シンエイ動画

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テレビ朝日 > シンエイ動画
シンエイ動画株式会社
SHIN-EI ANIMATION Co., Ltd.
Shin-Ei Animation logo.png
シンエイ動画本社
本社ビル(東京都西東京市田無町)
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
188-0011
東京都西東京市田無町三丁目9番21号
北緯35度43分45.58秒 東経139度32分30.9秒 / 北緯35.7293278度 東経139.541917度 / 35.7293278; 139.541917座標: 北緯35度43分45.58秒 東経139度32分30.9秒 / 北緯35.7293278度 東経139.541917度 / 35.7293278; 139.541917
設立 1976年(昭和51年)9月9日
(シンエイ動画株式会社)
(創立:1965年(昭和40年)12月(Aプロダクション))
業種 情報・通信業
法人番号 9012701002249 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーションの企画・制作
代表者 代表取締役社長 梅澤道彦
資本金 1億円(2020年3月31日現在)[1]
発行済株式総数 160,000株
純利益 8億6500万円(2020年3月期)[1]
総資産 69億3200万円
(2020年3月31日現在)[1]
従業員数 101名(2021年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 株式会社テレビ朝日 100%
主要子会社 有限会社SynergySP
関係する人物 楠部大吉郎(創業者)
外部リンク www.shin-ei-animation.jp ウィキデータを編集
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シンエイ動画株式会社(シンエイどうが、: SHIN-EI ANIMATION Co., Ltd.)は、日本アニメ制作会社テレビ朝日の子会社。日本動画協会正会員。

概要[編集]

代表作に、テレビアニメドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日系)[注釈 1]、劇場用長編アニメ『ドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』シリーズがある。また作画工程のみを他社から請け負う事業も行っている。2010年より、テレビ朝日の完全子会社となっている。シンエイ動画は1965年(昭和40年)12月に創立された有限会社エイプロダクション(通称: Aプロダクション)が前身で、Aプロダクションは東京ムービーと業務提携し、その制作担当として活動していた。

社名の由来

「シンエイ」の由来は、楠部大吉郎によると、「新生Aプロ」、「しいAプロダクション」という意味であり、新鋭という意味だとは説明していない[2][3]。発足時にシンエイ動画役員を務めた大塚康生も、自身の著書で新生Aプロという意味だと記している[4]。公式サイトでは「新しいAプロ=『新A』」、そして「アニメ界の『新鋭』でありたい」と伝えている[5]。新しく作られたロゴタイプは、シンエイの「A」に漫画風の頭と手を付けた、マスコットキャラクターの様なデザインとなっている。楠部大吉郎デザインのこのキャラクターの名前は「エーちゃん」である[6]

歴史[編集]

Aプロダクション時代[編集]

Aプロダクション(以下Aプロ)の名前は、「最初の文字であるA、エースという意味などで何となくつけた」という(創立者・楠部大吉郎の弁)[2]

テレビアニメの黎明期に人形劇団出身者によって創立された東京ムービーがテレビアニメ『ビッグX』で経営危機に陥り、その失敗を踏まえて制作体勢を整えようとした。そこで当時の東京ムービーの社長であった藤岡豊が東映動画(現:東映アニメーション)から独立したアニメーター、楠部大吉郎に声をかけたことが創立のきっかけだった。そして楠部は、東映動画の新人アニメーターだった芝山努小林治に声をかけ、少し遅れて椛島義夫森下圭介の2人が楠部らに合流して計5人が創立メンバーとなり、Aプロは渋谷区代々木にその拠点を構えた。

