サテライトNo.1

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サテライトNo.1
EDION Hiroshima honten 20130330-1.JPG
サテライトスタジオが設置されていた
旧ダイイチ本店(現:エディオン)
ジャンル バラエティ番組
放送方式 生放送(録音の場合もあり)
放送期間 1972年5月7日 - 1988年4月27日
放送時間 日曜 16:00 - 17:00 →
日曜 17:00 - 18:00
放送局 中国放送
パーソナリティ 柏村武昭ほか
提供 第一産業 → ダイイチ
(現・エディオン
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サテライトNo.1』(サテライトナンバーワン)は、中国放送(RCCラジオ)制作で放送されていた公開ラジオ番組。提供元でもある家電販売店の第一産業本店(現・エディオン広島本店[補足 1])のサテライトスタジオより公開生放送が行われた。司会は柏村武昭

概要[編集]

第一産業(現・エディオン)の創業25周年に当たる[1]1972年5月7日に『サテライトX』の仮題で放送開始[1][2]。新聞のラジオ欄には「只今タイトル募集中」と番組名が掲示された[3][補足 2]。その後タイトルは一般公募が行われ[1]、1000通の応募の中から同月28日に『サテライトNo.1』とのタイトルが決定[7]。放送開始当初は日曜日16時からの1時間放送で[1]、後に日曜日17時からの1時間放送になり、1988年4月27日まで放送された[8]

タイトルの「No.1」は、エディオンの源流会社の一つのデオデオの旧社名「第一産業」の「第一」が由来になっている[9]

日本各地で評判だった[10]、広島初のサテライトスタジオからの放送で[1]、家電の売り上げ促進策の一環として電通と企画[1]。電通経由で中国放送に協力を依頼し[1]、当時『ビクター・ミュージック・ホリデー』で人気が出始めていた柏村武昭(当時・RCCアナウンサー)を起用した[1]

木造の旧店舗時代は、2階のオーディオ売場中央にサテライトスタジオが設けられた[1]。当時のスタジオは、2畳ほどの金魚鉢みたいな簡易的な物だった[1]。放送開始当時、来場者数の多さに床の補強工事を行った話もある[9]1975年6月22日の現店舗建物のオープンで、7階に本格的なイベント会場が設置され放送された[7][補足 3]

1975年3月に柏村が中国放送を退社し、土居まさるの個人事務所に所属するフリータレントに転身後も中国放送との優先出演継続を行い出演を続行[8]。放送終了まで続投した。

ローカルブロックネット番組として成功を収め聴取率も首位を維持[2]。ダイイチの支店網の充実に合わせて、ネット局の拡大や[8]、本店のサテライトスタジオの他にもダイイチの支店内や、ダイイチの支店がある地区のホールなどで公開録音が行われた[8]

番組の企画で、『痛快!赤ヘル音頭』や『サテライトNo.1』のレコードが制作・販売[8]。1977年には本も出版された[11]

1995年に『柏村・やすべえのサテライトNo.1』(かしわむら やすべえのサテライトナンバーワン)として復活、1年間放送された。

本番組の終了後も、RCCラジオの日曜17時台は『ニンニキ日曜500』や『つないでサン局山陽路』」など、中国5県(4局)や山陽地方のネット番組の放送枠となり、また『ニンニキ日曜500』は本番組から引き続きダイイチの提供で放送された。詳しくは柏村武昭の項を参照のこと。

出演者[編集]

司会進行役は終始柏村武昭。アシスタントは、放送開始当時に公募を行い、女子大生や主婦、OL、高校生などがアシスタントを務めた[7][11]。1975年4月より林竹洋子[補足 4]が出演開始[11]。1986年4月まで出演した[8]。その後、「ヤングスタッフ」と称したアシスタントを募り、斉藤満喜子松村邦洋が出演した[8]

ネット局[編集]

ダイイチ(第一産業)の店舗網拡大に合わせて制作局の中国放送の他、1974年4月から山口放送[7][2]、少し遅れて山陰放送[7][2]、1976年4月から南海放送[7][2]、1977年4月から山陽放送で放送開始[7][2]。ブロックネット番組になった[7][2]

1985年4月には、さらなるダイイチの店舗網拡大により九州朝日放送KBCラジオ)でも放送された[8]

関連項目[編集]

  • サンスイ ベスト・リクエスト - 1970年代後半から1980年代前半にかけてFM東京系列にて本番組と同時刻に放送されていた柏村がDJを担当した番組。広島でも広島エフエム放送で放送されていた。

脚注[編集]

補足[編集]

  1. ^ 放送開始当初は「第一産業本店(放送開始から1975年6月)」。後に「ハイライフプラザ第一産業本店(1975年6月から1977年9月)」→「ダイイチ本店(1977年10月から放送終了、『柏村・やすべえ』時代)」と放送期間中に店名は幾度か変更されている。
  2. ^ 5月14日放送[4]、5月21日放送も同様[5]。5月28日放送分から新聞掲載も「サテライトNo.1」として掲載されている[6]
  3. ^ 2000年代に、サテライトスタジオは7階から8階に移動。よしもと紙屋町劇場としても使われている
  4. ^ はしだのりひことエンドレス」のボーカル。1975年から1985年にかけて本番組のアシスタントを担当、のちに柏村と結婚した後(柏村は再婚)一時引退していたが、2015年に歌手活動を再開した。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』 - 238ページ
  2. ^ a b c d e f g 『マスコミ人の裏ばなし』 - 105ページ
  3. ^ 中国新聞 朝刊 ラジオ番組欄 - 1972年5月7日 11ページ
  4. ^ 中国新聞 朝刊 ラジオ番組欄 - 1972年5月14日 10ページ
  5. ^ 中国新聞 朝刊 ラジオ番組欄 - 1972年5月21日 11ページ
  6. ^ 中国新聞 朝刊 ラジオ番組欄 - 1972年5月28日 10ページ
  7. ^ a b c d e f g h 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』 - 239ページ
  8. ^ a b c d e f g h 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』 - 240ページ
  9. ^ a b 『私とデオデオ5 「サテライト No.1」は一生をささげた仕事。もう一度あの番組を新しいデオデオでやってみたい。柏村武昭さん・洋子さん』 - 中国新聞 朝刊 2012年6月8日 24ページ 広告
  10. ^ 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』 - 237ページ
  11. ^ a b c 『マスコミ人の裏ばなし』 - 106ページ

参考文献[編集]

  • 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』(中国放送50年史編さん委員会、2002年)
  • 『マスコミ人の裏ばなし』(広島映画手帖社、1987年)
  • 『中国新聞』(中国新聞社)各バックナンバー