シャトレーゼホールディングス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社シャトレーゼホールディングス
Chatraise logo.png
種類 株式会社
略称 シャトレーゼHD
本社所在地

日本の旗 日本
400-1508
山梨県甲府市下曽根町3440-1
山梨県食品工業団地内)

北緯35度35分31.9秒東経138度33分47.7秒座標: 北緯35度35分31.9秒 東経138度33分47.7秒
設立 1964年2月
(大和アイス株式会社)
業種 食料品
法人番号 2090001005129
事業内容 持株会社
代表者 齊藤寛(代表取締役社長)
資本金 7,000万円
決算期 3月末日
主要子会社 グループ企業を参照
外部リンク http://www.chateraise.co.jp/
特記事項:1967年12月に「株式会社シャトレーゼ」へ、2010年4月1日に現商号へ商号変更。2010年4月1日に決算期を9月末日から3月末日へ変更。
テンプレートを表示

シャトレーゼホールディングスは、山梨県甲府市に本社を置く食品メーカー「シャトレーゼ」およびその関連会社の持株会社である。

概要・沿革[編集]

創業から1970年代まで
シャトレーゼ発祥の地である「オリオンスクエア」

1954年(昭和29年)、甲府市丸の内のオリオン通り(現在の「オリオンスクエア」)に今川焼き風のお菓子専門店甘太郎(あまたろう)を開店[1]実演販売により焼きたての商品を販売していたことから行列ができるほどに繁盛し[2]1959年(昭和34年)には有限会社甘太郎を設立し、山梨県や長野県に10店舗を出店するまでになる[1]。しかし商品の性質上売れるのは冬場のみであったことから、「有限会社甘太郎」社長の兄である齊藤寛(さいとう ひろし、1934年[2] - )は1964年(昭和39年)に故郷である東山梨郡勝沼町(現在の甲州市)にて大和アイス株式会社(やまとアイス)を設立し、アイスクリームの製造・販売を開始する。当初は大手メーカーに押され儲けが出なかったが、アイスクリームと一緒に研究開発していたシュークリームと組み合わせたシューアイスを10円で販売[2]。この「開発した商品を安く売る」という方針がその後の洋菓子ビジネスに反映されることになる。

その後甘太郎、大和アイス共に成長を続け、1967年(昭和42年)に両社を合併し、シャトレーゼフランス語で「城」を意味する「シャトー」と、「ブドウ」を意味する「レザン」を組み合わせた造語。以降「(旧)シャトレーゼ」)を設立。大和アイス側を存続会社とし、齊藤寛が社長に就任した[1]。一方で大和アイス側に吸収される形となった甘太郎は創業地のオリオン通りから撤退したが、2010年平成22年)に「シャトレーゼオリオン通り店」を出店し[3]2014年(平成26年)まで営業を続けていた。

1980年代から1990年代

合併により設立されたシャトレーゼは安価で商品を提供し、1980年(昭和55年)にはフランチャイズによる店舗展開により首都圏にも進出[1]。また、工場から店舗まで卸売を通さない「工場直売店」を各地に設置すべく準備を始め、1984年(昭和59年)に本社を勝沼町から山梨県によって造成された山梨県食品工業団地に移転し、「本社兼中道工場」を稼働[1]1986年(昭和61年)に千葉県国道16号沿いに「工場直売店1号店」をオープンする[1]。この時期中央自動車道が全線開通したことも功を奏し、首都圏だけでなく全国各地から出店申込が相次ぎ全国展開を進めることになる[1]

1994年(平成6年)ら契約農場から素材を直接仕入れる「ファーム・ファクトリー」に対応するため北巨摩郡白州町(現在の北杜市)に「白州工場」を、店舗増加に対応するため物流センター機能を備えた「豊富工場」が1997年(平成9年)に稼働開始し[1]、北は東北地方から西は中国四国地方まで「直売店」がオープンしていった。

2000年代

20世紀末から21世紀に入ると本来の食品以外の事業にも進出するようになる。まず2000年にこれまで空白地だった北海道に進出し、夕張郡栗山町に宿泊・温泉施設を備えたゴルフ場「シャトレーゼカントリークラブ札幌」がオープン。2002年(平成24年)には経営破綻したソフィアのリゾート施設「札幌テルメ」を買収しシャトレーゼ ガトーキングダム サッポロとして再開[1]。北海道以外にも山梨県にある雪印乳業(現雪印メグミルク)子会社の「雪印ベルフォーレ」の全株式を取得し、シャトレーゼベルフォーレワイナリーを設立[4]。また長野県の南佐久郡川上村にある「八ケ岳ザイラーバレースキー場」を買収し、シャトレーゼスキーリゾート八ヶ岳としてリニューアルオープン[5]。さらに関東地方や甲信越地方のゴルフ場を次々と買収するなど特にリゾート事業に本腰を入れるようになる。

