セーラー服と機関銃 (映画)

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セーラー服と機関銃』(セーラーふくときかんじゅう)は、赤川次郎同名小説の映画化作品。1981年12月19日、全国東映系で公開された。角川映画の代表作の1つで、主演の薬師丸ひろ子の人気を決定づけた[1]。製作費1億5000万円[2]。『燃える勇者』との併映で、23億円の配給収入は1982年の邦画で1位となった[3][注 1]。興行収入は47億円[5][6]。主題歌も大ヒットした興行的成功作である一方、アートフィルムとも言える異色の映画でもある[5]

セーラー服と機関銃
監督 相米慎二
脚本 田中陽造
原作 赤川次郎
セーラー服と機関銃
製作 角川春樹
多賀英典
伊地智啓(プロデューサー)
山本勉(製作補)
出演者 薬師丸ひろ子
渡瀬恒彦
音楽 星勝
主題歌 薬師丸ひろ子
セーラー服と機関銃
撮影 仙元誠三
編集 鈴木晄
製作会社 角川春樹事務所
キティ・フィルム
配給 東映
公開 日本の旗 1981年12月19日
日本の旗 1982年7月10日(完璧版)
上映時間 112分
131分(完璧版)
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
製作費 1億5000万円
興行収入 47億円
配給収入 23億円
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企画・製作準備[編集]

角川映画との提携[編集]

『セーラー服と機関銃』の映画化は『翔んだカップル』をやる前に相米慎二監督自らが出した企画[7][8]キティ・フィルム伊地智啓プロデューサーに女優が見つかれば実現可能だと言ってきた[8]

『翔んだカップル』が出来上がったころ、伊地智は自分の娘から当時まだ無名だった赤川次郎の小説『セーラー服と機関銃』が面白いと教えられ、その本に書いてあった赤川の住所が同じ団地だったこともあり、そのまま赤川宅に映画化の相談に訪れ、すぐに脚本作成に入った[9]

ところが、相米監督は自らが出した企画にもかかわらず、リアリティが無く映画化しづらい話だとも話している[10]

主役の星泉役に薬師丸ひろ子を使うため、薬師丸の所属する角川春樹事務所に出演交渉を行うが、事務所は薬師丸の他社映画への出演を拒絶した[11][12]。そこで、伊地智は相米監督を使って、事務所を経由せずに直接薬師丸に脚本を渡し読ませた[12]。脚本を非常に気に入った薬師丸が角川春樹を説得、予想外に早くOKの返事が来て、キティ・フィルムと角川春樹事務所が提携して映画を製作することになった[12][11]

問題は提携の具体的中身だったが、本音では角川とは組みたくなく、特に製作だけは絶対に譲りたくなかった伊地智の思惑通り、製作は完全にキティ、宣伝は角川が担当するという分担になった[13][注 2]。角川側は金を半分出しているだけで、映画の製作過程や出来上がった作品について文句をつけることはなかった[13]

タイトル・版権[編集]

伊地智が映画化交渉のために赤川宅を初訪問した際、カタカナを含む映画タイトルを配給会社が嫌うため、タイトルを『セーラー服と機関銃』から変更するかもしれないと赤川に断りを入れている[12]

原作の『セーラー服と機関銃』の版権主婦と生活社が持っていたため、角川書店の薬師丸を他社原作の映画に出演させるのかという問題があったが、1981年10月に角川文庫化することで解決した[14]。しかし、映画には角川書店と並んで主婦と生活社もクレジットされている[14]

文庫化された『セーラー服と機関銃』は約2か月で100万部を突破した[15]。赤川次郎にとって初めてのミリオンセラーになった[16]

主人公のモデル[編集]

赤川次郎の原作の中で、主人公の星泉は、小柄で均整のとれた体、愛くるしい顔立ちではあるが真一文字に結んだ唇と意思の強い光を伴う大きな目が可愛いと言われることを拒否していると形容されている[17]

