スウ揺

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本来の表記は「騶揺」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
東甌王 騶揺
東甌
王朝 東甌
在位期間 前192年 - ?
都城 東甌
姓・諱 騶揺

騶揺(すう よう、生没年不詳)は、秦代から初にかけての東甌の君主。姓は騶[1]、名は揺。

人物[編集]

越王勾践の後裔とされる。秦が中国を統一すると、王の称号を廃されて君長とされ、その領地は閩中郡とされた。秦末の乱が起こると、 騶揺は越の人々を率いて鄱陽県令の呉芮に従い、秦を滅ぼすのに協力した。項籍が西楚の覇王として封建をおこなったが、揺は王に封じられず、このため楚に従わなかった。漢王劉邦が項籍を攻撃すると、騶揺は越人を率いて漢に協力した。紀元前192年、騶揺は東海王に立てられ、東甌に都を置いた。世間では東甌王と称された[2]

紀元前200年に海陽侯に封じられた斉信侯揺毋余[3]という人物がおり、この人と騶揺との関係については議論がある。『史記』封禅書に「むかし東甌王は鬼を敬い、寿160歳まで生きた」とある記述について、銭大昕はこれを東海王騶揺のことであるとみなした[4]

脚注[編集]

  1. ^ 史記集解』東越列伝所引徐広は「騶はまたは駱とも作る」という。
  2. ^ 史記』東越列伝および『漢書』西南夷両粤朝鮮伝
  3. ^ 『史記』高祖功臣侯者年表
  4. ^ 史記会注考証』東越列伝