シュトゥットガルト - ハーティンゲン線

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シュトゥットガルト - ハティンゲン線
Verlaufskarte Gäubahn (Stuttgart-Singen).png
基本情報
通称 ゴイ線
現況 営業中
ドイツ
所在地 バーデン=ヴュルテンベルク州
起点 シュトゥットガルト中央駅
終点 ハティンゲン信号場
駅数 32駅
路線記号 4860 (シュトゥットガルト - ホルプ)
4600 (Sバーン緩行線- ロール)
4661 (ホルプ - トゥトリンゲン)
4250 (トゥトリンゲン - ハーティンゲン)
路線番号 740
開業 1868年7月23日
全通 1934年5月15日
所有者 ドイツ鉄道
運営者 ドイツ鉄道
路線諸元
路線距離 148.5 km
軌間 1435 mm (標準軌)
線路数 単線、複線
複線区間 シュトゥットガルト - ホルプ
電化区間 全区間
電化方式 15000 V/16.7 Hz (交流)
架空電車線方式
最高速度 140 km/h
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シュトゥットガルト - ハティンゲン線 (ドイツ語:Bahnstrecke Stuttgart-Hattingen) はシュトゥットガルトからボーデン湖へ向かう、バーデン=ヴュルテンベルク州の鉄道路線である。この路線は1866年から1879年まで王立ヴュルテンベルク邦有鉄道によって建設され、1934年トゥトリンゲン - ハティンゲン(バーデン)間連結線の完工で全通された。現在シュトゥットガルトからチューリヒまでIC列車はこの路線を通じて運行される。ドイツの南西部の貨物輸送部門にもゴイ線は重大な意味をもつ。

沿線概況[編集]

シュトゥットガルト - ハティンゲン線、一名ゴイ線 (Gäubahn) はフランケン線と一緒に北へ向かい、次にその路線と別れ、左の曲線で南へ向かう。列車はシュトゥットガルト市内区間の坂を登ると、シュトゥットガルト・ファイヒンゲン駅と中央駅の高度差は200 mぐらいになる。周辺のシュトゥットガルト盆地 (Stuttgarter Talkessel) の景観の故にこの区間はパノラマ鉄道という名をもって、ドイツで美しい市内区間の一つだと評価される。列車はシュトゥットガルト・ロール駅から西南へ向かい、ボェブリンゲン - ヘレンベルク区間ではショェンブッフ自然公園の側で走行する。オイティンゲン駅までこの路線はゴイ地帯 (Gäu) を貫通する。オイティンゲンからこの路線はネッカ川に沿って、ホルプまで高度は低くなる。ホルプ駅の前には上ネッカ線はこの路線に合流する。

ロトヴァイルで列車はネッカ川から離れ、支流のプリム川に沿って走る。ロトヴァイル - トゥトリンゲン区間は大ホイ山 (Großer Heuberg) の山裾を貫通する。バルクハイムで列車はライン=ドナウ分水界を通過し、ドナウ川支流のファウレン渓流及びエルタ川に沿ってトゥトリンゲン駅に向かう。この路線は南の向こうに続き、ハティンゲン (バーデン) 待避駅でバーデン黒い森線(Badische Schwarzwaldbahn)と合流する。列車はハティンゲンの近郊でライン=ドナウ分水界を再び超えてジンゲン駅に向かう。

ゴイ線は車体傾斜式車両に題して適合になっている。複線区間はシュトゥットガルト - ホルプ間である。オェスターフェルト - シュトゥットガルト・ロール間は中のSバーン線路と合わせて複々線となっている。

歴史[編集]

1866年上ネッカ線 (Obere Neckarbahn) がホルプまで開通された。ネッカ川に沿ってその路線を延伸するのは技術的問題はなかったが、プロイセン領土のホーヘンツォレルンの通過問題の理由でプロイセンの許可が必要だった。1865年3月プロイセンとヴュルテンベルクの間に延伸区間の建設を規律する条約が締結された。1868年7月王立ヴュルテンベルク邦有鉄道のホルプ - ロトヴァイル区間は開通された。

一方バーデン王国との条約でヴュルテンベルクは1865年建設中のバーデン黒い森線をこの路線と接続することを法的に確立した。それでヴュルテンベルクではこの路線の延伸とロトヴァイル - フィリンゲン区間の新設も行われた。1869年7月ロトヴァイル - トゥトリンゲン間の開業は実現された。よく年トゥトリンゲンからドナウ川に沿ってバーデンの境界のイメンディンゲンに至る区間は建設された。この区間の開通で1870年からシュトゥットガルトからボーデン湖の西側まで列車旅行が可能になった。

1873年3月22日の法案でシュトゥットガルト - ヘレンベルク - オイティンゲン - フロイデンシュタット区間の鉄道敷設が決められた。この区間は複雑な線形、最大勾配1:52、多いトンネルで工事するに難い区間であり、鉄道技術者のゲオルク・フォン・モーロク (Georg von Morlok、1815~1896) が設計を担当した。1874年6月1日オイティンゲン旧駅 - ホルプ区間はナーゴリト谷線の全通で既に開業されたが、その目的はホルプとシュトゥットガルトの直接連結ではなかった。ヴュルテンベルク国鉄のシュトゥットガルト - フロイデンシュタット線は1879年9月2日公式的に開通された。

ゴイ線の開通以後シュトゥットガルト - トゥトリンゲン間の走行時間は3時間まで短くなり、1900年から特急列車はシュトゥットガルト - イメンディンゲン区間で毎日3往復で運行された。この路線は貨物輸送で重要な意味を持って、1897年40万トンの商品が輸送されるほどだった。初期にはゴイ地帯から農産物がシュトゥットガルトに送られて、工業の発展で工業生産品もこの路線を通じて運搬された。