赤川が『セーラー服と機関銃』を執筆直後にも薬師丸主演で映像化の話は存在したが、中学3年の薬師丸と高校生の星泉では大きく異なるため計画は中止になっていた[17]。赤川も薬師丸で映画化されると良いと思っていたが、それが原作発表から3年後に現実のものとなった[17]。〔1981年時点では〕薬師丸を想定して小説を書いたと言われても仕方ないと発言し[17]、2013年の記事では薬師丸を想定して『セーラー服と機関銃』を執筆したと断言している[15]

衣装・小道具[編集]

衣装の制服は本物の制服。何回も衣装合わせをしたが監督の気に入ったものがない状態の時、薬師丸が学校帰りに自分の学校(八潮高校)のセーラー服[18]を着たまま撮影所に行くと、その姿を見た監督がそれを気に入り採用となった。撮影用として経費で学校の制服を丸々1着新調してもらえる事となった薬師丸は、当時「学校に着て行ける制服が増えて嬉しい」と素直に思ったという[19]。映画公開後も薬師丸は、そのセーラー服姿で山手線を使って通学していた[20]。 クライマックスシーンで薬師丸が撃った銃はM3グリースガンである。当作の撮影にあたっては、1977年までハドソン産業で製造されていた軟鋼板プレス製のモデルガンを改造したものと、 MGC製のモデルガンを改造したもの、2種類が使われた。どちらも電気発火式のプロップガンで、発射時に空薬莢は排出されず発砲炎だけが再現される構造となっていた。前者のハドソン改造品は中盤で佐久間が奪って使用するシーンで用いられ、後者のMGC改造品はクライマックスシーンで用いられている。
どちらのプロップガンも本編のほかポスターや宣伝用スチル写真でも使われており、MGC改造のものは発火装置を仕込んだ関係上実物と比べフレームが延長されており、銃身部の根本と弾倉の間が長いことで区別できる。

配給変更[編集]

当初、東宝の正月映画第2弾1月15日公開の予定だったが、角川春樹が配給を東宝から東映に変更し、東映の正月映画となった[11]。東宝の正月映画はたのきんトリオの『グッドラックLOVE[注 3]

薬師丸の前作は東宝配給の『ねらわれた学園』だったが、併映の『ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY』のみ1本立て興行を行ったり、当初、東宝の宣伝費が『ブルージーンズメモリー』に8割、『ねらわれた学園』に2割という不平等な扱いだったため、立腹した角川春樹事務所が次作の『セーラー服と機関銃』の配給を東宝から東映に変更した[22]岡田茂東映社長が松岡功東宝社長に仁義を通した上で配給を引き受けた[23]

日刊スポーツの相原斎によれば、東宝は『ブルージーンズメモリー』と『ねらわれた学園』の2本立てのヒットに気を良くして、正月映画もたのきん+薬師丸の組合せを企画していた[24]。立地に優れた映画館を有する東宝配給、かつ、人気のジャニーズ映画の併映という恵まれた条件を蹴ったことについて、大方の映画関係者は無謀だと思っていた[24]

シナリオ[編集]

脚本家の田中陽造は、〔難解な〕映画『ツィゴイネルワイゼン』・『陽炎座』の後だったので、楽しんでやれた仕事だと答えている[25][注 4]。一人の少女が世の中に一歩踏み出す1か月間の話であり、世にも不思議な青春喜劇をシリアス・ドラマの手法で描き、少女とヤクザの異なる世界観のズレから生じる笑いを狙った[25]

製作[編集]

1981年夏[編集]

1981年夏、当時東京都立八潮高等学校2年生だった主演の薬師丸の夏期休暇に合わせ、東京新宿周辺でのロケを主体に撮影された。

撮影開始に際し、相米監督は薬師丸をショートカットの髪型にさせている[注 5]

薬師丸の初登場シーンはロングショットブリッジをしていて、寄ると顔がセーラー服のリボンで隠れているというアイドル映画としては異例なものだったが、角川サイドは何も文句を言わなかった[26]

泉の学校に佐久間たちが迎えに来る「校門にやくざがずらりと並び、佐久間が校舎から出てきた泉を迎えて車に乗せる(ただし実際の目高組の組員は4名であり、後にこの時並んでいた組員は借物だと佐久間が泉に説明する)」シーンは、暁星学園の学園正門を使って撮影された[注 6]