東京ムービーは営業を担当し、Aプロは制作担当として業務提携(資本関係なし)という形をとった。そして楠部の弟である楠部三吉郎は東京ムービーに入社し、制作管理スタッフとして兄の大吉郎を支えた。やがて東映動画も劇場長編アニメから新人を中心としたテレビアニメ制作へと方向転換を始めると、東映動画の長編スタッフ、中堅のスタッフが続々とAプロへ移籍して来る。これら移籍組の小山礼司、吉田茂承大塚康生宮崎駿高畑勲小田部羊一らと、定期採用で育成された当時の新人、中村英一といったアニメーターや演出家が、東京ムービーの代表作である『オバケのQ太郎』『巨人の星』『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』『ど根性ガエル』『荒野の少年イサム』『天才バカボン』など、数多くの作品を手掛けた。

作画・演出スタッフの他に美術部門・仕上げ部門も擁して、最盛時にはテレビアニメ5作品の同時制作を誇っていた。しかし1974年(昭和49年)に楠部大吉郎が病気で1年間療養したこと、更に東京ムービーの藤岡が日本市場への関心を失い、アメリカ市場開拓のために奔走しているうちに東京ムービー製作作品の本数が減少した。こうした背景と経営の危機を迎えたことで実制作のみの体制に限界を感じた楠部は自社で企画・制作をする会社にするため、1976年(昭和51年)の『元祖天才バカボン』を最後に東京ムービーとの提携を円満解消して独立。こうしてAプロは、1976年(昭和51年)9月9日に社名を「シンエイ動画株式会社」に変更、改組した[7]

シンエイ動画時代[編集]

こうして再出発したシンエイ動画は、社屋を田無市[注釈 2]北原町へと移転、その際には仕上部門を切り離し作画スタッフも大幅に削減して、経営をスリム化している。この時に独立した作画スタッフが設立したものが亜細亜堂等のスタジオである。なお、小山礼司が率いた美術部門は、小山が独立した形で早くに廃している。そして東京ムービーに在籍していた楠部三吉郎は専務取締役としてシンエイ動画へと移籍。兄の大吉郎と共に経営を支えた。またAプロからシンエイ動画として独立した記念として、東京ムービーが持っていた『ドラえもん』の映像化権を藤岡から譲渡されたという逸話がある[4]

東京ムービーから独立後のデビュー作は、PR用の短編映画『草原の子テングリ』(1977年)。しばらくは他社のグロス請けなどをこなしたのち、1979年にはテレビアニメ『ドラえもん』を苦心の末、再びアニメ化にこぎ着ける。このシンエイ版『ドラえもん』の成功が、シンエイ動画の経営上の礎となった。

旧社屋。窓側にドラえもんが陣取っており「ドラえもんビル」の愛称で親しまれた。現在は社会福祉法人檸檬会が運営する保育園「レイモンドたなしほいくえん」となっている(2006年12月撮影)。

そして業務拡大のため、1982年には社屋を田無市南町に移転。一部のスタッフは旧スタジオに残り、あにまる屋(現: エクラアニマル)を設立した。そして1980年代を中心に数多くの藤子不二雄作品や『月刊コロコロコミック』連載作品などを中心に次々とアニメ化。これらはテレビ朝日系を中心に放映された。1992年には田無市本町[注釈 3]に社屋を新築し移転。この青い塗装のビルは同社の経営を支えた『ドラえもん』に感謝を込め『ドラえもんビル』という愛称[8]がある。同年にはテレビアニメ『クレヨンしんちゃん』がスタート。

2003年1月には、テレビ朝日がシンエイ動画の10%の株式を取得し、資本提携する。2009年4月よりテレビ朝日がシンエイ動画の株式の大半を取得し、テレビ朝日の連結子会社になった[9]。新社長は岩永惠に、楠部三吉郎は代表取締役会長へ就任した。2010年10月15日、楠部三吉郎が保有する株式をテレビ朝日が追加取得したことにより、テレビ朝日の100%子会社となった[10][注釈 4]。2002年からテレビ朝日ケーブルテレビスカパー!スカパー!e2他で展開する通信衛星テレビ放送局・「テレ朝チャンネル」で、シンエイ動画製作作品(初回放送時にテレ朝系列でない作品を含む)を集中的に取り上げる「シンエイアニメシアター」という番組が毎日放映されている。

