タンマランカー

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タンマランカー
ธรรมลังกา
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チエンマイ
在位 1816年 - 1822年5月4日
戴冠 1816年
家系 チェットトン王家
出生 1746年
チエンマイ​、ラムプーン
死亡 1822年5月4日
チエンマイ​、チエンマイ
チャーイケーオ
チャンター
配偶者 チャンフォーン
宗教 上座部仏教
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タンマランカー公は、タイ王国の復興ラーンナー王朝の第2代目の王である。

歴史[編集]

先代王のカーウィラと同じく、ランパーン県の知事、チャーイケーオの息子で三男である。1782年チエンマイの副王に任命させる。

猛将として知られ、1802年ビルマに寝返ったムアンサートの国主を拿捕しバンコクに送る。また、1804年にはチエンセーンからビルマ軍を追い払いチエンセーンをシャムの図版に加えた。これらの功績により、カーウィラの死後の1816年、チエンマイの国王として認められた。

国王になった後、ラーマ2世白象を送ったことで、白象王とよばれ親しまれた。その治世はワット・プラシン、ワット・プラタートシーチョームトーンを修復、城壁を整備するなど国内のインフラ整備に力を入れた。

子孫[編集]

  • マホータラプラテート
  • プラヤー・ラッタナケート (サムセーン) (พระยารัตนเขตต์ (คำแสน)) ・・・チエンラーイの国主。
  • ノーイノーカム (เจ้าอุปราช น้อยหน่อคำ) ・・・ 第四子。チエンマイの副王。プッタウォンの弟・ノーイカーウィラ (เจ้าบุรีรัตน์ น้อยกาวิละ) の孫であるブンナーク姫 () と結婚。孫は、พันตำรวจเอก เจ้าไชยสงคราม สมพมิตร ณ เชียงใหม、チャイソンクラーム王子(ソムパミット・ナ・チエンマイ警察大将)の祖父。
  • シーピムパー王女 (เจ้าหญิงศรีปิมปา) ・・・ファーンの国主、プラヤー・マヒッティウォンサー (ナーンマハーテープ) (พระยามหิทธิวงศา (หนานมหาเทพ))の母。
  • ブンパン王女 (เจ้าหญิงบุญปั๋น) ・・・ファーンの国主、プラヤー・マヒッティウォンサー (ノーイマハーウォン) (พระยามหิทธิวงศา (น้อยมหาวงศ์))の母。
  • ケーオヤウォンカム王女 (เจ้าหญิงแก้วยวงคำ) ・・・プーキエン王子と結婚。チエンラーイの国主、プラヤー・ラッタナケート (スヤ) (พระยารัตนเขตต์ (สุยะ)) の母。

参考文献[編集]

  • The Chiang Mai Chronicle 2nd Edition, trans. David K. Wyatt and Aroonrut Wichienkeeo, Chinag Mai: Silkworm Books, 1998, ISBN 9747100622
  • Ongsakul, Sarassawadee, History of Lan Na, trans. Chitraporn Tanratanakul, Chian Mai: Silkworm Books, Thai text 2001, English text 2005, ISBN 9749575849
  • นาวาอากาศเอก คัมภีร์ คัมภีรญาณนนท; เจ้านายฝ่ายเหนือ - Global Group

関連記事[編集]

先代:
ティップチャック
ラムパーン国主
1816年-1822年
次代:
カーウィラ