[103]
  25. ^ 太平洋戦争後、グラハムの物語はドラマ若すぎるヒーロー英語版として1988年(昭和63年)3月27日に放映された「Too Young the Hero (1988)」。
  26. ^ 前衛部隊指揮官は第二艦隊司令長官栗田健男中将(旗艦「愛宕」):第四戦隊(愛宕、高雄、鳥海、摩耶)、第三航空戦隊(千歳、千代田、瑞鳳、第六五三海軍航空隊)、第一戦隊(大和、武蔵)、第三戦隊(金剛、榛名)、第七戦隊(熊野、鈴谷、利根、筑摩)、第二水雷戦隊(軽巡能代、駆逐艦島風、第31駆逐隊〈岸波、沖波、朝霜。長波は修理中のため不在〉、第32駆逐隊〈藤波、玉波、浜波〉)[198]
  27. ^ 作戦前に定められた「あ号作戦部隊軍隊区分」と比較すると[199]、駆逐艦の喪失により構成艦が減少するなど若干の変更がおこなわれた。
  28. ^ 一航戦第一次攻撃隊未帰還:天山24、彗星41、零戦31、自爆彗星1、帰還後戦死零戦2、前衛に不時着彗星2[207]
  29. ^ 6月20日の日本側損害は、空母飛鷹、タンカー2隻(玄洋丸、清洋丸)沈没、損傷(瑞鶴、隼鷹、千代田、榛名、摩耶、速吸)[221]
  30. ^ 第38任務部隊の空襲で空母3隻(瑞鶴瑞鳳千歳)と駆逐艦秋月が沈没、空母千代田が航行不能、被弾した軽巡多摩が単独で北上していた[225]。小沢部隊の健在艦は、旗艦大淀第三艦隊司令長官小沢治三郎中将)、第四航空戦隊日向伊勢)、軽巡五十鈴、駆逐艦5隻(若月初月霜月)であった[226]
  31. ^ デュボース少将が指揮する巡洋艦戦隊は第38任務部隊から分離して小沢機動部隊との距離をつめ、航行不能の空母千代田と救援作業中の駆逐艦初月を撃沈した[230]
  32. ^ 海峡通過時の栗田艦隊は、戦艦4隻(大和長門金剛榛名)、重巡2隻(羽黒利根)、第二水雷戦隊(軽巡能代、駆逐艦島風岸波浜波)、第十戦隊(軽巡矢矧、駆逐艦浦風雪風磯風)であった[232]
  33. ^ 損傷艦と救援艦(重巡熊野、駆逐艦早霜秋霜沖波藤波野分)は栗田艦隊本隊から遅れて海峡を通過しようとしていた[232]

出典[編集]

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参考文献[編集]

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関連項目[編集]