ジャンルカ・パリュウカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]() | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Gianluca PAGLIUCA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1966年12月18日(54歳) | |||||
出身地 | ボローニャ | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 94kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1984-1986 | ボローニャ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1987-1994 |
![]() | 198 | (0) | |||
1994-1999 |
![]() | 165 | (0) | |||
1999-2006 |
![]() | 248 | (0) | |||
2006-2007 |
![]() | 23 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1991-1998[1] |
![]() | 39 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年4月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジャンルカ・パリュウカ(Gianluca Pagliuca, 1966年12月18日 - )は、イタリア・エミリア=ロマーニャ州ボローニャ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。2020年にサミール・ハンダノヴィッチに並ばれるまで、セリエAのPKストップ数、単独最多記録保持者であった(24回)[2]。
経歴[編集]
1984年、地元のクラブチームボローニャFCでデビュー。その後UCサンプドリアに移籍、1990-91シーズン、クラブとして初のリーグ優勝に貢献すると、翌1991-92シーズン、チャンピオンズカップ決勝の進出にも貢献、決勝のFCバルセロナ戦でも良いセーブを見せたが[3]、延長でロナルド・クーマンに直接FKを決められ、チームは0-1と破れた。 その後も1993-94シーズンのコッパ・イタリア優勝に貢献したが、1994-95シーズンにゼンガとのトレードで[4]、インテルに移籍。1994-95シーズンから1997-98シーズンまでの4シーズン連続でリーグ戦全試合出場を達成し、1997-98シーズンにはUEFAカップ優勝に貢献した。
イタリア代表としてはワールドカップ・イタリア大会の代表に選出されるも、出場は無かった。1991年6月16日のソビエト連邦戦で代表デビューを飾ると、1994年のワールドカップ・アメリカ大会にレギュラーとして出場、ノルウェー戦ではペナルティエリア外に飛び出し、ハンドを犯し退場となった[5]。さらに1998年のワールドカップ・フランス大会にも出場、ペルッツィの怪我により、正ゴールキーパーとしてプレー、フランス戦では延長PK戦でリザラスのPKを止めたが、チームは敗れた[6]。
2006年9月17日のFCメッシーナ戦で通算出場記録を571とし、ディノ・ゾフの持つ当時のセリエAのゴールキーパー最多出場試合記録を更新した。
プレースタイル[編集]
1990年代イタリアを代表するゴールキーパー。抜群の反射神経を持ちハイボール処理に能力を発揮していた[7][8][9]。また、的確なポジショニングによる一対一の対応、ディフェンダーへのコーチングも巧く、常に大声を張り上げチームを鼓舞した[10]。
その他[編集]
自信家で、1995-96シーズン頃のセリエAで自身が最高のGKであると豪語した一方、世界最高のGKはピーター・シュマイケル、好きなGKとしてイングランドのシーマンを挙げている[11]。
受賞歴[編集]
個人賞[編集]
- グリエン・ドーロ : 1996-97, 2004-05
クラブ[編集]
- UCサンプドリア
- セリエA : 1 1990-91
- コッパ・イタリア : 3 1987–88, 1988–89, 1993–94
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 1 1991
- UEFAカップウィナーズカップ : 1 1990
- インテルナツィオナーレ・ミラノ
- UEFAカップ : 1998
代表[編集]
- イタリア代表
- FIFAワールドカップ : 準優勝 1994
出典[編集]
- ^ “Gianluca Pagliuca - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “Sarma znova rešil Inter in se izenačil s Pagliuco”. sportklub.si (2020年1月11日). 2020年8月27日閲覧。
- ^ Giancarlo Padovan (1992年5月21日). “La Samp cade a un passo dalla storia” (Italian). Corriere della Sera 2016年1月16日閲覧。
- ^ “PROCESSO A ZENGA LEADER PERDUTO”. ricerca.repubblica.it. 2020年8月27日閲覧。
- ^ Pan Pylas; Anne-Marie Belgrave (2014年6月6日). “Italy's Pagliuca becomes first keeper to see red”. Yahoo! News 2015年7月19日閲覧。
- ^ “L'Italia è fuori, ancora ai rigori” (Italian). la Repubblica. (1998年7月3日) 2015年7月8日閲覧。
- ^ “Del Piero Pagliuca, i puniti di Casa Italia” (italian) (1995年9月1日). 2016年1月15日閲覧。
- ^ Giorgio Rondelli. “Vialli Rambo, Tarzan Pagliuca: ecco la nazionale della Forza” (italian). Corriere della Sera 2015年9月7日閲覧。
- ^ Paolo Tomaselli. “Rigori, riparte la sfida degli infallibili”. Corriere della Sera 2015年9月7日閲覧。
- ^ Nicola Cecere; Franco Arturi (1997年4月16日). “Pagliuca, i sogni dietro la porta” (Italian). La Gazzetta dello Sport 2016年12月30日閲覧。
- ^ ワールドサッカーダイジェスト 1996年3月号 no.17 p.30-35 日本スポーツ企画出版社
|