スタンバイ (パソコンショップ)

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株式会社スタンバイ
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
556-0005
大阪府大阪市浪速区日本橋 5丁目12番 2号
業種 小売業
事業内容 パソコンおよび周辺機器、ゲーム機および周辺機器の買取・販売
代表者 代表取締役 平田敦浩
資本金 1,000万円
決算期 6月末日
特記事項:2001年平成13年)8月現在の情報
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株式会社スタンバイ(Stand-by) とは、かつてでんでんタウン内に存在していたパソコンショップ家電量販店)。SRGタカミヤ(現・タカミヤ)の関連会社[1]でもあり、資本面で支援を受けていた。

概要[編集]

好調期[編集]

スタンバイは大阪・日本橋を本拠とするパソコンショップチェーンであり、とりわけ東京の同業大手ソフマップとはライバル関係にあった(ソフマップのコーポレートカラーが青なのに対し、スタンバイは緑だった)。互いに堺筋を挟んだ立地にあり、店員がメガホンを手にアピール合戦を行っていたこともあった。ソフマップがある商品を値下げすると、同じ日のうちにスタンバイも値下げするといった激しい価格競争が繰り広げられていた。

また、ソフマップの情報誌「ソフマップタイムズ」[2]に対抗し、情報誌「ハロースタンバイ」を無料で発行していた。表紙には当時人気だった声優の椎名へきるや、当時アイドルとして活動していた浜崎あゆみを起用するなど、ソフマップに較べてコアな人気を集めていた[3]

他にも、アニメグッズ専門店「あにまにあ」を立ち上げ、地元大阪のフェスティバルゲート京都新京極に出店した。テレビ大阪でアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が再放送された際にはスポンサーとなっていたほかラジオ大阪では冠番組『週刊ハロー!スタンバイ』を持ち、最新ゲーム情報や店舗情報を放送していた。

過当競争から廃業へ[編集]

最盛期となるWindows 95発売前後のパソコンブームの頃は、ソフマップと同じくらい多くの店舗をでんでんタウンや難波付近にまで出店。ピーク時で日本橋に9店舗を展開していた。

しかし、当時(1995年〈平成7年〉 - 1997年〈平成9年〉頃)の日本橋は、路面店が閉店するとその跡地の奪い合いが繰り広げられる状況で、スタンバイもこれ以上日本橋に出店できる場所を確保することは難しくなっていた。そのため、他地区への展開を進めることとなったスタンバイは、フェスティバルゲート(前述のあにまにあ)や神戸市、さらには郊外の守口市へも続々と出店した。一時は東京秋葉原にも出店した[4]が、パソコンブームの陰りと共にパソコン店間の価格競争が激化していき、新規出店した店舗の売り上げは軒並み不振に陥った。そのため、これらの店舗はいずれも短期間で閉店に追い込まれることとなった。

本拠地の日本橋でも当時でんでんタウン最大規模の家庭用ゲーム専門店を開店したが、粗利率の低い家庭用ゲームでは大店舗を維持できず短期間で閉店を余儀なくされ、大きな痛手を受けた。その後、この店舗の跡地は皮肉なことにライバルであったソフマップの日本橋2号店となっている[5]。そのうえ、これまたソフマップに対抗して梅田進出を図り、梅田ロフト隣にビルを新築して梅田店をオープンするも、人の流れが向きづらい場所にあったために客足が伸びず1年足らずで閉店となってしまい、結果的にこれがスタンバイにとっての致命傷となった[6]

新規出店の相次ぐ失敗でスタンバイは大きな損失を抱え、さらにSRGタカミヤからの資本支援を打ち切られたことにより、徐々に店舗数を減らしていった。「ハロースタンバイ」の配布を中止すると共に新品ハードの販売から撤退し、ソフトや中古品の販売に業態を絞り込むが、パソコンブームが去ったことも災いして業績は好転せず店舗数は次第に減っていった。そして大阪駅前にヨドバシ梅田が開店した2001年(平成13年)、最後の店舗である恵美須町の1号店を閉店し廃業に至った。

脚注[編集]

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  1. ^ 現在のタカミヤ公式サイトには、スタンバイに関する記述は一切無い。
  2. ^ (ソフマップワールド、ソフマップワールドハイパー、ソフマップドットマガジン、ソフマップデジタルバイヤーズ)
  3. ^ 椎名や浜崎が表紙となった号は後にプレミアが付き、古書店では高値で取り引きされている
  4. ^ 現在、跡地は「マルツパーツ館秋葉原2号店」
  5. ^ ソフマップの日本橋2号店ものちに閉店。
  6. ^ この店舗ビルはスタンバイ撤退後は回転寿司屋、飲食店などを経て、2004年(平成16年)7月からクラブ「danceteria SAZA E」となっていたが、2007年(平成19年)いっぱいで閉店し、間もなくビルは取り壊された