ソビエト障害学

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ソビエト障害学(そびえとしょうがいがく)とは、旧ソビエト連邦ロシア)で発展した身体的、知的障害を持つ児童の、発達・訓育・教授―学習の法則性に関する科学。 障害学の課題のうちには、障害学の研究方法の構築、児童の発達における障害を補償する手段・方法の決定、障害児の訓育、教授―学習、生産活動への導入のシステムの一般的原則の作成といった問題を含む[1]

前史[編集]

ロシア革命以前からロシアでは、障害児の教育が、一般の養育院や孤児院で行われていた。18世紀末に、ロシアやそのほかの国々で、視覚障害、聴覚障害、そのほかの障害児のための主に私設による特殊施設や、さまざまの教育学的、教授法的システムが作られるようになった[1]

ソビエト障害学の誕生[編集]

ソ連邦では、障害学は、教育科学的知識の体系を成立させている。障害学は、障害児たちの発達特性に関する観念論的見解や、彼らの教育についての慈善的立場との闘争の過程で洗練されてきた。教育科学としてのソビエト障害学は弁証法的唯物論を基礎として発達しており、自然科学の成果、とくにセチェノフパブロフの生理学説および隣接諸科学――神経学、生理病学、精神病学、言語学、電気生理学などの資料を広く活用している。また、教育経験の集積も障害学を豊かなものとしている。ソビエト障害学は障害の補償過程の根源を科学的に説明し、障害克服の方法、障害児における全面的な発達実現の方法、生産活動に参加させる方法を作り上げた[1]

学問分野およびそれらの基本領域の分離[編集]

聴覚障害の教育学は、重度聴覚障害と難聴の児童に対する教授―訓育の法則性の研究を、視覚障害の障害学は、重度視覚障害と弱視の児童について、知的障害の教育学は知的障害の児童について、同様の法則性を研究する。言語矯正学は、言語障害児の教授―学習ならびに訓育の法則性、また、言語障害に対するリハビリテーションの方法について研究する。

これらの各分野における研究の進展は、障害児の精神発達の研究領域を拡大させた。重複障害や情動的―意志的側面に障害を持つ精神病児の訓育ならびに教授―学習の諸問題を包括する独立の諸分野も分離されていた[1]

基礎のうえにおける諸問題の研究[編集]

障害児の一般的な発達法則と彼らの訓育ならびに教育―学習の原理とを基礎として、以下の4つの問題が主題とされた。

1.一定の障害をもつ児童(視覚障害、聴覚障害など)の社会環境の諸条件のもとでの発達の特質。

2.障害児の各カテゴリーのものの特別に組織された訓育ならびに教授―学習過程の本質。家庭における障害児教育と特別に組織された過程におけるそれとの相互関係。

3.特殊教育施設のそれぞれの型に応じた訓育ならびに教授―学習の内容、手段、方法、その組織形態。

4.障害の結果を克服する原理と方法、さまざまな障害をもつ児童を社会生活や実際活動に参加させる方途と手段[1]

ロシア革命以後の各種研究機関の活動[編集]

1920年代初めには、ソ連邦では障害児教育者(聴覚障害、視覚障害、知的障害)を養成する2つの高等教育機関が活動していた。ペトログラードの健常児と障害児との社会教育の教育大学とモスクワの障害児童の教育大学であった。この頃人民保健委員部により国立障害児童研究所が設立された。のちに障害児教育者の養成は、レーニン記念モスクワ国立教育大学、ゲルツェン記念レニングラード国立教育大学、およびキエフ教育大学で行われることとなった。

障害学の諸問題の研究は、モスクワの教育科学アカデミー障害学研究所、キエフのウクライナ共和国教育学研究所、ならびに諸大学の障害学部の講座で研究された。重要な教育方法研究が、特殊学校の教師たちによって行われた。障害学の領域で働き、学位論文のとおった専門家には、教育学修士、博士の学位が与えられる。研究所や教育大学の講座では、直接教授と通信教授の方法が用いられた[1]