黒沢清助監督は、星泉(薬師丸)が〔自宅マンション内で初対面の〕三大寺マユミ(風祭ゆき)とチェスをするシーンの棋譜まで考え用意していたのに、キャメラが〔マンションの〕窓の外10メートルにあったため、チェス盤すら全く写らなかった[27]

ゲリラ撮影1[編集]

新宿通りを暴走するシーンは本物の暴走族が参加しての一発撮り。周辺住民から騒音の苦情が出たため、スタッフ2名が警察の事情聴取を受ける[11]

太宗寺の地蔵菩薩坐像から離れると〕レールに載せたキャメラで追い、次はキャメラごとリアカーに乗り換え、大通り〔新宿通り〕では軽トラック〔の荷台〕に乗り継ぎ、ワンシーン・ワンカットを完成させた[28]

浜口物産[編集]

浜口物産の高層ビルのエレベータ内で、星泉組長が佐久間と政の関係を怪しみ、「オタクひょっとしてェ、クルージング?」と尋ねているが、『クルージング』は1981年に日本公開されたゲイホモ・セクシャル)を扱ったアメリカ映画。

浜口物産に殴り込みを駆けた時に浜口社長がホームシアターで観ていたのは、美空ひばり江利チエミ主演の時代劇ミュージカル映画『ひばり・チエミの弥次喜多道中』(1962年)。当初は、東宝のミュージカル映画『ああ爆弾』を流したかったが、東宝が東映の映画には貸せないと断られたため、東映の『ひばり・チエミの弥次喜多道中』になった[29]。別説として、2代目快楽亭ブラックはホームシアターで観ていたのは市川右太衛門主演の『浪人八景』(1958年)か『浪人市場 朝やけ天狗』(1960年)ではないかと推測している[30]。映画評論家の垣井道弘もキネマ旬報誌上の座談会で「市川右太衛門が写ってましたね。」と発言している[31]。『ひばり・チエミの弥次喜多道中』には市川右太衛門は出演していない。結論を得るため、快楽亭ブラック (2代目)が、直接、相米慎二監督に確認したが、監督も映画の題名を知らなかった[30]

薬師丸負傷[編集]

薬師丸が機関銃を撃つシーンで破裂して飛び散ったダンヒルのビン(飴ガラス製)の破片が薬師丸の鼻のすぐ脇に当たり、出血を伴う軽傷を負った[32][注 7]。薬師丸本人はこの負傷に気づかなかったが[注 8]、すぐ脇に立っていた渡瀬恒彦は気づき、薬師丸をかばう(手当てを受けさせるよう手配する)ようなそぶりを見せている。傷は長さ1cm弱で浅かったが、対応した医師は傷痕は残ると宣告する[34]。翌日、伊地智は預かっている薬師丸を負傷させてしまったお詫びに角川に出向くが、何の文句も言われないので拍子抜けした[26][注 9]。映画撮影終了後に撮影された主題歌のレコードジャケット写真では、メイクによってこの出血が再現されている[35]

渡瀬恒彦ら共演者が薬師丸の流血を心配している中、相米監督はカットをかけずに撮影を続行した[36]仙元誠三キャメラマンは薬師丸のことは心配だったが、すごい映像が撮れたことに映画屋らしい喜びを感じてもいた[36]

黒沢助監督は、薬師丸が〔弾薬を仕掛けたビンの破片をかぶらない〕安全ラインを踏み越えたことに気付いていたので撮影を一旦止める必要があったが、OKテイクになりそうだったので敢えて止めなかった[32]。止めるべきだったと2011年のトークショーで語っている[32]

ゲリラ撮影2[編集]

ラストの薬師丸が極端に短い髪型に変わり、赤いハイヒールを履いて『七年目の浮気』のマリリン・モンロー風に地下鉄通風口からの風でスカートをひらめかせるシーンは伊勢丹新宿店の前(新宿通り)で撮影が行われた。薬師丸の演技は数百メートル離れた新宿東映会館上階から望遠レンズを用いて隠し撮りされている。薬師丸の周囲にエキストラを使っている以外は、たまたま居合わせた一般の人が薬師丸を取り巻いている[37][注 10]

