ズビグニェフ・ボニエク

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ズビグニェフ・ボニエク Football pictogram.svg
Boniek Zbigniew.jpg
名前
本名 ズビクニェフ・カジミェシュ・ボニエク
Zbigniew Kazimierz Boniek
愛称 ジビ、Bello di notte(美しい夜)
ラテン文字 Zbigniew Boniek
基本情報
国籍 ポーランドの旗 ポーランド
生年月日 (1956-03-03) 1956年3月3日(64歳)
出身地 ブィドゴシュチュ
身長 181cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FWMF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1975-1982 ポーランドの旗 ヴィジェフ・ウッチ 172 (50)
1982-1985 イタリアの旗 ユヴェントス 111 (20)
1985-1988 イタリアの旗 ASローマ 47 (10)
代表歴
1976-1988 ポーランドの旗 ポーランド 80 (24)
監督歴
1990-1991 イタリアの旗USレッチェ
1991-1992 イタリアの旗ASバーリ
1992-1993 イタリアの旗サン・ベネデッテーゼ
1994-1996 イタリアの旗USアヴェリーノ
2002 ポーランドの旗ポーランド代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

ズビグニェフ・ボニエクZbigniew Boniek, 本名:ズビクニェフ・カジミェシュ・ボニエク、Zbigniew Kazimierz Boniek1956年3月3日 - )は、ポーランドビドゴシチ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはFWMF

読みはズグニェフ・ニエク(太字は強勢で、やや長音にも聞こえる)。

経歴[編集]

地元のサッカークラブ、ザヴィシャ・ビドゴシチでサッカーを学び、1975年にヴィジェフ・ウッチと契約して選手キャリアをスタートさせる。当初はDFとしてプレーしていたが、後にFWへ転身すると才能が開花。1976年にポーランド代表デビューを果たすと1978、1982、1986年と3度のワールドカップ出場に導いた。1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会ではメキシコ戦で2ゴールを挙げた[1]。またチームは2次リーグまで進出した。1982年のワールドカップ・スペイン大会ではペルー戦で1ゴール2アシスト[1]ベルギー戦でハットトリックを決めるなど[1][2]、3位決定戦のフランス戦でも1アシストで勝利に貢献し、チームの3位入賞に貢献、MVP投票で4位に入る活躍で、同年のバロンドール投票では第3位に選ばれた[3]

1982年に海外移籍が認められイタリアのユヴェントスへ移籍すると直ぐにレギュラーの座を掴み、また特にミシェル・プラティニとは良い連携を見せた[2]。1983-1984シーズンのセリエA優勝、チャンピオンズカップでは決勝でハンブルガーSVに破れたが[2]、翌1984-1985シーズンのUEFAチャンピオンズカップ優勝に多大なる貢献を果たした、特にチャンピオンズカップ決勝のリヴァプールFC戦では相手DFの裏に抜け出し、PKを奪取[2]、そのPKをプラティニが決め、ユベントスは初のチ欧州制覇を成し遂げた[2]。それらの活躍によりユヴェントス会長のジャンニ・アニェッリから「 Bello di notte(美しき夜) 」の愛称を与えられた。

その後1985年にASローマへ移籍、1986年にはコッパ・イタリア決勝でサンプドリアを破り優勝[2]、同年のワールドカップ・メキシコ大会ではラウンド16まで進出したが、ブラジルに敗れた。1987-88シーズンを最後に現役引退をした。

引退後は指導者の道へ進み、主にイタリアの地方クラブで指揮を執った後に、2002年7月からはポーランド代表監督に就任したが同年12月に退任している。現在はイタリアの放送局 Rai Due の Domenica Sportiva という番組で解説者を務めている。

個人タイトル[編集]

脚注[編集]

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