ロシア社会主義共和国教育科学アカデミーは1966年の国際心理学会開催以降ソ連邦教育科学アカデミーに組織変えになり、障害学研究所はソ連邦教育科学アカデミー障害学研究所となった。この頃研究所は6部門に分かれていた。(1)知的障害 (2)聴覚障害 (3)視覚障害 (4)言語障害 (5)視覚・聴覚重複障害 (6)臨床・病理[2]

ヴィゴツキーの時代[編集]

心理学者ヴィゴツキー1924年から死没する1934年にいたるまでの約10年の間に、障害児の発達あるいは教育に関わる著作を主なものだけでもおよそ50余り作成している[注釈 1][注釈 2]

日本語訳論文一覧

1.障害児の心理学と教育学(1924)
[3]
  • ヴィゴツキー編『盲・聾唖・知的障害児の心理学と教育学によせて』(1924)に掲載されたもの。革命後のロシアにおける新しい障害児教育のあり方を伝統的特殊教育学との対比において論じたもの。次項「障害児教育の原理」とともにソビエト・ロシアにおける新しい障害児教育の研究と実践を、従来の感覚訓練など生物学的補償に重点をおいたものから、社会的補償に重点をおき、健常児と同じ集団生活や労働教育を保障するような新しい方向に導くうえで重要な役割を果たした論文である[4]
2.障害児教育の原理(1924)
[5]
  • 未成年者の社会的権利保障に関する第二回大会(1924年11月)での報告に基づいて執筆された。のちに『国民教育』誌1925年1月号に掲載された。28歳のヴィゴツキーがこの大会で行った報告は、ソビエトの障害学―教育者たちにとって、「青天の霹靂」ともいえる「予期せぬものであり、すべての障害学―教育者を一変させる」ほどの「革命」的意義をもつ報告であったと、A.レオンチェフは『ヴィゴツキーの生涯』のなかで述べている。なお、ヴィゴツキーは当時出版されたばかりのグラボフ著『養護学校』(1925)についてのかなり詳しい批判的検討=書評を付け加えている。この書評は、のちに『国民教育』誌1925年9月号に掲載された[6]
3.障害と超補償(1927)
[7]
  • 最初、1924年に執筆され、このテーマでヴィゴツキーは第2回未成年者社会的―法的保護大会での報告を行っている。のち、論文集『知能・視覚・聴覚障害』(1927)に掲載されタイトルが「障害と超補償」とされた。オーストリアの精神科医で社会民主主義者であるアルフレッド・アードラーたちの超補償の「超補償」理論に関する弁証法的学説、すなわち「障害、不適応、低い価値――これらはマイナス、欠陥、否定的量であるだけでなく、超補償への刺激でもある」「身体的不完全さを主観的な不完全さの感情を通して補償や超補償への精神的欲望に弁証法的に転化するのは心理学の基本法則である」といった考えの革新性を基本的には評価しながらも、その「楽観主義」に綿密な批判的検討を加えている。「補償の純粋に有機的性質に関する素朴な見方」と「この過程の社会的―心理学的要素の無視」を特に問題とした。児童期の不適応には、かえって超補償の源泉、機能の超完全な発達の源泉があることに注目した。「ある種の動物の児童期が適応していればいるほど、発達と教育の潜在的可能性は少なくなる。もしわれわれが、環境とまったく均衡し、完全に適応している生体、すなわち凡ての点で全く十分な生体を考えるならば、そのような生体は、発達や教育が、すなわち進歩がまったく不可能となるであろう。つまりなにものも、その機能をさらに発達させることができないわけである。超価値の抵当は、無価値さの存在の中にあたえられている。それゆえに、不適応と超補償が子どもの発達の推進力なのである。」[8]「盲児や聾唖児が、教育学の観点からすると基本的に健常児と同じにみなされるということは、真理である。だが彼らは、別の方法によって、別の道を通って別の手段によって、健常児が到達するのと同じ段階に達するのであり、したがって教師が、子どもの通るはずの道のまさにこの独自性を知ることは特に重要である。」とヴィゴツキーは指摘する[9][10]
4.困難をかかえた子どもの発達とその研究(テーゼ)(1928)
[11]
  • 『ソ連邦児童学の基本問題』(1928)に掲載されたもの。困難をかかえた子どもの診断法、困難の種類や程度によるこれらの子どもの分類の基本的原理が述べられている。重要なことは、「障害ではなくて、あれこれの障害をもった子どもを研究すること」であり、「周囲の環境との相互作用のもとでの子どもの人格の全体的研究」、「教育過程における子どもの長期の研究」が必要であるということなどが、簡潔なテーゼの形で述べられている[12]