一般の人が自由に動く中、黒沢助監督が仕込みのエキストラを誘導するためにエキストラとして参加している[37]。黒沢助監督はラストカットで映画に映り込んでもいる[39]

長回し[編集]

仙元誠三キャメラマンも村川透監督の『遊戯シリーズ』がワンカット(長回し)が多く、自分も好きだったので「ワンカットで行きましょう」と自分から監督に提案することもあった[40]

総括[編集]

撮影は台風や薬師丸のケガのトラブルがあったので8、9日ぐらいの超過、予算も1000万円以内超過の1億8000万円と伊地智は実に穏やかだったと記憶している[41]

歌手デビュー[編集]

映画に関して何も注文をつけなかった角川春樹が、キティ・レコードが用意していた来生たかおの主題歌に「この主題歌は俺が聴いたなかで最低だよ」とクレームをつけた[42][注 11]。また、相米監督はキティ・フィルムとキティ・レコードの社長多賀英典に「ラストシーンを考えると、主題歌は女性の方がいい」と主役の薬師丸に歌わせると言い出した[11]。相米監督や榎戸助監督は薬師丸に同曲を歌わせ、カセットテープに録音した[42]。この歌の出来が良かったので、角川には内緒で主題歌を薬師丸に変更しキティ・レコードからリリースすることになった[42][11]。薬師丸が歌うことで、角川は曲に対して何も文句を言えなくなった[42]。薬師丸やキティ側が音楽制作に盛り上がっているなら〔歌手デビューも〕良いんじゃないのと角川は許可した[43]。映画『セーラー服と機関銃』の宣伝を担当した遠藤茂行によれば、映画ファン限定のスターだった薬師丸が主題歌を歌うことで同世代のアイドルにもなった[43]

プロモーション[編集]

大林宣彦によれば、1981年夏の『ねらわれた学園』のキャンペーン中から薬師丸の人気が急速に上がり[44]、本作で人気が爆発した[45]

1981年11月29日に新宿アルタ前で行われたイベント"ひろ子DEデート"にはファン1万5000人が集まり、映画宣伝イベントの動員記録となった[46][注 12]。プロのアイドルヲタクのブレーメン大島は、通勤ラッシュの満員電車のような大混雑の中で近くではなかったが、生で薬師丸を観れた喜びは格別だったと書いている[47]

映画のプロモーションの一環として、薬師丸の同級生役で共演していた柳沢慎吾光石研、岡竜也による「ひょうたん三銃士」というトリオが作られ、彼らが歌う「センセーショナルHIROKO」というレコードが製作された[48]。映画公開当時にはこの3人が出演しているPV映像も製作され、映画本編の上映前にはスクリーンでも流された。薬師丸が学業優先のためにメディアへ出られない分をカバーする戦術だったと、宣伝を担当した東映の福永邦明は話している[46]

映画公開当時、角川書店から出版されていた赤川次郎の本は、文庫が本作と『血とバラ』、単行本が『さびしがり屋の死体』、『悪妻に捧げるレクイエム』の計4冊しかなく、大規模なブック・フェアは出来なかった[49]中川右介は、角川映画のビジネスモデルが「文庫本を売るための映画作り」から「専属女優とそのファンのための映画作り」に本作から移行したと分析している[50]

『セーラー服と機関銃』の宣伝費は7500万円[51][注 13]。映画とは別に、角川書店は赤川次郎の『セーラー服と機関銃』などの書籍に対して宣伝費3億円を掛け、都合、映画の製作費1億5000万円の2倍の宣伝費が投入された[46][注 14]

〔当時はシネマコンプレックスが存在しなかったので、〕東映配給の『セーラー服と機関銃』の予告編は東映系の映画館でしか流せなかった[46]。しかし、角川書店の書籍のCMであれば、東宝系や松竹系の映画館でも『セーラー服と機関銃』の宣伝を行うことができた[46]

封切り[編集]

