スージー・クアトロ
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スージー・クアトロ Suzi Quatro | |
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![]() ドイツ・シュパルト公演(2017年8月) | |
基本情報 | |
出生名 | Susan Kay Quatrocchio |
別名 |
スージー・ソウル スージーQ |
生誕 | 1950年6月3日(70歳) |
出身地 |
![]() ミシガン州デトロイト |
ジャンル |
ハードロック ポップロック ガレージロック グラムロック |
職業 | シンガーソングライター、ベーシスト、音楽プロデューサー、女優、ラジオパーソナリティ |
担当楽器 | ボーカル、ベース、ピアノ |
活動期間 | 1964年 - 現在 |
レーベル |
EMI/Rak Records RSO/Dreamland ポリドール・レコード First Night/Pinnacle Generation Record Bellaphon Records Connoisseur Collection CMC International Liberty Records キャロライン・レコード チェリーレッド・レコード ソニー・ミュージック SPV/Steamhammer |
共同作業者 |
The Pleasure Seekers Cradle クリス・ノーマン (en) アンディ・スコット ドン・パウエル |
公式サイト | Official Website |
著名使用楽器 | |
フェンダー・ジャズベース フェンダー・プレシジョンベース など |
スージー・クアトロ(Suzi Quatro、1950年6月3日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性ロックミュージシャン、シンガーソングライター、ベーシスト、ラジオDJ、女優。
50年以上のキャリアを誇る、女性ロック界の先駆者として知られる[1]。女性がエレキ弦楽器を奏でながらハードロックをプレイし、ガールズバンドも率いた草分け的存在として音楽界に大きな足跡を残した。
概要・略歴[編集]
ガールズバンド時代(1964年 - 1971年)[編集]
本名スーザン・ケイ・クアトロッチオ(Susan Kay Quatrocchio)。ミシガン州デトロイト生まれ。ミュージシャンだった父アート・クアトロッチオはイタリア系であり、母ヘレン・レベルはハンガリー系であった。
8歳の頃、父親が率いるグループ「アート・クアトロ・トリオ」に参加[2]。1964年からキャリアを本格スタートし、スージー・ソウルの芸名で姉パティらとガールズバンド「ザ・プレジャー・シーカーズ(The Pleasure Seekers)」を結成(後にアーリーン、ナンシーの二人の姉も加わる)。地元デトロイトを拠点に、「MC5」や「ジェファーソン・エアプレイン」らとアメリカ各地をツアーで回った[3]。この頃にまだ駆け出しのテッド・ニュージェントやボブ・シーガーといった、同郷のロックミュージシャンとも交流を深めている。
1969年に「クレイドル(Cradle)」と改名し、ベトナムなど海外ツアーも行った[3]。
1970年6月にデトロイトで歌っている際、ジェフ・ベックのモータウン・スタジオでのレコーディングのために同地に来ていた音楽プロデューサーのミッキー・モストによって高い評価を受け、1971年末に同氏を頼って渡英する。
ソロに転向(1972年 - 1981年)[編集]
1972年7月、ミッキー自身のレーベル・RAKレコードから、ソロ名義のファースト・シングル「Rolling Stone」を発表。フォークソング調の曲で、ポルトガルではチャート1位となるものも[4]、他国ではさほど売れなかった。
1973年に入ってからハードロック路線へのイメージチェンジのため、ソングライティングチームにニッキー・チンとマイク・チャップマンを迎え、芸名もSuzie QuatroからSuzi Quatroに変わった。セカンドシングルの「キャン・ザ・キャン」は、イギリスを含むヨーロッパ及びオーストラリアでナンバーワン・ヒットを記録する[5]。続いてリリースされた「48クラッシュ」(1973、UKチャート3位)、「デイトナ・デモン」(1973、UKチャート14位)も大ヒットし、この年のイギリスBest Selling Artist/Female/Singleにて第1位となった。
1974年にも「悪魔とドライブ」(UKチャート1位)[5]、「トゥ・ビッグ」(UKチャート14位)、「ワイルド・ワン」(UKチャート7位)が英国で大ヒットした。彼女のファースト及びセカンド・アルバムは、ヨーロッパとオーストラリアで大成功を収めた。日本でも1970年代の終わりまで大きく支持され、74年から78年まで5年連続で来日[3]。1977年には、大都市だけではなく中都市も回る大規模な日本ツアーを成功させ、関連したライブアルバムも発表している。
しかしながら母国のアメリカにおいては、1970年代中頃にアリス・クーパーと共にツアーを行うなどの努力をしたにもかかわらず、それほどヒットしなかった。1975年以降、彼女のヘビーで妖しい魅力を伴ったスタイルは受け入れられなくなっていき、人気は1978年まで好転しなかった。同年に「If You Can't Give Me Love(邦題・涙のヤング・ラヴ)」がリリースされると、同作はイギリスとオーストラリアでトップ10ヒットを記録する[5]。アメリカでは引き続いて成功はしなかったが、1979年にスモーキー(en:Smokie (band))のクリス・ノーマンと共に「Stumblin' In(邦題・メロウな二人)」をRSOレコードからリリースすると、同作は4位とアメリカで初の大ヒットを記録することとなる。この成功は短期間のものであった。彼女の最後の(オーストラリアでのみの)ヒットは1981年前半にリリースされた「Rock Hard」であった。