2009年11月には旧社屋の北西方向、東京都道5号新宿青梅線旧道(青梅街道)沿い(西東京市田無町3丁目)に青い塗装の新社屋を落成、入居を開始した。旧社屋はしばらく空きテナントとなっていたが、2011年(平成23年)に社会福祉法人檸檬会がビルを借り上げ、「レイモンドたなしほいくえん」に転用された。

2012年7月、代表取締役社長に梅澤道彦常務が昇格し就任した。また別紙博行専務が代表取締役専務に昇格した。社長の梅澤は前任の岩永同様にテレビ朝日からの出向である。

2015年、別紙博行が代表取締役を退任し、梅澤道彦が単独で代表取締役を務める。

2016年にはアスミック・エーストムス・エンタテインメントジェイアール東日本企画住友商事と共にアニメ製作プロジェクトチーム「あにめのめ」を立ち上げる。シンエイ動画はトムスと共同でアニメ企画・制作を担当し、2018年の枠消滅まで『笑ゥせぇるすまんNEW』『からかい上手の高木さん』など5作品を手掛けた。

2017年4月、SynergySP子会社化。同社の代表は元取締役・チーフプロデューサーの増子相二郎が就任した[11]

2021年1月、初のストップモーション・アニメーションである「PUI PUI モルカー」の放送が開始[12]

劇場作品[編集]

シンエイ動画に改組してからの事実上の劇場デビュー作は、1980年(昭和55年)3月公開の『ドラえもん のび太の恐竜』である[注釈 5]東宝の配給で同時上映は、『モスラ対ゴジラ』だった。東宝の番組ラインとしては、1978年まで学校の休み期間中に上映していたゴジラ映画と短編のテレビアニメ数本を上映する東宝チャンピオンまつりの流れを汲むもので[13]、当初は長編ではない予定だったが、原作者の藤子・F・不二雄から「僕の中では90分ないと映画とは呼べない」という要望を受けてオリジナルの新作長編映画として制作された[14][15]。以後、短編-中編の藤子作品の併映作と共に、毎年3月の春休み映画として『ドラえもん』の劇場版が上映されるようになった。1980年代に多く行われていた藤子アニメ三本立て興行は、1990年代以降、影を潜めた。しかし、『ザ・ドラえもんズ』といった30分の短編と長編『ドラえもん』のセットは2004年まで続いた。映画『ドラえもん』シリーズは、2005年(平成17年)からのテレビシリーズ全面リニューアルの影響でその年は作られず、2006年(平成18年)から再び上映されるようになった。また、これを機に短編作品は作られなくなった。

『クレヨンしんちゃん』も『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』が作られ、1993年夏に映画初登場。1994年以降は毎年春にシリーズ上映されている。

また、1981年夏の『21エモン 宇宙へいらっしゃい!』と『ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ』の同時上映、2003年冬の『あたしンち』は、シリーズ上映の予定があったとされる。前者はシリーズ化されればドラえもんをサブに置き、他の作品をメインに上映する形になる予定であった。[要出典]

これまでシンエイ動画制作の劇場アニメは、テレビシリーズの映画化が中心だったが、2007年の『河童のクゥと夏休み』(監督: 原恵一)は、改組後初めての劇場オリジナル作品となった。

CG・デジタル制作[編集]

CGの導入はかなり早く、1983年に特番『ドラえもん・ヨーロッパ鉄道の旅』で最初に使用し、翌1984年公開の映画『ドラえもん のび太の魔界大冒険』の予告編でもコンピューターを駆使して制作したと謳われた。この頃のCGは他社に外注の上で制作された。

1990年代に入ると、アニメーターの堤規至が『クレヨンしんちゃん』の特番用アバンタイトルにCGを取り入れ、やがて彼を中心にCGI班が立ち上がり、シンエイ動画社内でも制作されるようになった。