封切り当初、東映宣伝部は5週間で配給収入12億円と予想したが、それさえ大風呂敷と思われていた[注 15]。最終的に東映の歴代記録となる配給収入23億円を達成した[注 16]

岡田茂東映社長は、1982年2月のインタビューで「率直に言って配収12億円あがったら大成功と考えていた。営業部は早くから10億円は来るでしょうと言っていた。封切間近に前売りに火がついたものだから12億円は固いですよと言い始めたがそんな程度だった。東宝松岡功社長などもこの種のアイドル映画には10億の大きな壁があると言っておられ、ああそうだろうなと思ってたんですが、まあこれが19億円いっちゃったんだからねえ」と述べている[55]

『セーラー服と機関銃』の公開2日目(1981年12月20日)、大阪・梅田東映ほかでの舞台挨拶を予定していたが、徹夜組を含めた約8,000人[注 17]のファンが上映3館に殺到したため、放水車[56]を伴う機動隊まで出動し、舞台挨拶も上映も中止となった[11][46][1]。その騒動は翌日のスポーツ新聞のみならず、一般新聞の社会面トップ記事にもなった[46][57]。舞台挨拶を見られなかったファンは薬師丸を追って大阪空港へ殺到し、空港もパニックになる。空港を回避し新大阪駅に向かったが、そこにもファンがいて、結局、名古屋までタクシー移動し東京に戻った[54]。その後、薬師丸が大阪を訪問するには、何年かの間、警察の許可が必要だった[56][54]

映画館は連日満員御礼が続き。現在のような完全入れ替え制ではなかったためもあり、席が空かずに立ち見客があふれ、スクリーンの目の前に体育座りをして見ている人までいるという光景だった[58]

また別の記事では1982年1月7日の銀座の映画館は扉が閉まらないほどの満員で壁に寄りかかる隙間さえなく、縦通路の床には二列縦隊で座り込んでいる観客もいる始末、観客は中高生が大半で男女比は半々ぐらいだったと紹介されている[59]

長崎市の中学校長会生徒指導部会は「女子高生がヤクザの組長を継ぐ」という内容が教育上好ましくないという理由で中学生の映画鑑賞を禁止した[60]。中学生からの映画前売り券の返却が相次いだため、同市の映画興行組合は校長会に抗議文を送るとともに、ある劇場は「中学生も観覧できます」と書かれた看板を掲げた[60]

因縁の東宝の正月映画『グッドラックLOVE』との対決は、「普通の高校生」が売りの薬師丸がジャニーズの超人気者を打ち負かす結果になった[24]

プロデューサーの伊地智はオーナーの多賀英典とともにドアが閉まらないほどの満員の劇場を訪れた[42]。これまで映画を作っても観客の存在を実感することはなかったけれど、本当に自分たちの映画に観客がいることを初めて実感した[61]

評価[編集]

試写を見た原作者の赤川次郎は、アイドル映画のはずなのに薬師丸ひろ子の顔も判別できないロングショットの撮影やカットが少ない長回しといった実験的な映画内容に驚かされた[15]

相米監督は、魚眼レンズズームレンズを実験的に使ったが、やり過ぎだったと反省している[62]

当時東映の宣伝担当だった遠藤茂行は、意外性のあるタイトル、〔ヒットメーカーである〕赤川次郎の原作、相米映画のクオリティに加え、主演の薬師丸本人が主題歌を歌ったことが映画ヒットの要因と分析している[43]

岡田茂東映社長は「角川商法の文庫、映画、レコード三位一体戦法の見事な勝利だった。薬師丸ひろ子のレコードで最後にグンと伸ばしたの、これが利いたわねえ」などと述べている[55]。本作の成功を受け、1982年2月の時点で岡田が1983年の正月映画に『汚れた英雄』と『伊賀忍法帖』の二本立ての製作を角川に任せることに決めた[55]

映画評論家の増當竜也によれば、『セーラー服と機関銃』は薬師丸を一躍日本映画界を代表する青春スターにしただけでなく、大作路線からプログラムピクチャー路線に舵を切った角川映画の救世主となった[63]

