ジョン・フォガティ

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John Fogerty
ジョン・フォガティ
出生名 John Cameron Fogerty
生誕 (1945-05-28) 1945年5月28日(73歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー
ジャンル スワンプロック英語版
カントリーロック
ブルースロック
活動期間 1959年 - 現在
レーベル ファンタジー・レコード
ワーナー・ミュージック
ユニバーサル・ミュージック
公式サイト ジョン・フォガティ公式サイト

ジョン・キャメロン・フォガティ(John Cameron Fogerty, 1945年5月28日 - )は、アメリカ合衆国出身のミュージシャン音楽プロデューサークリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(以下CCR)を率いたギタリストヴォーカリストとして知られる。兄も同じミュージシャンの故トム・フォガティ英語版(1941年 - 1990年)である。

ローリング・ストーンの歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第72位を獲得した[1]

「ローリング・ストーンの歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第40位、2011年の改訂版ではランク外だった。

来歴[編集]

ジョン・フォガティ(2013年

カリフォルニア州バークレーに生まれる。幼い頃よりブルースを聴き、ベンチャーズの影響を受けギターを弾き始めた。ジョン自身がカリフォルニアに住みながら、黒人が多い南部の音楽の影響を受けたブルースロックに興味を持ったことが彼の音楽のルーツとなり、イーグルスザ・バンドとともにカントリーロックを確立し、サザンロックのプロトタイプで、CCR自体がジョン・フォガティによってベイエリア特有の音色を持っており、前述のザ・バンドとともにスワンプロック英語版をも確立させた[2]

1967年から1972年まで兄のトムも併せて、1959年からCCRの前身である「ザ・ブルー・ベルベッツ」でともに活躍した中学生時代の同級生のステュ・クック英語版タグ・クリフォード英語版と組んで、ジャズ系レーベル会社のファンタジー・レコードと契約を結んで、CCRを率いて活躍し、異色のバンドとして一時的にはビートルズを凌ぐ勢いを見せた。

しかし、兄のトムは自身が作曲したものを収録させない弟のジョンがすべてCCRの構成を束ねるワンマンスタイルに不満を持って、1971年1月に脱退し[3]、ジョンはステュとタグとともに残りの3人で活動するも、脱退した兄のトムがCCRのマネージャーを兼ねていたが、ジョンが後任のマネージャーとして指名した「ビートルズを解散させた男」という悪評をもつアラン・クレインがCCRに悪影響をおよぼしたこともあり[3]、ジョンが妥協してステュとタグが共同した曲でカバーするも、以前の勢いがみられず、ステュとタグもジョンに不満を持ったこともあり[4]、ついに翌1972年10月にCCRは解散し、以後のジョンはソロとして音楽活動を開始し、バンドを装った一人多重録音の「ソロCCR」とも言うべき活動を続ける。

1973年にファンタジー・レコードから、ソロ初のアルバムザ・ブルー・リッジ・レンジャーズ英語版』を、翌々1975年にアルバム『ジョン・フォガティ英語版』を発表するが、同時にファンタジー・レコードの元マネージャーで、社長でもあるソウル・ゼインツとの金銭面と著作権による契約問題で訴訟を起こすなど、好きな歌が歌えなくなったため、ジョンは心身疲労となってミュージシャン活動を事実上休止していた時期もあった。

しかし、親交があったボブ・ディランらの支えもあり、1985年にジョンが移籍したワーナー・ミュージックからアルバム『センターフィールド英語版』を発表して、ビルボードの1位を獲得。翌1986年にもアルバム『アイ・オブ・ザ・ゾンビ英語版』を発表したが、前作のようにヒットはせず、さらに追い打ちするように『センターフィールド』に収録された曲の『オールド・マン・ダウン・ザ・ロード』がソウル・ゼインツからCCR時代の曲である『ジャングルを越えて英語版』に類似しているために、著作権に抵触すると指摘され、さらにおなじく収録された「守銭奴」を意味する『ミスター・グリード』や『ヴァンズ・カント・ダンツ』もソウル・ゼインツら経営者を揶揄する曲であると訴訟されてしまい、ショックを受けたジョンは再びミュージシャン活動から離れた。

1997年ミシシッピのデルタ地帯を旅した経験を基に制作され、ユニバーサル・ミュージックからのアルバム『ブルー・ムーン・スワンプ英語版』はグラミー賞最優秀ロック・アルバム賞を受賞した。1998年ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得[5]

2003年に「ザ・ブルース・ムービー・プロジェクト」を締めくくるコンサートに客演するなど、やや消極的であるものの健在ぶりをアピールしていた。2005年にはソングライターの殿堂入りを果たした[6]

2007年に訴訟問題[7]が解決し、ソウル・ゼインツらと和解したジョンは、古巣のファンタジー・レコードからアルバム『リバイバル英語版』を発表。

2009年にユニバーサル・ミュージックからアルバム『ブルー・リッジ・レンジャーズ・ライズ・アゲイン英語版』を発表し、2013年にアルバム『ロート・ア・ソング・フォー・エブリワン英語版』を発表し、CCR時代の曲を様々なゲスト・ミュージシャンと共に再演している。同年4月に新設のヤンキースタジアムのオープニングセレモニーで『センターフィールド英語版』を歌った。

2010年フジロックフェスティバルの出演のためCCR時代の来日以来38年ぶりに日本の土を踏み、現在のジョンも、CCR時代から変わらないストレートな音楽で精力的に活動をしている。

ジョン・フォガティ(2009年

ディスコグラフィ[編集]

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル[編集]

ソロ[編集]

  • The Blue Ridge Rangers (1973年)
  • John Fogerty (1975年)
  • Centerfield (1985年)
  • Eye of the Zombie (1986年)
  • Blue Moon Swamp (1997年)
  • Premonition (1998年, ライブ)
  • Deja Vu (All Over Again) (2004年)
  • The Long Road Home - In Concert (2006年, ライブ)
  • Revival (2007)
  • The Blue Ridge Rangers ~Rides Again~ (2009年)
  • Wrote A Song For Everyone (2013年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: John Fogerty”. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ http://www.discogs.com/artist/260458-John-Fogerty
  3. ^ a b 2010年4月22日放送 BS-TBS 「Song To Soul」#44 雨を見たかい - ジョン・フォガティ以外のメンバー、エンジニアなどのインタビューで構成されている。
  4. ^ ステュとタグはCCR解散後に、現在に至るまでジョンとの交流を一切、断っているという噂もあるが、実際にはイベントで顔を合わせている。
  5. ^ John Fogerty | Hollywood Walk of Fame
  6. ^ Songwriters Hall of Fame - John Fogerty Exhibit Home
  7. ^ 茶番劇さながらだった、ジョンを悩ました連続訴訟もソウル・ゼインツが2004年にファンタジー・レコードを売却し、ほぼ終結した。