しかし、1990年代後半から始まったアニメ業界のデジタル制作(デジタルペイント・デジタル撮影)化の波が押し寄せる中においても、仕上や撮影などの多くの作業を外注化していることから基本的にはセルアニメでの制作を堅持し続け、デジタル制作はあくまでも部分的使用に留まっていた。

2001年、外注スタジオのデジタル制作対応に伴い『ジャングルはいつもハレのちグゥ』でフルデジタル制作を本格的に開始。その流れに伴って2002年になってから他の作品もデジタルでの制作へと完全に移行した。

また、2005年4月以降は地上デジタル放送対応に伴い、全てのテレビ作品がハイビジョン制作されるようになったが、ローカルセールスだった『あたしンち』のみハイビジョン化が2006年4月8日まで持ち越しとなった。

作品履歴[編集]

Aプロダクション時代[編集]

テレビシリーズ[編集]

開始年 放送期間 タイトル 備考
1965年 8月 - 1967年6月 オバケのQ太郎
1967年 4月 - 1968年4月 パーマン 共同制作:スタジオ・ゼロ
7月 - 1968年12月 コメットさん 第1期(ドラマ)
実写合成
アニメ作画
1968年 3月 - 1971年9月 巨人の星
4月 - 1969年3月 怪物くん 共同制作:スタジオ・ゼロ
1969年 4月 - 9月 ウメ星デンカ
10月 - 1970年12月 ムーミン 1 - 26話まで
12月 - 1971年11月 アタックNo.1
1971年 2月 - 3月 珍豪ムチャ兵衛
9月 - 1972年6月 天才バカボン
9月 - 1972年12月 新オバケのQ太郎
10月 - 1972年3月 ルパン三世
1972年 4月 - 1973年3月 赤胴鈴之助
10月 - 1974年9月 ど根性ガエル
1973年 3月 - 9月 ジャングル黒べえ
4月 - 1974年3月 荒野の少年イサム
4月 - 9月 ドラえもん (日本テレビ版) 各話制作協力
制作元請:日本テレビ動画
10月 - 1974年3月 エースをねらえ!
10月 - 1974年9月 侍ジャイアンツ
空手バカ一代
1974年 4月 - 9月 柔道讃歌
10月 - 1976年3月 はじめ人間ギャートルズ
1975年 4月 - 9月 ガンバの冒険
10月 - 1977年9月 元祖天才バカボン

劇場映画[編集]

公開年 タイトル 備考
1966年 喜劇 駅前漫画 東京映画
実写合成(アニメ作画)
1969年 - 1970年 巨人の星 TVシリーズ再編集
1970年 - 1971年 アタックNo.1
1972年 パンダコパンダ
1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻

シンエイ動画時代[編集]

テレビシリーズ[編集]

