ジョージ・ウィリアム・ニコルソン

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George Nickolson
George Nicholson 1904.jpg
個人情報
フルネーム George William Nicholson
誕生日 1878年8月3日
出身地 Auckland, New Zealand
死去日 (1968-09-13) 1968年9月13日(満90歳没)
死去地 Auckland, New Zealand
身長 1.91 m (6 ft 3 in)
体重 87 kg (13.7 st)
学校 Newton East School
職業 Bootmaker
ラグビーユニオン経歴
選手としての経歴
ポジション Flanker
NZ代表
背番号
103
アマチュアクラブ
クラブ / チーム
 ??–1906
1907–??
City
Ponsonby
地方/州チーム
クラブ / チーム キャップ (ポイント)
1901–09
11902
Auckland
North Island
国代表チーム
クラブ / チーム キャップ (ポイント)
1903–07 New Zealand 39 (24)

ジョージ・ウィリアム・ニコルソンGeorge William Nicholson, 1878年8月3日1968年9月13日)は、ニュージーランドラグビーユニオン選手。1903年から1907年にかけてラグビーニュージーランド代表“オールブラックス”に選出された。

生涯[編集]

オークランドのクラブチームで競技を始め、1901年にオークランド代表に選出された。1902年シーズンを北島で活動した後、1903年のオーストラリア遠征にてニュージーランド代表に選出された。この遠征にてニコルソンはシドニーオーストラリア代表と対戦し、最初のテストマッチを経験した。彼は翌年もニュージーランド代表に選出され、ニュージーランド遠征中のブリティッシュ・アイルズと対戦した。1905年から1906年までは“オリジナル・オールブラックス”にて欧州・北米遠征に参加。ニュージーランド代表にとって初めての北半球遠征において彼は20試合に出場したが、テストマッチへの出場はならなかった。ニュージーランドに帰国後、彼は1907年から主たる活動をポンソンビーのクラブチームに切り替えた。彼のオールブラックスでの最後のテストマッチは、同年のオーストラリア戦2試合であった。ラグビー選手生活を引退後、彼はスポーツの審判員や選抜委員、運営役員として活動。彼は1905年の“オリジナル・オールブラックス”の最後の存命者であり、ニュージーランドラグビー協会の創立75周年記念行事に参加した。

ラグビー経歴[編集]

ジョージ・ウィリアム・ニコルソンは1878年8月3日にニュージーランドのオークランドで誕生。ニュートン・イースト・スクールで教育を受け、オークランド市内のクラブでラグビー競技を始めた[1]。彼は1901年にオークランド選抜に選ばれ、1902年に南北対抗戦に出場[1]、20–14で南島に敗れた。. 翌年、ニュージーランド代表に選ばれオーストラリア遠征に参加[2]。オーストラリア戦でテストマッチ初出場を果たした[3]

参考文献[編集]

  1. ^ a b Luxford.
  2. ^ McCarthy 1968, pp. 27–28.
  3. ^ Elliott 2012, p. 109.

出典[編集]

  • Luxford, Bob. “George Nicholson”. New Zealand Rugby Museum. 2014年11月9日閲覧。
  • George Nicholson, New Zealand”. ESPN. 2014年11月9日閲覧。
  • McCarthy, Winston (1968). Haka! The All Blacks Story. London: Pelham Books. 
  • The 1905/06 'Originals'”. New Zealand Rugby Museum. 2013年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月26日閲覧。
  • Elliott, Matt (2012). Dave Gallaher – The Original All Black Captain (paperback). London: Harper Collins. ISBN 978-1-86950-968-2.