女優業にも進出〜以降(1982年 - 現在)[編集]
1980年代に入ると女優業にも本格進出し、主にテレビドラマやミュージカルの分野で活躍した。
1987年、日本のロックバンド「BOØWY」のシングル曲「Marionette」のB面曲として「THE WILD ONE」を、BOØWYのボーカリスト氷室京介とデュエットしたバージョンを発表。(これは同時にレコーディングした訳ではなく、日本で録音したオケをイギリスに送りスージーに歌わせ、その後日本に送り返しミキシングすると言う手法で制作)
その後は音楽活動を縮小していたが、英BBC放送のラジオパーソナリティに就いた2000年代からまた活発化する。
2006年2月、約10年ぶりのアルバム『Back To The Drive』を、スウィートのギタリスト アンディー・スコットのプロデュースでリリース。アルバムのタイトル・トラックは、往年のパートナーだったマイク・チャップマンが提供した。
2009年、本国の英BBC放送から『Queens of British Pop』において、12人の内のひとりに選出される[6]。
2010年 - 2011年、かつて姉達と共に率いていたガールズバンド「The Pleasure Seekers」や「Cradle」のコンピレーションをリリース。
2014年、音楽活動50周年を迎え、記念を祝したBOXセット『The Girl from Detroit City』をリリース。同年と翌2015年に、20年ぶりの来日公演を開催[7]
2016年、長年の音楽に対する貢献を讃えられ、アングリア・ラスキン大学より名誉博士号を授与。
2017年、アンディ・スコット(スウィート)、ドン・パウエル(スレイド)の元グラムロック・プレイヤーと組んだ共作アルバムを発表[8]。
2019年、8年ぶりのソロアルバム『No Control』(邦題:永劫の女王)をリリース[9]。
私生活[編集]
1978年に長年バック・ギタリストを務めていたレン・タッキーと結婚し、日本で挙式している[10]。二人の子供(ローラ(1982年生)およびリチャード・タッキー(1984年生))がいたが、1992年に離婚した。1993年にドイツの興行プロモーターと結婚。
後年はイギリスとドイツで暮らし、BBCラジオ2で毎週ロック・プログラムのDJを務める。
2012年4月、ウクライナ・キエフの空港で転び右膝と左手首を骨折した[11][12][13]。
2019年のソロアルバム『No Control』は、息子リチャードと共同で制作した。
使用機材[編集]
基本的にフェンダー製「ジャズベース」や「プレシジョンベース」を中心に、近年はStatus Graphite製「S2」も使用している。過去にはギブソン製の各モデル「EB2」「レスポールベース」「グラバー」「サンダーバード」「リッパー」、Jaydee Custom Guitar製「Supernatural」モデル、 B.C.リッチ製の変形モデルらを扱う場合もあった。
フェンダー・テレキャスターベース後期モデル
フェンダー・ジャズベース モデル
ディスコグラフィ[編集]
()内はリリース時の邦題
アルバム[編集]
- 1973 Suzi Quatro (サディスティック・ロックの女王)
- 1974 Quatro(陶酔のアイドル)
- 1975 Your Mama Won't Like Me(ママに捧げるロック)
- 1977 Aggro Phobia(クアトロ白書)
- 1978 If You Knew Suzi(スージーからの伝言)
- 1979 Suzi...And Other Four Letter Words(フォー・レター・ワーズの秘密)
- 1980 Rock Hard(ロック・ハード)
- 1982 Main Attraction(メイン・アトラクション)
- 1991 OH,Suzi Q(OH、スージーQ)
- 1996 What Goes Around
- 2006 Back To The Drive
- 2011 In the Spotlight
- 2017 Quatro, Scott & Powell
- 2019 No Control(永劫の女王)
The Pleasure Seekers / Cradle名義
- 2010 Cradle「The History」
- 2011 The Pleasure Seekers「What a Way to Die」
主なシングル[編集]
- 1973 Rolling Stone/Brain Confusion?
- 1973 Can The Can(キャン・ザ・キャン)/Ain't Ya Somethin' Honey?
- 1973 48 Crash(48クラッシュ)/Little Bitch Blue?
- 1973 Daytona Demon(デイトナ・デモン)/Roman Fingers
- 1974 Devil Gate Drive(悪魔とドライヴ)/In the Morning!!
- 1974 The Wild One(ワイルド・ワン)/Shake My Sugar?
- 1974 Too Big(トゥ・ビッグ)/I Wanna Be Free!!
- 1975 Your Mama Won't Like Me(ママのファンキー・ロックン・ロール)/Peter, Peter!!
- 1975 I Bit Off More Than I Could Chew(ビット・オフ)/Red Hot Rosie?
