スーホの白い馬

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「スーホの白い馬」はモンゴルの民族楽器である馬頭琴(モリンホール)の由来にまつわる話。 日本で初めて公表されたのは1961年である。福音館書店が発行している月刊絵本『こどものとも』の1961年10月号として発行された『スーホのしろいうま』(大塚勇三・やく、赤羽末吉・え)がそれである。ただし、この絵本には馬頭琴が登場しない。その後、印刷屋の火事で原画が焼けてしまったので、現在、広く知られている大型絵本『スーホの白い馬』(大塚勇三・再話、赤羽末吉・画、1967年初版)が誕生した。その翌年から光村図書出版の小学校国語教科書「二年・下」に再録された。教科書の場合、当初は「白い馬」というタイトルだったが、1974年から「スーホの白い馬」に変更された。 第41回日本児童文学学会奨励賞を受賞した『「スーホの白い馬」の真実―モンゴル・中国・日本それぞれの姿』(ミンガド・ボラグ著、風響社、2016)などによれば、「スーホの白馬」は、1950年代に中国人作家の塞野が整理した「馬頭琴」(中国語)という話の翻訳であるという。また、この話は、モンゴル伝統社会の中で成立して口承により伝えられてきた民話ではなく、中国建国後に新たなに創作された「新民話」であるとのこと。

あらすじ[編集]

ある日、遊牧民の少年スーホは帰り道で倒れてもがいていた白い子馬を拾い、その子馬を大切に育てる。それから数年後、領主が自分の娘の結婚相手を探すため競馬大会を開く。スーホは立派に成長した白い馬に乗り、見事競馬大会で優勝する。しかし、領主は貧しいスーホを娘とは結婚させず、スーホに銀貨を3枚渡し、さらには白い馬を自分に渡すよう命令する。スーホはその命令を拒否し、領主の家来たちに暴行され白い馬を奪われる。命からがら家へ辿り着くが、白い馬を奪われた悲しみは消えなかった。

その頃、白い馬は領主が宴会をしている隙を突いて逃げ出したが、逃げ出した際に領主の家来たちが放った矢で体中を射られていたため、スーホの元に戻った時には瀕死の状態であった。看病むなしく白い馬は次の日に死んでしまう。スーホは幾晩も眠れずにいたが、ある晩ようやく眠りにつき、夢の中で白馬をみる。白馬は自分の死体を使って楽器を作るようにスーホに言い残した。そうして出来たのがモリンホール馬頭琴)であった。

その他[編集]

  • モンゴル国では、「スーホの白い馬」は日本人から聞いて初めて知るほど知名度は低く[1]、モリンホールの誕生譚としては「フフー・ナムジル」が有名である。
  • 「スーホ」はモンゴル語で「斧」を意味する。現在もこのような名前をもつモンゴル人が多くいるそうだ。現在のモンゴル国でも、内モンゴルでも「スフ」または「スヘ」と発音するのが一般的である。大塚は中国語のテキストに基づいて翻訳したので、「スーホ」にしたと思われる。
  • 現在、光村図書出版の「スーホの白い馬」の挿絵は、李立祥が手がけている。
  • 馬頭琴奏者である李波が作曲した「スーホの白い馬」という楽曲がある。
  • 2008年NHK東京児童合唱団から出された「小学生のための音楽劇・物語集」に「音楽劇 スーホの白い馬」が含まれている[2]


出典[編集]