1983年1月3日にはTBSの「月曜ロードショー」で新春1回目としてTV初放送され、その半年後の9月26日には同局同枠「月曜ロードショー」で再放送された。

日本郵便が2006年10月10日に発行した特殊切手「日本映画II」(現代の名作)(1980年〜2000年代公開)は、代表的な日本映画10作品を選定しているが、その1本に『セーラー服と機関銃』が選ばれた[64]

完璧版[編集]

相米作品の大きな特徴である長回しの手法が多用された結果、撮影時間が膨大になってしまったと言われ、1981年12月19日に公開された版(112分)は重要部分が大幅にカットされていた。

最初の版が公開されてから約半年後の1982年7月10日には、カットされたシーンを付け加え、「完璧版」と称した長尺版(131分)が公開された。「完璧版」公開の際には、薬師丸が『野性の証明』で映画デビューした直後(1978年)、TBS系で放送された薬師丸出演ドラマ『装いの街』が併映されている。なお、「完璧版」の公開初日には大学受験のために芸能活動を控えていた薬師丸が新宿東映会館に姿を見せ、報道陣のインタビューを受けるというハプニングもあった。

2018年2月、公開当時のカラーに復元した『セーラー服と機関銃 完璧版[再タイミング版]』が東京国立近代美術館フィルムセンターで上映される[65]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

ロケ地[編集]

銅造地蔵菩薩坐像

関連ソフト[編集]

映像ソフト[編集]

2012年に「角川映画ブルーレイ・コレクション」の一作品としてBD[67]2014年には4K Scanning BDが発売された[68]

  • セーラー服と機関銃(ポニーVHS:VAF-1072、ベータ:VFF-1072)
  • セーラー服と機関銃 完璧版(2枚組 LD)(パイオニア FH068-34KD)
  • セーラー服と機関銃(VHS)(1989年12月1日、ポニーキャニオン PCVX-30004)
  • セーラー服と機関銃 完璧版〈角川映画・薬師丸ひろ子傑作選〉(2枚組 LD)(1995年4月21日、ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン PILD-1117)
  • 角川ヒロイン第一選集(3枚組 DVD-BOX[注 20])(2000年12月22日、角川エンタテインメント KABD-91)
  • セーラー服と機関銃(DVD)(2000年12月22日、角川エンタテインメント KABD-92)
  • 薬師丸ひろ子 限定プレミアムBOX(4枚組 DVD-BOX[注 21])(2001年12月21日、角川エンタテインメント KABD-147)
  • セーラー服と機関銃(DVD)(2006年10月20日、角川エンタテインメント DABA-90281)
  • セーラー服と機関銃(DVD)(2008年10月24日、角川エンタテインメント DABA-90571)
  • セーラー服と機関銃 デジタル・リマスター版(DVD)(2011年01月28日、角川映画 DABA-0773)
  • セーラー服と機関銃〈角川映画ブルーレイ・コレクション〉(Blu-ray Disc)(2012年9月28日、角川映画 DAXA-4256)
  • セーラー服と機関銃 4K Scanning Blu-ray(Blu-ray Disc)(2014年12月5日、KADOKAWA DAXA-4622)
  • セーラー服と機関銃 角川映画 THE BEST(DVD)(2016年1月29日、KADOKAWA DABA-91117)

サウンドトラック[編集]

セーラー服と機関銃
オリジナルサウンドトラック
サウンドトラック
リリース
ジャンル サウンドトラック
レーベル キティレコード
チャート最高順位
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  • 薬師丸ひろ子『セーラー服と機関銃 オリジナルサウンドトラック』(1981年12月1日、キティレコード LPレコード:25MK0022 カセットテープ:25CK0027)
    • 薬師丸ひろ子の歌とモノローグ、星勝の作・編曲による劇伴で構成。
    • 1982年1月にオリコン週間LPチャート第1位になる。
  • 薬師丸ひろ子『セーラー服と機関銃 オリジナルサウンドトラック』(CD)(1986年8月25日、キティレコード H33K20053)
    • 上記のCD版。
  • 「セーラー服と機関銃」オリジナル・サウンドトラック〈永遠のサントラ BEST&MORE 999〉(CD)(2013年9月18日、ユニバーサルミュージックジャパン UPCY-9360)
    • 低価格版。内容は上記CDと同じ。
  • 備考[編集]

