ジークフリート・フライターク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Siegfried Freytag
1917年5月4日 - 2003年6月1日
生誕 Flag of Prussia (1892-1918).svg プロイセン王国
ダンツィヒラングフール英語版
死没 フランスの旗 フランス マルセイユ
軍歴 1937年 - 45年(ドイツ空軍)
1952年 - 70年(フランス陸軍)
最終階級 少佐(ドイツ空軍)
上級軍曹(フランス陸軍)
テンプレートを表示

ジークフリート・フライタークSiegfried Freytag, 1917年5月4日 - 2003年6月1日)は、第二次世界大戦時のドイツ空軍エース・パイロットである。戦後、フランス外人部隊に入隊した。

第二次世界大戦[編集]

フライタークは1940年6月に初めて第77戦闘航空団(JG77)/第6飛行中隊に配属された。最初の撃墜記録は1940年10月31日沿岸航空軍ロッキード ハドソンであった。1941年3月から5月にかけてJG77と共にギリシャクレタ島侵攻作戦に参加した。JG77はその後東部戦線で作戦活動を行った。1942年6月の時点でフライターク中尉は空中で57機と地上の約12機の戦果を記録し、7月3日騎士鉄十字勲章を授与された。

JG 77/第1飛行中隊の「中隊長」となったフライタークは地中海戦域に転戦し、1942年7月から10月までマルタでの作戦に参加した。この作戦で最も活躍したエース・パイロットとなったフライタークは21機の戦果を挙げ合計撃墜数を78機としたが、7月27日スーパーマリン スピットファイア機に撃墜されバレッタ沖で友軍のドルニエ Do 24飛行艇に救出された。

北アフリカチュニジア上空での作戦で更に16機を撃墜し、フライタークは1943年3月13日にJG77/第II飛行隊の「飛行隊長」となった。7月12日シチリア上空を飛行中にジェーラロッキード P-38戦闘機により撃墜され、被弾した乗機のメッサーシュミット Bf109 G-6から脱出して負傷した。回復するとフライタークはJG77/第II飛行隊を率いてドイツ本国の基地から本土防衛(Reichsverteidigung)任務に就いた。

ヨハネス・ヴィーゼ少佐が撃墜され負傷したため、フライタークは12月25日にJG77の戦闘航空団司令に任命された。

フライタークはカナダ空軍(RCAF)の戦闘機エースパイロットのヘンリー・ウォレス・マクロード大尉を撃墜したかもしれなかった。フライタークは1944年9月27日デュースブルク地域でスピットファイア機を1機だけ101機目に撃墜した[1]1945年1月1日にフライタークは最後の戦果となる102機目を撃墜し、3月7日にはエーリヒ・ライエ少佐の戦死に伴い再びJG77の戦闘航空団司令に任命された。

1945年4月4日にフライタークは第51戦闘航空団(JG51)/本部飛行隊(Geschwaderstab)に転属したが、直ぐにメッサーシュミット Me262を運用する第7戦闘航空団(JG7)に転属し、そこで「戦闘航空団司令」となる予定であった。しかし、フライタークがその地位に就く前に戦争は終結した。

ジークフリート・フライタークは公式に102機を撃墜し、そのうち50機は東部戦線での記録であった。西部戦線での記録には3機の4発爆撃機が含まれていた。フライタークは柏葉付騎士鉄十字勲章に推薦されていたが、事務処理が行われている間に戦争が終結した。

戦後[編集]

ジークフリート・フライタークは第二次世界大戦を生き延びたが、家族と友人の全てが死亡していることが分かった[2]。その後、普通の歩兵としてフランス外人部隊に入隊し、インドシナで戦った。フライタークは戦争を生き延び、最後はピュイルビエの外人部隊用の老人福祉施設に入り2003年6月1日に同所で死去した。

受勲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ According to Scherzer in the II./JG 77[4]

出典[編集]

出典
  1. ^ Siegfried Freytag
  2. ^ Siegfried Freytag
  3. ^ Fellgiebel 2000, p. 186.
  4. ^ Scherzer 2007, p. 319.
参考文献
  • Fellgiebel, Walther-Peer (2000). Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939-1945. Podzun-Pallas. ISBN 3-7909-0284-5
  • Johnson, J.E. Wing Leader. London: Goodall Publications Ltd. 2000 (original edition 1956). ISBN 0-907579-87-6.
  • Obermaier, Ernst (1989). Die Ritterkreuzträger der Luftwaffe Jagdflieger 1939 - 1945 (in German). Mainz, Germany: Verlag Dieter Hoffmann. ISBN 3-87341-065-6.
  • Patzwall, Klaus D. and Scherzer, Veit. Das Deutsche Kreuz 1941 - 1945 Geschichte und Inhaber Band II. Norderstedt, Germany: Verlag Klaus D. Patzwall, 2001. ISBN 3-931533-45-X.
  • Scherzer, Veit (2007). Die Ritterkreuzträger 1939–1945 Die Inhaber des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939 von Heer, Luftwaffe, Kriegsmarine, Waffen-SS, Volkssturm sowie mit Deutschland verbündeter Streitkräfte nach den Unterlagen des Bundesarchives (in German). Jena, Germany: Scherzers Miltaer-Verlag. ISBN 978-3-938845-17-2.

Foreign Legion Retirement Home Mark Corcoran visit 2004 http://www.militaryphotos.net/forums/archive/index.php/t-13469.html

軍職
先代:
ヨハネス・ヴィーゼ少佐
第77戦闘航空団 ヘルツ・アス 戦闘航空団司令
1944年12月26日 - 1944年12月29日
次代:
エーリヒ・ライエ少佐
先代:
エーリヒ・ライエ少佐
第77戦闘航空団 ヘルツ・アス 戦闘航空団司令
1945年3月7日 - 1945年3月31日
次代:
フリッツ・ロージヒカイト少佐