5.困難をかかえた子ども(1928)
[13]
  • 1928年3月4日に行われた講義の速記録である。ソ連教育科学アカデミー障害学研究所記録p.9。困難をかかえた子ども、教育困難な子どもの性格形成のあり方とともに障害の補償のあり方、さらにはこれらの子どものかかえる障害を克服し、欠陥に打ち勝つ方法が具体的に論じられている[14]
6.現代障害学の基本問題(1929)
[15]
  • ヴィゴツキーが第Ⅱモスクワ国立大学教育学研究所障害学部門で行った報告に基づいて執筆された。同大学紀要1929年1月号に掲載された。盲・聾などの器質的障害が、子どもの精神発達にとって薄弱、遅滞、制限といったマイナスの意義をもつだけでなく、それとは逆に、障害の感覚と意識が心理発達への刺激となって補償・超補償への志向を生むプラスの意義をも持ち得ること、しかし、そのためには障害児の文化的発達を保障する正しい社会的補償や社会的教育の体系が構築されねばならないことを論ずる[16]
7.障害児の発達と教育に関する学説(1930?)
[17]
  • 執筆や発表年月は不明。内容から1930年前後の執筆が推定される。「自己中心的ことば」や「文化的発達」への言及あり。障害児の場合、発達の自然的局面と文化的局面との区別が、健常児と比べより鮮明に現れる。発達の自然的障害は機能不全というマイナスを意味するだけでなく、適応の回り道をつくってそれを補い、さらには上乗せする心理機能の文化的発達を促すプラスの役割をも果たすという二面的性質があることを指摘し、文化的発達の回り道の体系を創り出すことに障害児教育の現代的課題があることを論ずる[18]
8.困難を抱えた子どもの発達診断と児童学的臨床(1931)
[19]
  • 1931年に当初論文集『困難を抱えた子どもの児童学の諸問題』のために書かれたが、論文集が何らかの理由で出版されず、ヴィゴツキー没後、分冊のパンフレットとなって出版された。当時、児童学はヴィゴツキー自身も書いているように危機的状況にあった。ソビエトにおける新しい科学としての児童学研究の急激な発展それ自体が、その方法論の実際上の無効性、非生産性、非科学性を表面化させるという危機を招いていたのである。ヴィゴツキーは、この危機を正しく認識し、その理論と実際(児童学的調査・診断など)との乖離を克服し、児童学を実際的にも役に立つ真の科学にするための方途をこの論文の中でも懸命に論じていたが、そうした努力が効を奏する前に、ソ連共産党中央委員会による鉄槌がくだされた。同委員会決定「教育人民委員部の系統における児童学的傾向について」(1936年7月4日)は、児童学者たちの行っている調査や実践は、「似非科学的・反マルクス主義的な命題に基づくものであり、成績不良者や学校の生活基準の枠にはまらない者を、「生物学的ならびに社会的要因」によって「知能遅滞児、障害児、問題児」などと決めつけ、特殊学校や特殊学級に送り込む手段とされていると厳しく弾劾したのである。ヴィゴツキーの本論文は、児童学のそのような問題点を自身は十分に認識していたことがわかる。特に困難を抱えた子どもの児童学的研究は、精神病学や生物学の発展と比べたとき、学問体系が成立する以前の経験論的段階にあること、したがってダーウィンが進化論を創造することによって、鯨を魚類とするような「表現型的観点から条件的=発生的観点への移行」を創り出したときに生物学に生じたようなことが児童学においても行われなければならないと論じるほか、そうした困難を抱えた子どもの教育と治療の可能性については、「徴候が根本的原因から隔たってるほど、それは教育的および治療的働きかけをより多く受ける。……高次の精神機能や高次の性格論的形成の発達不全は、知的障害や精神病においては二次的症状であり、障害そのものによって直接的に条件づけられた低次のあるいは基本的過程の発達不全よりも実際により変わりやすく、より働きかけを受けやすく、より除かれやすい。子どもの発達過程で二次的形成として生ずるものは、原則的には予防できるし、あるいは治療=教育的に除かれ得る」ということをくわしく論じている[20]
9.知的障害児の発達と補償の問題(1931)
[21]