一方で本業の食品事業も同じ時期に山梨県外初の生産拠点である「栗山工場」が稼働開始し、北海道にも店舗が相次いで開店するなど全国展開が進められていった[1]。しかし2004年に発生した金属片混入水道水白濁など食の安全に関わる問題を起こす。これらは(旧)シャトレーゼが主原因ではないものの、昨今の健康ブームによる煽りに加え雪印乳業や不二家など同業他社が相次いで食に関する不祥事を起こしていたさなかの出来事であったため売上が低迷してしまう。これに対し食物アレルギー糖尿病の対策を取り込んだ健康志向の商品を開発するとともにこれまで一族経営だった経営を改め、2008年(平成20年)1月に埼玉高速鉄道の経営再建を手掛けた杉野正を社長に招集した(これまで社長だった齊藤寛は会長に就任)[6]。しかしリゾート事業の進出に積極的だった創業者一族に対しあくまで菓子事業で得た利益は菓子事業に還元すべきと主張する杉野とで対立が発生し、就任わずか5ヶ月の同年6月に杉野は退任[7]。後任には齊藤寛の子である斎藤誠が就任した。一族経営に戻ったシャトレーゼであるが杉野の主張は全面的に否定されたわけではなく、後述のホールディングス化へ繋がることになる。

2008年(平成20年)にはインターネットショッピングサイト「シャトレーゼオンラインショップ」をオープンし、ネット上で予約した商品を直営店で受け取れるだけでなく直営店が存在しない地域にも自宅へ配送することにより手軽にシャトレーゼの商品を食べることができるようになった。2009年(平成21年)には福岡県福岡市に「博多工場」を稼働させ、空白地帯だった九州地方にも進出するようになる。

2010年代

2010年(平成22年)4月、(旧)シャトレーゼは持株会社に移行し、シャトレーゼホールディングスへ商号変更をする[1]。同時に食品専門として新たに設立された「シャトレーゼ」および整理・集約されたリゾート企業3社を傘下とし、各事業の効率化を図った[8]。ホールディングス化後は海外にも進出を開始し、アジア圏に直営店を出店しているほか、2012年(平成24年)にはオランダの菓子メーカーである「メートル・ポール」を買収しオランダ1号店を開店。2015年(平成27年)には九州の菓子メーカーであるさかえ屋を傘下に収め、九州地方の販売強化を図っている。

グループ企業[編集]

国内[編集]

食品事業
リゾート事業

ワイナリー事業[編集]

  • シャトレーゼベルフォーレワイナリー
  • シャトレーゼベルフォーレワイナリー勝沼ワイナリー

海外[編集]

ゴルフ場[編集]

経営破綻したゴルフ場を買収し、各地で運営を行なっている。ここでは札幌シャトレーゼならびにシャトレーゼリゾート八ヶ岳が運営する施設以外のゴルフ場について記載する。

関東
甲信越
  • 都留カントリー倶楽部(山梨県都留市
  • 勝沼ゴルフコース(山梨県甲州市
  • 春日居ゴルフ倶楽部(山梨県笛吹市
  • 甲斐ヒルズカントリー倶楽部(山梨県甲斐市
  • 昇仙峡カントリークラブ(山梨県甲斐市)
東海
海外

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 沿革
  2. ^ a b c 日経スペシャル カンブリア宮殿 2014年11月6日放送
  3. ^ 「オリオン通りにシャトレーゼ出店 創業の地、活性化願い...レストラン併設、ワイン販売も」(2009年9月15日、山梨日日新聞
  4. ^ 「雪印乳業、雪印ベルフォーレの全株式と固定資産をシャトレーゼに売却」(2002年12月2日、日本食糧新聞
  5. ^ 2002年12月21日、山梨日日新聞
  6. ^ 「シャトレーゼ新社長に杉野正氏就任へ」(2007年8月7日、山梨日日新聞)
  7. ^ 「シャトレーゼ、杉野社長が5カ月で辞任 創業家と方針不一致」(2008年6月2日、日本経済新聞
  8. ^ 「シャトレーゼ持ち株会社化  県内初4社傘下、効率化図る」(2010年2月5日、山梨日日新聞)
  9. ^ 「再建中のさかえ屋 シャトレーゼHDが買収」(2015年01月27日、西日本新聞)
  10. ^ シャトレーゼ オランダに海外第一号店 3年後、売上100億円目標(2012年10月5日、産経新聞関西版)