シンコウラブリイ

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シンコウラブリイ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1989年2月2日
死没 2011年12月5日(22歳没)
Caerleon
ハッピートレイルズ
母の父 ポッセ
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産 B. R. ファイアストン夫妻
馬主 安田修
調教師 藤沢和雄美浦
競走成績
生涯成績 15戦10勝(中央競馬
獲得賞金 5億2790万円
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シンコウラブリイは、日本競走馬である。1991年から1993年にかけて中央競馬の短中距離路線で牡馬と互角の勝負を繰り広げた。主戦騎手岡部幸雄調教師藤沢和雄に初の重賞GI制覇をもたらした競走馬である。

馬齢は当時の表記にあわせ数え年にて記載(ただしテンプレート内は現在の年齢表記)

競走馬時代[編集]

1991年[編集]

新馬戦、福島3歳ステークスを連勝し、牝馬限定戦にリニューアルした阪神3歳牝馬ステークスに出走するもニシノフラワーの3着。

1992年[編集]

外国産馬であったため当時は桜花賞優駿牝馬(オークス)の出走権がないことから、優駿牝馬前日のカーネーションカップ(当時は4歳牝馬限定のオープン特別)に出走するも、ここで生涯最低着順となる6着に敗退する。なお、同レースの前に砂浴びをした際に自らの脚で蹄底に傷をつけてしまったものの、当時は春闘の厩務員ストライキとの関係から適切な治療が行えず、傷が治る前にレースに出走させざるを得なかったという裏話が後日明かされている[1]

蹄底の傷が癒えたニュージーランドトロフィー4歳ステークスではヒシマサル、エーピージェット、サクラバクシンオーといった牡馬の有力馬を相手に快勝する。これはシンコウラブリイ、藤沢にとっても初の重賞制覇であった。その後もラジオたんぱ賞クイーンステークス(当時はエリザベス女王杯のトライアルレースとして中山競馬場2000mで開催)と重賞3連勝を達成する。

クイーンステークス後は、藤沢の考えでジャパンカップを目指す事になる。その後エリザベス女王杯と同日に行われた富士ステークスに出走し勝利を収めたが、勝ち方から2400mは持たないと藤沢は判断し、急遽登録だけに留める予定だったマイルチャンピオンシップに連闘で出走する。1番人気に支持されるもダイタクヘリオスに逃げられて2着に敗れる。その後は、安田記念を目標に休養に入る。

1993年[編集]

明けて1993年、休み明けの京王杯スプリングカップで圧倒的1番人気に押されるもヤマニンゼファーの2着、続く安田記念はライバルのニシノフラワーにこそ先着したが、前走に続きヤマニンゼファー、さらにイクノディクタスにも先着され3着に敗れる。その後は休養前の北海道輸送を兼ねて札幌日経オープンに出走し、圧倒的な1番人気に応えて快勝する。このときの単勝配当が100円元返しであったのに対して2,3着に人気薄が入ったため複勝は110円というねじれ現象が起きた。

秋は毎日王冠に出走し、セキテイリュウオー以下を抑えて勝利、なお、この毎日王冠には続く天皇賞(秋)を勝つヤマニンゼファーも出走していた(6着)[2]。しかし、外国産馬である事から天皇賞には出走できない為スワンステークスに出走する。雨の重馬場となったがここも勝利した。

そして前年2着に敗れたマイルチャンピオンシップに出走。レース直前に京都競馬場に激しいにわか雨が降りドロドロの不良馬場になったが馬場を問題とせず快勝する。これは藤沢にとっても初のGI勝利であった。 また鞍上の岡部にとって、牝馬でのGI勝利はこれが最後となった。

このGI勝利で牝馬収得賞金額1位(当時)となりこれを最後に引退した。さらにこの年のJRA賞最優秀5歳以上牝馬(部門名は当時)を受賞。

繁殖牝馬として[編集]

引退後は大樹ファームに繋養され、ロードクロノス、レディベローナの2頭の仔を産んだ後、1996年からは安田オーナーが用意したシンコーファームに繋養されていた。多くの産駒がロードホースクラブの所有馬になっている。2011年ディープスカイの牝馬を生んだのを最後に繁殖から引退。以後は同ファームで余生を送っていたが、蹄葉炎のため同年12月5日に死亡した[3]

産駒[編集]

騎手[編集]

  • 岡部幸雄…下記を除く全レース
  • 橋本広喜…新馬戦
  • 坂本勝美…福島3歳ステークス、4歳時のラジオたんぱ賞
    • 敗れたレースは全て岡部騎乗であったため、藤沢はジョークとして「シンコウラブリイに乗って負けた下手な騎手は、岡部だけだよ」と語っていた。
    • 新馬だけに騎乗した橋本広喜は、完璧に乗ることができ、また勝ちっぷりがあまりにも鮮烈かつ印象的だったため、翌年の年賀状の裏は、その時の新馬戦での写真を使ったほどである。

血統表[編集]

シンコウラブリイ血統ニジンスキー系 / 5代までアウトブリード (血統表の出典)[§ 1]

Caerleon
1980 鹿毛
Nijinsky
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Foreseer
1969 黒鹿毛
Round Table Princequillo
Knight's Daughter
Regal Gleam Hail to Reason
Miz Carol

*ハッピートレイルズ
Happy Trails
1984 鹿毛
*ポッセ
Posse
1977 栗毛
Forli Aristophanes
Trevisa
In Hot Pursuit Bold Ruler
Lady Be Good
*ロイコン
Roycon
1975 鹿毛
High Top Derring-Do
Camenae
Madelon *セントクレスピン
Azurine F-No.4-d
父系 ニジンスキー系
[§ 2]
母系(F-No.) 4号族(FN:4-d) [§ 3]
5代内の近親交配 なし [§ 4]
出典
  1. ^ JBIS シンコウラブリイ5代血統表2016年7月18日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com シンコウラブリイ5代血統表2016年7月18日閲覧。
  3. ^ JBIS シンコウラブリイ5代血統表2016年7月18日閲覧。
  4. ^ JBIS シンコウラブリイ5代血統表2016年7月18日閲覧。

弟のタイキマーシャル(エプソムカップ)、叔父のセサロニアンなど、近親が多く日本に輸入されている。曾祖母の妹に1981年オークスアイルランドオークス馬ブルーウインドがいる。

脚注[編集]

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  1. ^ 東京スポーツ・2011年12月25日付 16面
  2. ^ 『優駿』1993年12月号、日本中央競馬会、151頁
  3. ^ シンコウラブリイ - シンコーファーム・2011年12月6日