  • 1931年5月23日に行われた養護学校従業員会議でヴィゴツキーが報告した内容の速記録。この論文では、知的障害児の発達と教育に関してヴィゴツキーたちの研究が明らかにしたいくつかの心理法則が述べられている。第一に、知的障害児の発達不全には、一次的原因から直接的に引き起こされたものと、その発達不全のために周囲の環境の影響を適切な時期に受けられなかった結果、遅滞が蓄積され社会的発達不全の形態をとる二次的障害とがあること、そして障害のこの二次的複雑化は、障害児の発達過程でもっとも簡単に根絶されるものであることが確認された。伝統的教育学からは逆説的と見えるが、基礎的機能と比較して高次の精神機能は教育の可能性がもっとも高いのである。このことと関係してヴィゴツキーが明らかにしたきわめて重要な法則は、「あらゆる高次の精神機能は、子どもの発達過程で二度現れる。初めは、集団的行動の機能として、子どもと周囲の人々との協同の組織として、次には、精神過程の内的な活動能力として現れる」というものである。その具体例としてここであげられているのは、ことばがコミュニケーションの手段から思考の手段となる例、論理的思考が、就学前の子どもに現れるのは、児童集団で発生するけんか(口論)が基となっているという例、さらに遊びの過程で自分自身の行動を集団の行動の規則にしたがわせる手法の発生が基になって、行動の内的意志的機能が形成される例などである。このようにして、まさに集団こそが、健常児も障害児も含めて高次精神機能発達の源泉となるということが述べられている[22]
10.障害児の発達要因としての集団(1931)
[23]
  • 『障害児の諸問題』誌1931年112号に発表されたもの。集団こそが障害児の発達の源泉であり、障害児教育の最大の可能性もそこにこそあるという命題は、ヴィゴツキーの「文化的―歴史的精神発達の理論」から導き出された法則――「あらゆる高次精神機能は行動の過程で二度現れる。最初は、集団的行動の機能として、協同あるいは相互関係の形態として、社会的適応の手段として、その後二度目には、子どもの個人的行動様式として、個人的適応手段として行動の内的過程として現れる」に基づくものである。したがって、この法則や教育的命題は、健常児にも障害児にも共通してあてはまるものであるが、とりわけ障害児の発達および高次精神機能の発達不全を正しく理解するうえで鍵となるものであることが強調されている。さらに、本論文で、子どもたちの集団を形成する場合、障害の程度の均質な集団を選び出すのは、子どもたちの自然的傾向に逆行する反教育的な規則であり、異質な子どもの集団こそ教育的であるという、健常児の集団にも共通する教育学の一般法則が提示されていることも注目に値する[24]
11.重度障害児の教育(1932)
[25]
  • グラチョーワ著『重度障害児の教育と教授』(1923)への序文として書かれた。グラチョーワ(1866-1934)は、重度障害児の教育にあたったロシア最初の障害学者とされている。ヴィゴツキーは、グラチョーワの著作が、悲観主義的な最小限要素主義の理論を論破し、重度障害児に対する教育学的楽観主義の思想を自らの実践の事実に基づいて提起していることを高く評価する。それとともに、重度障害児の発達においても、他の子どもとの交流や協同が重要であり、重度障害児の社会的教育=集団教育は、伝統的な「生理学的教育」の観点からすれば、まったくのユートピアと思われるような可能性を開くものだとして、本論文でも、集団生活こそが障害児の発達の源泉であるという持論を展開し、強調している[26]
12.知的障害の問題(1935)
[27]
  • ヴィゴツキーとダニュシェフスキー編の論文集『知恵遅れの子ども』(1935)のために書かれたもの。ヴィゴツキーが本論文で中心的に取り組んでいる問題は、知恵遅れの子どもたちの情動的障害と知能的障害との間に存在する関連を明らかにすることである。従来の障害学は、知恵遅れの問題をすべて低知能ということで片付ける主知主義か、意志の不足が主要な障害だとする主意主義かに傾いていた。ヴィゴツキーは弟子のザンコフ、ソロヴィエフらの協力を得て低知能児と健常児との実験的比較研究を行い、両者の相違は、知能とか情動そのものの特質よりも、これら二つの精神領域の間に存在する関係の独自性、この情動過程と知的過程との関係が切り開く発達の道筋の独自性のなかにあることを明らかにした。ここでなされている低知能児の心理活動の特徴づけは、知能と情動との関係の可変性に関する命題とともに、その後、知的障害児の研究を進めていくうえでの基本的前提となるものであった[28]