放送期間 タイトル 備考
1977年-1978年 おれは鉄兵 企画・制作:日本アニメーション
制作担当
1977年-1979年 野球狂の詩 制作元請:日本アニメーション
各話制作協力
1978年 一球さん 企画・制作:日本アニメーション
制作担当
1979年-2005年 ドラえもん(テレビ朝日版第1期)
1979年 日本名作童話シリーズ 赤い鳥のこころ
1980年-1982年 怪物くん[新]
1981年-1987年 忍者ハットリくん
1982年 ゲームセンターあらし 制作協力:土田プロダクション
1982年-1984年 フクちゃん
1983年-1985年 藤子不二雄劇場 パーマン
1984年 オヨネコぶーにゃん
1985年-1988年 プロゴルファー猿 制作協力:スタジオディーン
1985年-1987年 藤子不二雄劇場 オバケのQ太郎
1987年-1989年 エスパー魔美
1987年-1989年 ウルトラB
1988年-1989年 つるピカハゲ丸くん
1988年 新プロゴルファー猿 制作協力:スタジオディーン
1988年-1989年 ビリ犬
1988年-1992年 美味しんぼ
1989年-1992年 おぼっちゃまくん
1989年 ビリ犬なんでも商会 制作協力:スタジオディーン
1989年-1992年 笑ゥせぇるすまん
1989年-1991年 チンプイ
1990年-1991年 ガタピシ
1990年 藤子不二雄の夢魔子
八百八町表裏 化粧師
1991年 どろろんぱっ!
1991年-1992年 21エモン
1992年- クレヨンしんちゃん
1992年 さすらいくん
1997年-1998年 忍ペンまん丸
1998年 ヨシモトムチッ子物語
1999年-2001年 週刊ストーリーランド 各話制作
2000年 激動!歴史を変える男たち 〜アニメ静岡県史〜 静岡県ローカル
2001年 ジャングルはいつもハレのちグゥ[16]
2002年-2009年 あたしンち
2005年- ドラえもん(テレビ朝日版第2期)
2009年-2010年 ご姉弟物語
2010年-2011年 スティッチ! 〜ずっと最高のトモダチ〜
2012年 エリアの騎士 制作協力:アセンション
2012年-2014年 黒魔女さんが通る!!
2013年- インド版 忍者ハットリくん 共同制作:リライアンス・メディア・ワークス
2014年 となりの関くん
2014年 デンキ街の本屋さん
2014年-2016年 怪盗ジョーカー
2015年-2016年 新あたしンち
2016年 甘々と稲妻 企画協力
2016年-2017年 TRICKSTER -江戸川乱歩「少年探偵団」より- 共同制作:トムス・エンタテインメント
2017年 笑ゥせぇるすまんNEW
妖怪アパートの幽雅な日常 制作協力:SynergySP
ふるさとめぐり 日本の昔ばなし 制作元請:トマソン
各話制作協力
2018年 からかい上手の高木さん[17]
2018年-2020年 ポチっと発明 ピカちんキット 共同制作: オー・エル・エム
制作協力:SynergySP
2019年 少年アシベ GO! GO! ゴマちゃん(第4期) 共同制作:studioぱれっと
からかい上手の高木さん2
2020年 八男って、それはないでしょう! 制作協力:SynergySP
アニメ カピバラさん 共同制作: レスプリ
2021年 アイドールズ! 共同制作:レイ
PUI PUI モルカー 共同制作:ジャパングリーンハーツ
ストップモーション・アニメーション
すばらしきこのせかい The Animation 共同制作: ドメリカ
ましろのおと
iiiあいすくりん 共同制作:TIA
2022年 カッコウの許嫁 共同制作:SynergySP

TVスペシャル[編集]

放映年 タイトル 備考
1980年 ドラ・Q・パーマン ドラえもんの特番枠で放映
1980年- 大晦日だよ!ドラえもん
1981年-1982年 怪物くん
1982年 プロゴルファー猿
1985年 三国志
1986年 Mr.ペンペン
Mr.ペンペンII
三国志II 天翔ける英雄たち
1992年 内田春菊の呪いのワンピース
美味しんぼ 究極対至高長寿料理対決
笑ゥせぇるすまんスペシャル
1993年 笑ゥせぇるすまん 春の特大号
笑ゥせぇるすまん 年忘れ特大号
美味しんぼ 日本コメ戦争
1994年 景山民夫のダブルファンタジー
中崎タツヤスーパー ギャグシアター
2002年 ウミガメと少年 戦争童話集シリーズ
2003年 凧になったお母さん
2004年 小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話
2005年 ぼくの防空壕
2006年 焼跡の、お菓子の木
2007年 ふたつの胡桃
2008年 キクちゃんとオオカミ
2009年 青い瞳の女の子のお話
2006年 白い恋人 北海道ローカル

OVA[編集]

