セルジオ・メンデス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はサントス、第二姓(父方の姓)はメンデスです。 |
セルジオ・メンデス | |
---|---|
![]() 2016年2月1日撮影 | |
基本情報 | |
出生名 | Sérgio Santos Mendes |
生誕 |
1941年2月11日(79歳)![]() リオデジャネイロ州 ニテロイ |
ジャンル | ボサノヴァ、ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ヴォーカル、ピアノ |
活動期間 | 1950年代- |
共同作業者 | セルジオ・メンデス&ブラジル'66、カルロス・リラ、ウィル・アイ・アム、スティーヴィー・ワンダー |
セルジオ・サントス・メンデス(Sérgio Santos Mendes、ポルトガル語発音: [ˈsɛʁʒju ˈsɐ̃tuʒ ˈmẽdʒiʃ]、1941年2月11日 - )は、ブラジルの在アメリカのミュージシャン。
「マシュ・ケ・ナダ」等の楽曲で知られる。
プロフィール[編集]
生い立ち[編集]
ブラジル南部、リオデジャネイロ州リオデジャネイロ市近郊のニテロイで生まれる。幼少の頃からリオ市内の音楽学校でクラシック・ピアノを学ぶなど、恵まれた環境で音楽の基礎を身に着ける。しかし、その後はクラシックの道へと進まなかった。
ボサノヴァ[編集]
1950年代後半にジャズ、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトの影響を受けボサノヴァに移行し、彼らを誘って国内外で活躍するようになる。
1962年に「ヴォサ・リオ・セクステット」を結成。1965年にはアメリカに活動の場を移し、ジョビンやジルベルトとともに、1960年代中盤から後半にかけて巻き起こった世界的なボサノヴァ・ブームの推進役を務める。
1966年のA&Mレーベルから発表された「Sergio Mendes & Brasil '66」とその中に収められた「Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ[1])」が世界的に大ヒットし、日本を含む世界中にその名を轟かす。
その後も、ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」や「デイ・トリッパー」といった曲をボサノヴァ風にアレンジしたカヴァーなど、欧米の音楽市場にとって親しみやすいボサノヴァをつくり、世界中での支持につながった。1970年の大阪万国博覧会のステージ等、来日公演の経験も多数ある。近年では、2006年と2008年、2016年(3月の福島復興支援コンサート[2]、9月の東京JAZZ[3]に出演)に来日公演を行っている。
近年[編集]
2006年の発表されたアルバム「Timeless」では、スティーヴィー・ワンダーやブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アム、ジル・スコットら大御所とのコラボレーションを実現し、世界的なヒットで話題を呼んだ。
家族[編集]
妻はグラシーニャ・レポラーセである。
アルバム作品(一部)[編集]
- Timeless
- Definite Collection
- Best Of Sergio Mendes
- Swinger From Rio
- Fool On The Hill
- Bossa Nova York
- Look Around/恋のおもかげ
- Live At The Expo 70
- Equinox
- Great Arrival / Beat Of Brazil
- Brasileiro
- Minha Historia
- Look Around
- Vintage '74
- Mas Que Nada
- Pure Bossa Nova
受賞歴[編集]
その他[編集]
- アルバム「Brasileiro」は彼名義のアルバムであるが、実際はカルニーニョス・ブラウンやギンガといった、当時ブラジルの新進気鋭のミュージシャンと彼らの作品・演奏を集めてプロデュースしたものである。そのため、彼の従来のアルバムとはまったく違い、ステレオタイプなイメージのボサノヴァやサンバに収まらない異色作となっている。なお、オープニング・ナンバーの「Fanfarra - ファンファーハ」は100名を越えるバテリア(打楽器隊)による典型的なサンバ・バトゥカーダであり、特にイントロダクションのコール&レスポンス(打楽器の掛け合い演奏)は、日本の「浅草サンバカーニバル」などに出場するサンバチームが練習する定番のパターンとなっている。
- なかにし礼作詞、都倉俊一作曲の「愛されたあとで」という日本語詞のシングル歌謡曲も演奏している。B面が同じ曲の英語詞。
日本公演[編集]
- 9月24日 昭和女子大学人見記念講堂、25日 神奈川県立県民ホール、26日 大阪厚生年金会館、28日 福岡サンパレス、29日 名古屋市民会館、10月3日 昭和女子大学人見記念講堂、5日 北海道厚生年金会館
脚注[編集]
- ^ ジョルジ・ベン作曲
- ^ 福島復興支援コンサートに小田和正・セルメン・ゴスペラーズら オリコン、2016-02-15
- ^ テレビ(NHK総合)を見ていたら、セルジオ・メンデス出てるやん、その理由とは・・・ NHKFMブログ、2016年9月 1日
関連項目[編集]
- カーネギーホール
- ピンキーとキラーズ - いずみたくが、日本のセルジオ・メンデスとしようと考えてデビューさせた。
- 世界最強タッグ決定リーグ戦 - テーマ曲として「オリンピア」が使用されている。
- 平田隆夫 - セルジオ・メンデスを目指し、「平田隆夫とセルスターズ」を結成。
- リー・リトナー - 1973年にセルジオ・メンデスとブラジル'77に加入し、ツアーに参加。