- 1975 I May Be Too Young(恋するヤング・ガール)/Don´t Mess Around
- 1976 Make Me Smile(やさしくスマイル)/Same As I Do
- 1976 Harf As Much As Me(スリルがいっぱい)/American Lady
- 1977 Roxy Roller(ロキシー・ローラー(サケ・ロック))/It'll Grow On You
- 1977 Tear Me Apart(恋はドッキリ)/Close Enough To Rock'n'Roll
- 1978 If You Can't Give Me Love(涙のヤング・ラヴ)/Cream Dream
- 1979 She's In Love With You(愛のゲーム)/Space Cadets
- 1979 Stumblin' In(メロウなふたり)/A Stranger To Paradise
- 1980 Mama's Boy(ママズ・ボーイ)/Mind Demons
- 1980 I've Never Been In Love(ネバー・ラヴ)/Starlight Lady
- 1980 Rock Hard(ロック・ハード)/State Of Mind
出演[編集]
テレビドラマ[編集]
- ハッピーデイズ (1977–1979) - レザー・トスカデロ 役
- Minder (1982)
- Dempsey and Makepeace (1985)
- アブソリュートリー・ファビュラス (1994)
- Countdown (1997)
- Rock School (2006)
- Trust Me – I'm a Beauty Therapist (2006)
- バーナビー警部 (2007)
- オーストラリアンアイドル (2009)
- RocKwiz (2011)
- Spicks and Specks (2014)
声優[編集]
- ボブとはたらくブーブーズ (2006)
日本公演[編集]
- 1974年11月21日, 22日, 23日, 24日:中野サンプラザ(全5公演)
- 1975年10月7日, 10日:中野サンプラザ / 10月9日:東京郵便貯金会館 / 10月19日:渋谷公会堂(全15公演)
- 1976年6月12日, 13日(昼), 13日(夜), 14日:中野サンプラザ / 7月13日:渋谷公会堂(全24公演)
- 1977年5月27日, 6月12日:中野サンプラザ
- 1978年9月01日:福岡市民会館
- 1994年
- 2014年5月30日:新宿BLAZE
- 2015年4月18日・19日:吉祥寺CLUB SEATA
- ほか多数来日
関連項目[編集]
- T・レックス
- ゲイリー・グリッター
- スウィート
- スレイド
- アリス・クーパー
- デヴィッド・ボウイ
- アテンションプリーズ - 2006年4月期にフジテレビ系列で放送された連続ドラマ。上戸彩演じる主人公がアマチュアバンドを結成していた際、スージー・クアトロをリスペクトしていた設定。第1話冒頭で上戸が『The Wild One』を歌唱するシーンがある。
脚注[編集]
- ^ フィリップ・オースランダー、"I Wanna Be Your Man: Suzi Quatro's musical androgyny" 、2004、[1]
- ^ “Suzi Quatroプロフィール”. TOWER RECORDS (2012年7月30日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ a b c 赤岩和美 監修 『ブリティッシュ・ロック大名鑑』、ブロンズ社、1978年、佐田智博
- ^ answers.com "Suzi Quatro" [2]
- ^ a b c Official Charts Company [3]
- ^ Suzi Quatro talks about her iconic image [4]
- ^ “20年振りの来日!スージー・クアトロが王道のロックンロール・クイーンの実力を見せつける”. E-TALENTBANK (2014年5月31日). 2017年11月28日閲覧。、“元祖ロックンロール・クイーン、スージー・クアトロ、再来日公演決定”. E-TALENTBANK (2014年5月31日). 2014年11月13日閲覧。
- ^ “2/14 スージー・クアトロ「フォーエバー・エンコア・ツアー」”. 日豪プレス (2017年2月5日). 2018年10月28日閲覧。
- ^ “女性ロッカーのパイオニア、スージー・クアトロによる8年ぶりの新作『永劫の女王』”. billboard-japan (2019年5月1日). 2020年3月10日閲覧。
- ^ “スージー・クアトロが8年ぶりに新しいソロ・アルバムをリリース”. MUSIC LIFE CLUB (2019年1月24日). 2020年3月10日閲覧。
- ^ Richard Webber (2017年3月13日). “UNDER THE MICROSCOPE: Rock legend Suzi Quatro, 66, answers our health quiz”. Daily Mail 2018年7月18日閲覧。
- ^ ROGER WINK (2012年9月5日). “Suzi Quatro Recovers After Accident And Prepares For Her New Show”. NOISE11. 2018年7月18日閲覧。
- ^ Edgar Soares (2012年4月5日). “Suzi Quatro: se machucando ao sair de avião”. whiplash. 2018年7月18日閲覧。(ポルトガル語)(骨折したクアトロの写真)
外部リンク[編集]
- Official Suzi Quatro website
- Suzi Quatro (@Suzi_Quatro) - Twitter
- SUZIQUATROOFFICIAL - YouTubeチャンネル
- Suzi Quatro Fansite
- SUZI QUATRO OFFICIAL FAN CLUB - Facebook