発売年 タイトル 備考
2002年-2003年 ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス
2003年-2004年 ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL
2014年 みんなのどうよう
2015年 やっぱり海が好き 制作協力:SynergySP
2017年 やっぱり海が好き2
2019年 やっぱり海が好き3

Webアニメ[編集]

配信年 タイトル 備考
2010年 なんちゃって! シンエイぷちアニ劇場
ポテッコベイビーズ
西武鉄道駅員タコちゃん[注釈 6][18]
2015年 アニメで分かる心療内科 制作はFor All名義[注釈 7]
2016年 クレヨンしんちゃん外伝 エイリアン vs. しんのすけ Amazonプライム・ビデオにて配信。
クレヨンしんちゃん外伝 おもちゃウォーズ
2017年 クレヨンしんちゃん外伝 家族連れ狼
クレヨンしんちゃん外伝 お・お・お・のしんのすけ
2019年 ぬるぺた ニコニコ動画などで先行配信。
制作協力:アセンション
SUPER SHIRO Abema TVビデオパスで配信。
企画・製作・各話制作協力。
制作元請:サイエンスSARU
2021年 スーパー・スパイ・ライアン 日米合作。
Amazonプライム・ビデオにて配信。

劇場映画[編集]

公開年 タイトル 備考
1980年-2004年/2006年- ドラえもん
1981年 21エモン 宇宙へいらっしゃい!
ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ
1982年 怪物くん デーモンの剣
1982年-1983年 忍者ハットリくん
1983年、2003年-2004年 パーマン
1984年 忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ
1985年 忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵
1986年-1987年 プロゴルファー猿
オバケのQ太郎
1988年 エスパー魔美 星空のダンシングドール
ウルトラB ブラックホールからの独裁者B・B!
県立海空高校野球部員山下たろーくん
1989年、1991年、1993年-1994年 ドラミちゃん
1990年 チンプイ エリさま活動大写真
1992年 21エモン 宇宙(そら)いけ!裸足のプリンセス
1993年- 映画クレヨンしんちゃんシリーズ
1994年 ウメ星デンカ 宇宙の果てからパンパロパン!
1996年-2002年 ザ・ドラえもんズ
1998年-2002年 ドラえもん 感動シリーズ
2003年 映画 あたしンち
2007年 河童のクゥと夏休み
2010年 劇場版3D あたしンち 情熱のちょ~超能力♪ 母 大暴走!
2014年 パロルのみらい島
STAND BY ME ドラえもん
2017年 ゴーちゃん。〜モコとちんじゅうの森の仲間たち〜 制作協力:SynergySP
2018年 ゴーちゃん。〜モコと氷の上の約束〜
2021年 とびだせ!ならせ! PUI PUI モルカー

パイロットフィルム・未放映作品[編集]

  • ドラえもん 勉強部屋のつりぼり (1978年)
    • 1979年10月3日放送のテレビシリーズ秋特番で放送された。2004年発行の雑誌「ぼくドラえもん」創刊号の付録DVDおよび2009年発売のDVD-BOX「ドラえもん タイムマシンBOX 1979」に映像が収録されている。
  • うわさの姫子
    • パイロットフィルム製作後に原作サイドとの衝突により製作中止。「CONTINUE」(太田出版)No.30「『うわさの姫子』作者 藤原栄子先生ロングインタビュー」にこのパイロット版のセル画が掲載されている。また同誌によれば、姫子の声は杉山佳寿子が担当していたと言う。
  • エスパー魔美
    • 芝山努がコンテを担当。テレビシリーズとは異なり、荘真由美が魔美を演じた。テレビシリーズ放送開始前の予告編でいくつかのシーンが使用された。2007年発売のDVD-BOX上下巻購入特典の非売品DVDおよび2014年発売の「アニメ『エスパー魔美』アニバーサリーDVD-BOX」に収録されている。
  • ウメ星デンカ
  • ミラ・クル・ワン - 米たにヨシトモが監督を務めた。
  • プリンスデモキン
  • あまいぞ!男吾 - 2002年に英知出版「トラウママンガブックス」レーベルから発行された原作漫画の復刻版の巻頭に、このパイロット版の図版がカラーで掲載されている。
  • ジャングルはいつもハレのちグゥ - 後にDVD特典映像として収録された。

