セタノキング

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セタノキング
品種 サラブレッド
性別
毛色 栃栗毛
生誕 1991年4月23日
抹消日 2004年11月1日(NAR)
キンググローリアス
オキノサヤカ
母の父 サンフオードラツド
生国 日本の旗 日本
北海道沙流郡門別町
生産 鍋掛牧場
馬主 安藤忠代士
調教師 嶋田潤美浦
→鈴木長一(上山
競走成績
生涯成績 79戦20勝
獲得賞金 2億6848万2000円
勝ち鞍 さきたま杯(1999年)
さくらんぼ記念(2001年)
山形記念樹氷賞(2000年・2001年)
酒田まつり賞(2001年・2002年)
花笠まつり賞(2001年)
ラ・フランス賞(2001年)
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セタノキング1991年4月23日 - ?)は日本中央競馬会上山競馬場に所属していた競走馬

戦績[編集]

馬齢2000年以前の旧表記を用いる。

1991年キンググローリアスの初年度産駒として生まれ、1992年に馬主の安藤忠代士氏[1]が購入。1993年(旧3歳)9月11日中山で行われた新馬戦でデビューし、2着に9馬身差で圧勝する。2戦目のプラタナス賞はヒシアマゾンを抑えて1番人気に支持されたが、スタートで出遅れてしまい4着。3戦目を難無く勝ち上がると、4戦目は朝日杯3歳Sへコマを進めることができた。鞍上を田中勝春から蛯名正義に代えたが、初芝・初重賞・初GIということもあり14頭中10番人気の低評価で11着。その後も蛯名とのコンビで芝を3戦使うも7着・6着・8着と結果が出ず、1994年(旧4歳)クラシック路線から脱落。同年2月を最後に放牧に出されると、9月の利根川特別で復帰。得意のダート戦で田中と再びコンビを組むが、10着と大敗。次走の茨城新聞杯も見せ場無く10着に敗れるが、気難しさを改善するためにブリンカーを装着し、嶋田潤調教師の実子・嶋田高宏が乗り始めると徐々に成績が好転。11月に900万円以下条件を卒業すると、準オープンクラスに昇級してからも6戦して2着1回・3着2回と健闘。その後は裂蹄などのアクシデントもあり、オープン入りは1998年(旧8歳)まで待たなくてはいけなくなる。その間に横山典弘とのコンビで900万下条件を2勝したほか、1997年(旧7歳)のマーチSでは5着に入った。オープン入りを果たした門松Sでは松永幹夫騎乗で早め先頭の競馬から押し切り、続く2月の銀嶺Sも制した。9月のさきたま杯ではテセウスフリーゼの2着に入った。ここまで7勝を挙げているが、7勝中5勝はダート1400mで挙げた勝利で、更に5勝中4勝が東京での勝利と「左回りダート1400mの鬼」と化していた。8歳となっても気性の激しさは残しており、時折出遅れたり気分を損ねるとまるで走らなかったりと慢性的な弱点を抱えながらも、現役を続行。1999年(旧9歳)には5年ぶりに芝に再挑戦し、2戦して6着・8着と健闘。さきたま杯では鞍上に石崎隆之が迎えられ、9歳にして重賞初制覇を飾る。勝ち時計のの1分23秒8は従来のレコードタイムを1秒7も縮めたスーパーレコードであり、2019年現在も破られていない。2000年(旧10歳)も銀嶺Sで5着に入って健在ぶりを見せ、芝の東風Sでも軽ハンデ53kgで5着と健闘したが、現役引退の話が持ち上がる。苦手な条件で好走したのに何故現役を退くという話が出たのかは不明だが、その後は「もう少しだけ走らせてみよう」ということで同年7月に上山・鈴木長一厩舎へ移籍。新天地で水を得た魚のように復活し、移籍5戦目に上山最大のレース・山形記念樹氷賞を制覇。馬齢表記が現行の国際表記に改められた2001年(10歳)は地元開催の東北サラブレッド大賞典で1番人気に推されて2着に入り、続く酒田まつり賞では4歳下の弟のセタノスターを4馬身ちぎって勝利。花笠まつり賞では6馬身と更に着差を広げて連勝し、上山城大賞典は前走対戦して2着だったニッケルスイソの雪辱を許す。さくらんぼ記念では強力なJRA勢や他地区勢を相手に差し切り、上山競馬史上唯一のダートグレード競走制覇を達成。自身は中央時代以来2度目だったが、10歳での快挙にファンの度肝を抜いた。その後の樹氷賞ではトップハンデ60kgを背負ったが、2着に8馬身差の快勝で2連覇を達成。2002年(11歳)になるとさすがに衰えも見え始めたが、酒田まつり賞でセタノスターと前年に続いてワンツーフィニッシュ。水沢栗駒賞ではトーヨーリンカーンの2着に入り、地元に戻って2戦目の花笠まつり賞ではスノーエンデバーにアタマ差の2着。連覇の期待が懸かったさくらんぼ記念では6着に敗れ、3連覇の期待が懸かった樹氷賞では1番人気に推されるも8着。このレースを最後に出走が途絶え、2003年(旧12歳)の上山競馬廃止と共に引退[2]

引退後の動静は不明。

競走成績[編集]

  • 1993年(5戦2勝)
  • 1994年(8戦1勝)
    • 2着 - 市川ステークス
  • 1995年(8戦1勝)
    • 3着 - アレキサンドライトステークス、内外タイムス杯
  • 1996年(4戦0勝)
    • 2着 - 矢作川特別
  • 1997年(7戦1勝)
    • 1着 - 初凪賞
    • 3着 - 橿原ステークス、アクアマリンステークス、北総ステークス
  • 1998年(8戦2勝)
    • 1着 - 門松ステークス、銀嶺ステークス
    • 2着 - さきたま杯
  • 1999年(11戦1勝)
    • 1着 - さきたま杯
  • 2000年(8戦3勝)
    • 1着 - 山形記念樹氷賞
    • 2着 - オパール特別
    • 3着 - ラ・フランス賞
  • 2001年(9戦7勝)
  • 2002年(11戦2勝)
    • 1着 - 酒田まつり賞、ハクピット号杯
    • 2着 - 栗駒賞、花笠まつり賞、上杉まつり賞、ラ・フランス賞
    • 3着 - かずみちゃん28歳誕生日記念!!

脚注[編集]

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  1. ^ 息子の安藤裕は元騎手で現在は横浜DeNAベイスターズ通訳
  2. ^ 競走馬登録自体は2004年11月まで残っていた。