サルマーン・イーサ

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サルマーン・イーサ Football pictogram.svg
名前
本名 サルマーン・イーサ・グローム
Salman Isa Ghuloom
愛称 彷徨えるウィンガー
ラテン文字 Salman Isa
アラビア語 سلمان عيسى
基本情報
国籍 バーレーンの旗 バーレーン
生年月日 (1977-07-12) 1977年7月12日(41歳)
身長 175cm
選手情報
ポジション MF(WG)/DF(WB)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1998 バーレーンの旗 メディナ・イーサ
1998-2004 バーレーンの旗 アル・リファー
2005-2011 カタールの旗 アル・アラビ 67 (9)
2011-2014 バーレーンの旗 アル・リファー
2014-2016 バーレーンの旗 マナーマ
代表歴
2001-2012  バーレーン 156[1] (21)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

サルマーン・イーサアラビア語: سلمان عيسى‎、1977年7月12日 - )は、バーレーンの元サッカー選手。元バーレーン代表。現役時代のポジションはMFもしくはDF

バーレーン代表として歴代最多出場数を保持している選手である。

クラブ歴[編集]

バーレーン・セカンドディヴィジョンのメディナ・イーサで選手となった。このクラブではタラル・ユスフとチームメイトであった。彼はここで活躍、タラル・ユスフと共にアル・リファーSCに移籍。2002-03シーズンにはバーレーン・プレミアリーグ制覇に貢献した。

2004-05シーズンにはこれによって15得点、リーグ得点王に輝き、チームもリーグ、クラウンプリンスカップ双方を制覇した。

AFCアジアカップ2004が終わるとバーレーン代表のメンバーの多くはカタール・スターズリーグのクラブへと移籍となり、彼もまた2004年にモハメド・サルミーンと共にアル・アラビ・ドーハへと移籍したその後アル・リファーに復帰、同クラブのサポーターのヒーローとなった。サポーターは彼をそのサイドでのスピードから「アル・ジャナー・アル・タエル」(彷徨えるウィング)と呼んだ。復帰したアル・リファーでも良いパフォーマンスではあったが、主な起用位置はディフェンダーであった。また、ここで主将を務めた。

代表歴[編集]

AFCアジアカップ2004では怪我のため多くの試合を出場できずに終わったものの、チームは準決勝進出の結果を残した。

2006 FIFAワールドカップ・大陸間プレーオフ・アジア対北中米カリブ海でトリニダード・トバゴ代表から得点をあげた。彼の得点によってバーレーンはアウェーの地ながら優勢となったが、この試合の終了間際にクリストファー・バーチャルが得点した事によって試合は引分に終わった[2]。バーレーンで行われた第2試合ではデニス・ローレンスに得点され、バーレーンは敗北した。

プレースタイル[編集]

彼は疲れ知らずでハードワークをするウィンガーとして知られている。これはアル・リファーでフォワードとして起用されていたタラル・ユスフがアル・クウェートSCに移籍すると彼は前線の選手として起用されるようになった[要出典]

個人成績[編集]

代表での得点一覧

脚注[編集]

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