第一次世界大戦が終わったあと、1922年10月新しいシュトゥットガルト中央駅が開業された。ドイツ帝国鉄道はシュトゥットガルト市内の経路を変更して、列車の北駅を経由する必要がなくなった。1920年代からヴュリテンベルク自由人民自治州 (freier Volksstaat Würtemberg) はこの路線の複線化と改良を実行した。その目的はベルリン発スイス、イタリア行きの国際列車をゴイ線の経由で運行することとフランスとの交戦時ライン谷線の代わりにこの路線を使って、兵力及び物資輸送を断絶させないことだった。

1934年5月15日トゥトリンゲン - ハティンゲン間連結線は断線で開通された。1941年戦争中で改修作業が中止になるまで、帝国鉄道はオーバーンドルフ (ネッカ) 周辺の2.3 km区間の例外にしてシュトゥットガルト - トゥトリンゲン間を複線化した。その連結線と複線化でシュトゥットガルト - ジンゲン区間の鉄道は効率的になって、列車がイメンディンゲンを経由し、そこで運行方向を変わる必要もなくなった。

1945年2月までゴイ線では大きな破壊はなかったが、連合軍の空襲でヘレンベルク駅舎、ホルプ駅舎、ロトヴァイル駅舎、シュパイヒンゲン駅舎、トゥトリンゲン駅舎は重大な損傷を受けた。ドイツ軍も1945年4月ボェブリンゲンとシュトゥットガルトの間に数々の橋梁を爆破し、終戦まで列車運行は不能となった。1946年5月にやっと列車運行再開ができた。1946年当時エルゲンツィンゲン - ハティンゲン区間はフランスの管理下にあった。フランスは線路の復旧で権利を行使し、ホルプ - トゥトリンゲン区間を単線化した。その区間は現在まで単線である。1950年代末列車運行は戦争前の水準まで回復された。イタリア人労働者の流入でシュトゥットガルト - イタリア間列車は再び運行された。

1963年連邦鉄道は地域輸送の速度向上のためにシュトゥットガルト - ボェブリンゲン区間の電化を行い、1977年ジンゲンまで工事を完了した。1977年から連邦鉄道は列車の速度向上の目的でホルプ - トゥトリンゲン区間の数々の停車場を廃止した。1982年から1983年までオェスターフェルト - ロール区間はSバーン延伸のために複々線で改良された。1985年シュトゥットガルトのシティトンネル (Stuttgarter Verbindungsbahn) はこの路線と結ばれ、Sバーン路線はボェブリンゲンまで延長された。

1991年まで優等列車の便数が8往復に増加して、5便はチューリッヒを経てイタリアの主要都市まで運行された。1999年車体傾斜式のICE415形がこの路線に投入され、2006年に同じ種類の411形に置き換わった。一方1992年12月5日シュトゥットガルトのS1系統がヘレンベルクまで延長された。2003年ホーヘンツォレルン地方鉄道の環状列車路線 (Ringzug) がロトヴァイル - トゥトリンゲン区間に導入された。この二つの路線シスタムは既存の快速列車路線を補足する役割を果たす。それでドイツ鉄道停車場とサーヴィス社 (DB Station&Service) は廃止された停車場を復旧し、新しい停車場を追加した。

運行形態[編集]

  • IC 87: シュトゥットガル - ホルプ - ロトヴァイル - トゥトリンゲン - ジンゲン - チューリッヒ。120分間隔。
  • 快速(RE 7): シュトゥットガル - ボェブリンゲン - ヘレンベルク - ボンドルフ (ヘレンベルク近郊) - オイティンゲン - ロトヴァイル/フロイデンシュタット。120分間隔。使用車両はDB425形電車。ギーセン駅で二つ編成の列車は分割・併合される。
  • 普通(HZL): ロトヴァイル - シュパイヒンゲン - トゥトリンゲン - イメンディンゲン - ブルムベルク・ツォルハウス。
  • Sバーン (S1、S11) : キルヒハイム (テク) - プロヒンゲン - バート・カンシュタット - シュトゥットガルト - シュヴァープ街 - ファイヒンゲン - ローア - ホェーフリンゲン - ヘレンベルク。15/30分間隔。使用車両はDB430形電車。
  • Sバーン (S81) : ボンドルフ (ヘレンベルク近郊) - オイティンゲン (ゴイ) - フロイデンシュタット - フォルバッハ (シュヴァルツヴァルト) - ラシュタット - カールスルーエ・トゥラ街。120分間隔。

参考文献[編集]

  • Georg Fladt-Stähle: Stuttgarter Balkon. 125 Jahre Gäubahn. In: LOK MAGAZIN, Nr. 281, 2005. S. 84-91, ISSN 0458-1822. (ドイツ語)
  • Richard Leute: Die Geschichte der Eisenbahnen in Raum Tuttlingen. In: Tuttlinger Heimatblätter, Nr. 46 (1983), S. 46-62. (ドイツ語)
  • Frank von Meißner: Magistrale im Verkehrsschatten: Die Gäubahn Stuttgart-Singen. In: Eisenbahn-Kurier, Nr. 9, 2004, S. 36-41, ISSN 0170-5288. (ドイツ語)
  • Hans-Wolfgang Scharf, Burkhard Wollny: Die Gäubahn von Stuttgart nach Singen. Freiburg im Breisgau 1992, ISBN 3-88255-701-X. (Hauptquelle, auf der der Artikel ganz überwiegend beruht). (ドイツ語)