参考文献[編集]

  • 『ヴィゴツキー障害児発達論集』大井清吉・菅田洋一郎監訳、ぶどう社、1982年
  • 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年
  • 『ヴィゴツキー心理学論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2008年

心理学の関連項目[編集]

  • 口論
  • 概念の外延と内包
  • 一般化
  • 弁証法論理学と概念的思考
  • 思考
  • 自己中心的ことば
  • ことば
  • 内言
  • ことば主義
  • 知能と情動との関係
  • 知能
  • 意欲減退
  • 意志
  • 感覚運動的訓練
  • 困難を抱える子どもの類型学
  • 補償の原理
  • 補償の法則
  • 治療教育学
  • 混成的集団
  • 知的障害児の集団の研究
  • 集団主義者の教育
  • 集団のなかでの発達
  • 障害児の発達
  • 障害児の発達と教育の弁証法
  • 直観教授
  • 論理的思考の発達
  • 抽象すること(抽象的思考)
  • 思考
  • 発達の最近接領域
  • 文化的発達

[29]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1982年と2006年と2008年の3回にわたり、それぞれ『ヴィゴツキー障害児発達論集』『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』『ヴィゴツキー心理学論集(の一部)』としてまとまった量の論文等が日本語に翻訳出版されている。
  2. ^ 1924年、ヴィゴツキーは教育人民委員部の障害児教育課主任に就いたが、その際の個人調書の「向いている部門は」との問いに「盲聾唖児教育部門」と回答している。『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、p.1

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 項目「障害学」ソビエト教育科学アカデミヤ版『ソビエト教育科学辞典』明治図書出版、1963年、p.475
  2. ^ 山口薫著「特殊児童の精神発達の諸問題――解説」ソビエト心理学研究会『ソビエト心理学研究』第4号、1967年、p.2
  3. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.55-84
  4. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、p.268
  5. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.85-101
  6. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、p.268
  7. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達論集』大井清吉・菅田洋一郎監訳、ぶどう社、1982年、pp.91-125
  8. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達論集』大井清吉・菅田洋一郎監訳、ぶどう社、1982年、p.103
  9. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達論集』大井清吉・菅田洋一郎監訳、ぶどう社、1982年、p.113
  10. ^ 『ヴィゴツキー心理学論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2008年、p.265
  11. ^ 『ヴィゴツキー心理学論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2008年、pp.214-220
  12. ^ 『ヴィゴツキー心理学論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2008年、p.266
  13. ^ 『ヴィゴツキー心理学論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2008年、pp.221-237
  14. ^ 『ヴィゴツキー心理学論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2008年、p.266
  15. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.10-44
  16. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、p.267
  17. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.45-54
  18. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.267-268
  19. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.202-266
  20. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.271-272
  21. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.135-162
  22. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.269-270
  23. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.163-190
  24. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、p.270
  25. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.191-201
  26. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、p.271
  27. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、pp.102-134
  28. ^ 『ヴィゴツキー障害児発達・教育論集』柴田義松・宮坂琇子訳、新読書社、2006年、p.269
  29. ^ 柴田義松著『ヴィゴツキー心理学辞典』新読書社、2007年

関連項目[編集]