ジュリアーノ・ベレッチ
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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はアウス、第二姓(父方の姓)はベレッチです。 |
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![]() 2018年のペレッチ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ジュリアーノ・アウス・ベレッチ Juliano Haus Belletti | |||||
ラテン文字 | BELLETTI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1976年6月20日(44歳) | |||||
出身地 | カスカヴェウ | |||||
身長 | 174cm[1] | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / DF (RSB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1995 |
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1996-1998 |
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1998-1999 |
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1999-2002 |
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2002-2004 |
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2004-2007 |
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2007-2010 |
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2010-2011 |
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2011 |
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代表歴 | ||||||
2001–2005 |
![]() | 23 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジュリアーノ・アウス・ベレッチ(Juliano Haus Belletti、1976年6月20日 - )は、ブラジルパラナ州カスカヴェウ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。
経歴[編集]
ブラジル2部リーグでプレーしていた父と同じゴールキーパーとしてサッカーを始め、11歳の時にはフットサルの全国大会で優勝する程であったが、14歳の頃にフィールドプレイヤーに転向した[要出典]。
2002年に初の海外クラブとなるビジャレアルCFに加入し、2003-04シーズンにはUEFAカップでベスト4に進出した。2004年に加入したFCバルセロナでの、危なげながらもそのアグレッシブなプレーはソシオにも愛された。2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦では、途中出場ながら劇的な逆転の決勝ゴールを決め、FCバルセロナを2度目のビッグイヤー獲得に導いた。
2007年8月にイングランド・プレミアリーグのチェルシーFCに移籍金550万ユーロ(約6億8千万円)で移籍。攻撃的なプレーに加え、ベテランらしい安定感でチェルシーのディフェンスラインを支えた。試合の相手によって、パウロ・フェレイラやマイケル・エッシェンと併用されていた。2008-09シーズンにジョゼ・ボシングワが加入してきてからは中盤での起用も増えた。
2001年のコパ・アメリカで右ウイングバックのポジションでの活躍が評価され、以来、カフーの控えではあったが、ブラジル代表に定着する。2002年に開催された2002 FIFAワールドカップでは、出場機会こそ準決勝の途中出場1試合のみだったが、控えとして優勝したチームに貢献した。ルイス・フェリペ・スコラーリ元ブラジル代表監督のお気に入りであったが、シシーニョらが台頭してからは代表に招集されなくなった。
2011年3月にフルミネンセFCを退団。6月に現役生活に終止符を打つことを宣言した[2]。
所属クラブ[編集]
クルゼイロEC 1994-1995
サンパウロFC 1996-1998
アトレチコ・ミネイロ 1998-1999
サンパウロFC 1999-2002
ビジャレアルCF 2002-2004
FCバルセロナ 2004-2007
チェルシーFC 2007-2010
フルミネンセFC 2010-2011
セアラーSC 2011
タイトル[編集]
- サンパウロ州選手権 優勝 1998,1999-2000
- 2002 FIFAワールドカップ 優勝 2002
- リーガ・エスパニョーラ 優勝 2004-2005
- スペイン・スーパーカップ 優勝 2005-2006
- UEFAチャンピオンズリーグ 優勝 2005-2006
脚注[編集]
関連項目[編集]
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