シ敖

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訾敖
王朝
在位期間 前529年
姓・諱 熊比
子干
没年 紀元前529年
共王

訾敖(しごう、生年不詳 - 紀元前529年)は、春秋時代の王。共王の子。

紀元前541年11月、郟敖が公子囲に殺害されると、熊比はに亡命した。紀元前529年4月、晋から帰国した。弟の公子黒肱・公子弃疾の人々と結んで、兄の霊王を討つべく、国都の郢を攻撃した。熊比は楚王を称し、公子黒肱を令尹とし、公子弃疾を司馬とした。5月、霊王を自殺に追いつめた。しかし新王の訾敖(熊比)は霊王の死の知らせを聞いていなかった。

観従が訾敖に公子弃疾を殺害するよう勧めたが、訾敖は「酷いことはできない」と言って聞き入れなかった。

ほどなく国都で「王入矣(王が入城なさった)」という流言があり、さらに公子弃疾が「王至矣(王が到着なさった)」と触れ回らせた。霊王の帰還と国人の離反を信じ込んだ訾敖と公子黒肱は自殺した。

参考文献[編集]

先代:
霊王
の王
紀元前529年
次代:
平王