その他[編集]

関連人物[編集]

アニメーター・演出家[編集]

プロデューサー[編集]

  • 山田俊秀(常務取締役制作本部長)
  • 杉山登(執行役員、テレビ朝日より出向)
  • 大金修一
  • 馬渕吉喜
  • 廣川浩二
  • 吉田有希
  • 荒木元道
  • 山崎智史
  • 永田雄一
  • 中島進
  • 長南佳志
  • 中村和喜
  • 國安真一
  • 天野賢
  • 河西麻利子
  • 近藤慶一
  • 加賀山悠

その他[編集]

  • 入江武彦(取締役管理本部長)
  • 西川由香里(営業)
  • 櫻井洋介(制作デスク)
  • 落合竜太郎(制作デスク)
  • 岡野孝規(制作デスク)
  • 紙谷泰吏(制作デスク)
  • 谷澤吉紀(制作デスク)
  • 篠田宇俊(制作デスク)
  • 佐藤創太(制作デスク)
  • 北野巧(設定制作)
  • 鈴木裕介(設定制作)
  • 小笠原卓也(設定制作)
  • 柏原健二(元制作デスク、データ管理)
  • 金井浩(文芸)
  • 堤規至(元アニメーター、CGIクリエイターに転向)
  • 松谷早苗(色彩設計)
  • 堀越智子(色彩設計)
  • 蝦名佳代子(色彩設計)
  • 今泉ひろみ(色彩設計)
  • 戸部弥生(色彩設計)

アニメーター以外の出身者[編集]

  • 楠部大吉郎(創業者、故人)
  • 楠部三吉郎(2代目代表取締役社長、名誉会長、故人)
  • 小山礼司(美術)
  • 保田道世(色彩設計、故人)
  • 近藤浩子(色彩設計、旧姓:山浦、近藤喜文夫人)
  • 吉田茂承(元演出家、水彩画家に転向)
  • 南正時(Aプロダクション時代に在籍、鉄道写真家に転向)
  • 別紙壮一(プロデューサー、東京世田谷ロータリークラブ会員)
  • 真田芳房(プロデューサー、あにまる屋(現:エクラアニマル)創業者、故人)
  • 真保裕一(元演出家、作家に転向)
  • もとひら了(元脚本家、僧侶に転向)
  • 吉岡たかお(脚本家)
  • 小松崎康弘(脚本家)
  • 水出弘一(脚本家)
  • 岩崎ヨーコ(アニメーション作家、イラストレーター)
  • 和田泰(プロデューサー)
  • 山川順一(プロデューサー)