    参考文献[編集]

    • 『フラッシュバックひろ子 : ありのままの輝き「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子写真集』 角川書店、1983年。
    • 木村建哉、中村秀之、藤井仁子 『甦る相米慎二』 インスクリプト、2011年9月30日。ISBN 978-4-900997-32-5。
    • キネマ旬報社 『シネアスト相米慎二』 キネマ旬報社、2011年11月10日。ISBN 978-4-87376-380-4。
    • 中川右介 『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』 角川マガジンズ、2014年3月。ISBN 4-047-31905-8。
      • honto版(2014年3月8日刊行本が底本・2014年2月28日ダウンロード)

    脚注[編集]

    [ヘルプ]

    注釈[編集]

    1. ^ 23億円は完璧版との合算[4]
    2. ^ 伊地智は、角川側にまだ製作の体制が整っていなかったためだと想像している。
    3. ^ 配給収入10億5000万円[21]
    4. ^ 脚本が予定より100枚もオーバーするほどにノリノリだった[25]
    5. ^ 主演の若年女優をショートカットにするのは、本作以後数作にわたり相米作品の特徴となった。
    6. ^ 2006年(平成18年)現在は事務棟などがあり、ロケ当時の面影は薄い。
    7. ^ ビンの破片が、もう少し高い位置に当たっていたら失明の危険もあった。
    8. ^ 後年のインタビュー内では、傷は未だに残っていることや、負傷時には出血を鼻水が出たと思ったことを薬師丸本人が告白している[33]
    9. ^ 伊地智は角川春樹事務所が普通の芸能事務所ではないと感じた[26]
    10. ^ 〔引用者注〕雑誌『FLASH』の記事ではエキストラを使っていないとなっているが[11]、『甦る相米慎二』では仙元キャメラマン、榎戸・黒沢両助監督の証言があり、より信憑性が高いと判断した[38]
    11. ^ 角川は曲自体がダメだと言っていた[42]
    12. ^ 東映の宣伝担当だった遠藤茂行は2万5000人と答えている[43]
    13. ^ 当時の東映映画1本の宣伝費は3000〜7000万円[46]
    14. ^ 東映宣伝担当の福永邦昭は映画の宣伝費は7000万円で、書籍の宣伝費との総合計が3億円と話している[52]
    15. ^ 『甦る相米慎二』では興行収入12億円の予想になっていたが[53]、中川の『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』では配給収入12億円いけば大成功となっている[54]。〔引用者注〕前作の『ねらわれた学園』の配給収入が12億5000万円なので、配給収入が正しいと判断した。
    16. ^ 中川の『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』では22億8800万円[54]
    17. ^ 大阪府警発表は1万人。スポーツ新聞には6,000人とも。
    18. ^ 薬師丸の写真集『フォトメモワール』などのカメラマン。
    19. ^ 大谷石
    20. ^ 『セーラー服と機関銃』、『時をかける少女』、『結婚案内ミステリー』をセットにしたDVD-BOX。
    21. ^ 『セーラー服と機関銃 完璧版』、『メイン・テーマ』、『翔んだカップル オリジナル版』に、特典ディスク『薬師丸ひろ子 カンペキ盤』をセットにしたDVD-BOX。

    出典[編集]

    1. ^ a b 【名作映画を見てみよう!】「セーラー服と機関銃」 警察官まで集めた、カ・イ・カ・ン! バブル景気の直前、輝いていた時代”. 産経WEST (2015年7月5日). 2015年7月6日閲覧。
    2. ^ 中川 2014, p. 155.
    3. ^ 1982年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
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    関連文献[編集]

    • 長門洋平 「セーラー服と機関銃とサウンドトラック盤 - 初期「角川映画」における薬師丸ひろ子のレコードの役割」『戦後映画の産業空間: 資本・娯楽・興行』 谷川建司、森話社、2016年7月8日。ISBN 978-4-86405-098-2。

    関連項目[編集]