ジョゼ・カルロス・ダ・コスタ・アラウージョ

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はダ・コスタ第二姓(父方の)はアラウージョです。
ゼ・カルロス Football pictogram.svg
名前
本名 ジョゼ・カルロス・ダ・コスタ・アラウージョ
José Carlos da Costa Araújo
愛称 ゼ・カルロス
ラテン文字 Zé Carlos
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1962年2月7日
出身地 リオデジャネイロ州リオデジャネイロ市
没年月日 (2009-07-24) 2009年7月24日(47歳没)
身長 180cm
体重 78kg
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983 ブラジルの旗 アメリカーノFC
1984 ブラジルの旗 リオ・ブランコ-ES
1984-1991 ブラジルの旗 フラメンゴ
1992 ブラジルの旗 クルゼイロ
1992-1994 ポルトガルの旗 ファレンセ
1994-1995 ポルトガルの旗 ヴィトーリア・ギマランイス
1995-1996 ポルトガルの旗 フェルゲイラス
1996-1997 ブラジルの旗 フラメンゴ
1997 ブラジルの旗 ヴィトーリア
1999 ブラジルの旗 キンゼ・デ・ピラシカーバ
1999 ブラジルの旗 アメリカ-RJ
2000 ブラジルの旗 ツバロン
代表歴
1988-1989 ブラジルの旗 ブラジル 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

ゼ・カルロス(Zé Carlos)ことジョゼ・カルロス・ダ・コスタ・アラウージョ(José Carlos da Costa Araújo、1962年2月7日 - 2009年7月24日)は、ブラジルリオデジャネイロ州リオデジャネイロ出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー

経歴[編集]

選手時代[編集]

リオデジャネイロで生まれ育ち、リオ・ブランコACを経て1984年にCRフラメンゴへ加入[1]ジーコベベットレナト・ガウショジョルジーニョジュニオールらとともに1987年のコパ・ウニオン優勝に貢献した[1][2]。1992年にクラブを退団するまでの間に通算352試合に出場した[1]

1992年にクルゼイロECへ移籍するもわずかな出場機会を得たのみで、同年にポルトガルのSCファレンセへ移籍すると、これ以降は同国のヴィトーリア・ギマランイスFCフェルゲイラスポルトガル語版でプレーをした[1]。1996年に古巣のフラメンゴに復帰するも、2シーズン限りで退団[1]。その後は国内のクラブを渡り歩き、2000年に38歳で現役を引退した[1]

ブラジル代表としては国際Aマッチに3試合、五輪代表としては10試合に出場した[1]。代表監督のカルロス・アルベルト・シルバの下でブラジル代表に初招集され、1988年のソウルオリンピックでは正キーパーを務めるクラウディオ・タファレルの控えという立場で銀メダル獲得[1]。シルバの後任監督のセバスティアン・ラザロニの下でも引き続き招集を受け、コパ・アメリカ19891990 FIFAワールドカップの代表メンバーに選出された[1]

引退後[編集]

引退後は主にフラメンゴのOBチームの試合に出場[1]。2006年にはフラメンゴ時代の同僚であるジョルジーニョとの縁で、ブラジル代表監督のドゥンガの下でアシスタントコーチを務めた[1]

晩年は胃癌を患い、 2009年7月24日にリオデジャネイロ市内の病院で亡くなった[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Ex-goleiro do Fla morre de câncer”. Justiça Desportiva (2009年7月24日). 2009年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月2日閲覧。
  2. ^ a b Morre Zé Carlos, goleiro campeão brasileiro em 1987”. Clube de Regatas do Flamengo (2009年7月24日). 2009年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月2日閲覧。