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 設立から現在まで自社で著作権を保有する作品ではフジテレビ系との取引は一切無い。ただし、Aプロダクション時代からシンエイ動画初期に製作業務に参加した作品はあった。
  2. ^ 現在の西東京市
  3. ^ 現: 西東京市田無町2丁目
  4. ^ テレビ朝日はアニメでは元々、同局の前身・日本教育テレビ(NETテレビ)の設立母体の一つである東映の傘下企業かつ創業者・楠部の出身企業である東映アニメーション(旧東映動画)との作品を中心としていたが、『ドラえもん』の成功以降順次シンエイ動画中心へと変化していき、一時東映アニメーションとの全国ネット作品が途絶えることもあった。このため、東映アニメーションは在阪準キー局・朝日放送(ABC)と組むことでテレビ朝日系列における全国ネット作品を維持することになったが、シンエイの前身・Aプロダクションがかつて朝日放送と近い関係にあった経緯(後述)を踏まえると、結果的にアニメ枠に関してはNETテレビ→テレビ朝日・朝日放送と東映動画→東映アニメーション・シンエイ動画の取引関係が逆転することになった。朝日放送が1975年3月30日にそれまでNETテレビ系列だった毎日放送(MBS)とネットチェンジするまで東京ムービーの設立母体であるTBSテレビ旧法人系列関係だった経緯もあり、Aプロダクションは東京ムービーを通じて朝日放送・毎日放送・読売テレビ(YTV)とも比較的親密な関係だった。
  5. ^ Aプロ時代には東宝チャンピオンまつりで上映された短編の『パンダコパンダ』シリーズがある。シンエイ動画になってからも1977年に21分の『草原の子テングリ』があったが、PR映画であり一般の配給網には乗らなかった。
  6. ^ 本社最寄の田無駅を舞台に新人駅員「タコちゃん」の奮闘を描く。西武鉄道とのコラボレーション。
  7. ^ hulu - アニメで分かる心療内科(2015年2月14日閲覧)ではスタジオ名が「シンエイ動画」と表記されている他、同作の公式サイトのドメインをシンエイ動画が取得している。

出典[編集]

  1. ^ a b c 第44期決算公告、2020年(令和2年)7月16日付「官報」(号外第149号)73頁。
  2. ^ a b 『アニメージュ』1985年1月号、徳間書店、p.62。楠部大吉郎インタビューでの本人の証言。
  3. ^ 『アニメージュ』2000年5月号、徳間書店(小黒祐一郎「第19回 渡辺歩」『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』飛鳥新社、東京、2006年、312ページ。ISBN 4-87031-758-3。2010年12月13日閲覧。)。当時シンエイ動画社員の渡辺歩が楠部から説明されたという証言。
  4. ^ a b 『リトル・ニモの野望』p.55。
  5. ^ 会社沿革」 シンエイ動画公式サイト
  6. ^ キクちゃんとオオカミ ブログパーツ シンエイ動画公式サイト
  7. ^ 『アニメージュ』1985年1月号、徳間書店、p.59
  8. ^ ぼく、ドラえもん』3巻、p32
  9. ^ シンエイ動画株式会社の株式取得による連結子会社化のお知らせ」 テレビ朝日 IRニュース、2008年10月2日
  10. ^ シンエイ動画株式会社の100%子会社化のお知らせ」 テレビ朝日 IRニュース、2010年10月6日
  11. ^ SynergySP About
  12. ^ シンエイ動画がパペットのTVアニメシリーズ、映画祭常連の見里朝希監督を起用
  13. ^ 「スクリーンにかかったテレビアニメーション 東宝チャンピオンまつり」『キネ旬ムック 動画王 Vol.7』キネマ旬報社、1998年、p131
  14. ^ 白石雅彦編著『平成ゴジラ大全1984~1995』双葉社、2003年、p38
  15. ^ 原恵一、浜野保樹編著『アニメーション監督 原恵一』晶文社、2005年、p31
  16. ^ ジャングルはいつもハレのちグゥ : 作品情報”. アニメハック. 2020年12月2日閲覧。
  17. ^ からかい上手の高木さん : 作品情報”. アニメハック. 2020年5月13日閲覧。
  18. ^ ~特命!沿線ご案内係~「西武鉄道駅員タコちゃん」発進! (PDF, 西武鉄道・シンエイ動画 2011年4月14日)

参考文献[編集]

  • アニメージュ』(1985年1月号、徳間書店) - Aプロダクション特集。楠部大吉郎インタビュー。
  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改定版』徳間書店、2001年
  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店、2004年
  • 「楠部大吉郎ロングインタビュー」『キネマ旬報別冊 動画王 Vol.07』キネマ旬報社、1998年
  • 「近藤喜文さんがAプロで過ごした青春時代」『アニメージュ』徳間書店、1998年4月号
  • 大塚康生、森遊机『大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』実業之日本社、2006年

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関連項目[編集]