ダウンシャー侯爵

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ダウンシャー侯爵
Coronet of a British Marquess.svg
Arms of Hill, Marquess of Downshire.svg
創設時期 1789年8月20日
創設者 ジョージ3世
貴族 アイルランド貴族
初代 初代ダウンシャー侯爵ウィルズ・ヒル
現所有者 第9代ダウンシャー侯爵アーサー・フランシス・ニコラス・ウィルズ・ヒル
相続資格 初代侯の直系の嫡出の男系男子(1st Marquess's heirs male of the body lawfully begotten)
付随称号 ヒルズバラ伯爵(i)
ヒルズバラ伯爵(gb)
ヒルズバラ子爵
キルワーリン子爵
フェアフォード子爵
ヒル男爵
ハリッジ男爵
サンディーズ男爵
紋章標語 PER DEUM FERRUM OBTINUI
(By God and my sword I have obtained)
E TENTES AUT PERFICE
(Either attempt not, or accomplish)

ダウンシャー侯爵英語: Marquess of Downshire)は、アイルランド貴族侯爵位。

植民地大臣を務めた政治家第2代ヒルズバラ子爵ウィルズ・ヒル1789年に叙されたのに始まる。

歴史[編集]

初代ダウンシャー侯爵ウィルズ・ヒル

アングロ・アイリッシュ英語版の地主トレヴァー・ヒル英語版(1693–1742)は、アイルランド議会グレートブリテン議会で庶民院議員を務め、1717年8月21日アイルランド貴族爵位ヒルズバラ子爵(Viscount Hillsborough)ダウン州におけるキルワーリンのヒル男爵(Baron Hill, of Kilwarlin in the County of Down)に叙せられた[1]

その息子である2代ヒルズバラ子爵ウィルズ・ヒル(1718–1793)もグレートブリテン議会の庶民院議員となり、1751年10月には直系の男系男子に次いで叔父初代ダンガノン子爵英語版アーサー・ヒル=トレヴァー英語版(1694頃-1771)の男系男子への特別継承を規定したアイルランド貴族爵位ヒルズバラ伯爵(Earl of Hillsborough)キルワーリン子爵(Viscount Kilwarlin)に叙せられた[2][3]。ついで1756年11月17日にはグレートブリテン貴族爵位エセックス州におけるハリッジのハリッジ男爵(Baron Harwich, of Harwich in the County of Essex)に叙せられ、グレートブリテン議会貴族院議員に列した(以降の当主も自動的にイギリス議会の貴族院議員となる)[2][3]。その後彼は1768年から1772年にかけて大ピット内閣からノース卿内閣までの三代の内閣で植民地大臣を務めたが、アメリカ植民地に対して強硬姿勢をとったためアメリカ人の反発を招いた。この反発がアメリカ独立戦争への機運の高まりの背景の一つとなった[4][5]。1772年8月28日には植民地大臣辞職に際してグレートブリテン貴族ヒルズバラ伯爵フェアフォード子爵(Viscount Fairford)に叙せられ、さらに晩年の1789年8月20日にはアイルランド貴族ダウンシャー侯爵に叙せられた[2][3]

その息子である2代侯アーサー・ヒル英語版(1753-1801)の妻であるメアリー・ヒル(1774–1836)(初代サンディーズ男爵英語版サミュエル・サンズの孫娘)は夫の死後の1802年6月19日連合王国貴族爵位ウスター州におけるオンバースリーのサンディーズ女男爵(Baroness Sandys, of Ombersley in the County of Worcester)に叙せられた。この爵位は夫妻の次男アーサー・モイセズ・ウィリアム・ヒル英語版(1793–1860)以下のヤンガーサンたちとその男系男子を長男である3代侯アーサー・ブランデル・サンディーズ・トランブル・ヒル英語版(1788–1845)とその男系男子に優先させるという特別継承規定が付けられていた[3]。この爵位は2013年までヤンガーサンたちの男系男子に継承され続けたが、2013年に2代侯のヤンガーサンの家系がすべて絶えたため、3代侯の子孫でダウンシャー侯爵家の現当主である9代侯アーサー・フランシス・ニコラス・ウィルズ・ヒル英語版(1959-)が継承することとなり、結局ダウンシャー侯爵位の従属爵位の一つとなった[6]

また3代侯の三男であるエドウィン・ヒル=トレヴァー英語版(1819-1894)は、保守党の庶民院議員を務めた後、1880年5月5日に連合王国貴族トレヴァー男爵英語版に叙せられている。このトレヴァー男爵家は2016年現在も存続している[7]

現当主の保有爵位[編集]

現当主アーサー・フランシス・ニコラス・ウィルズ・ヒル英語版は以下の爵位を保有している[3][8]

  • 第9代ダウンシャー侯爵 (9th Marquess of Downshire)
    (1789年8月20日勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第9代ヒルズバラ伯爵 (9th Earl of Hillsborough)
    (1751年10月3日の勅許状によるアイルランド貴族爵位。法定推定相続人の儀礼称号)
  • 第9代ヒルズバラ伯爵 (9th Earl of Hillsborough)
    (1772年8月28日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第10代ヒルズバラ子爵 (10th Viscount Hillsborough)
    (1717年8月21日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第9代キルワーリン子爵 (9th Viscount Kilwarlin)
    (1751年10月3日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第9代フェアフォード子爵 (9th Viscount Fairford)
    (1772年8月28日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ダウン州におけるキルワーリンの第10代ヒル男爵 (10th Baron Hill, of Kilwarlin in the County of Down)
    (1717年8月21日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • エセックス州におけるハリッジの第9代ハリッジ男爵 (9th Baron Harwich, of Harwich in the County of Essex)
    (1756年11月17日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ウスター州におけるオンバースリーの第8代サンディーズ男爵英語版 (8th Baron Sandys, of Ombersley in the County of Worcester)
    (1802年6月19日の勅許状による連合王国貴族爵位)

歴代当主一覧[編集]

ダウン州ヒルズバラにある4代ダウンシャー侯アーサーの

ヒルズバラ子爵 (1717年創設)[編集]

  • 初代ヒルズバラ子爵トレヴァー・ヒル英語版 (Trevor Hill) (1693–1742)
  • 2代ヒルズバラ子爵ウィルズ・ヒル (Wills Hill) (1718–1793)
    • 1789年にダウンシャー侯爵に叙される

ダウンシャー侯 (1789年創設)[編集]

  • 初代ダウンシャー侯ウィルズ・ヒル (Wills Hill) (1718–1793)
  • 2代ダウンシャー侯アーサー・ヒル英語版 (Arthur Hill)(1753–1801)
  • 3代ダウンシャー侯アーサー・ブランデル・サンディーズ・トランブル・ヒル英語版 (Arthur Blundell Sandys Trumbull Hill) (1788–1845)
  • 4代ダウンシャー侯アーサー・ウィルズ・ブランデル・サンディーズ・トランブル・ウィンザー・ヒル英語版 (Arthur Wills Blundell Sandys Trumbull Windsor Hill)(1812–1868)
  • 5代ダウンシャー侯アーサー・ウィルズ・ブランデル・トランブル・サンディーズ・ローデン・ヒル (Arthur Wills Blundell Trumbull Sandys Roden Hill) (1844–1874)
  • 6代ダウンシャー侯アーサー・ウィルズ・ジョン・ウェリントン・トランブル・ブランデル・ヒル (Arthur Wills John Wellington Trumbull Blundell Hill) (1871–1918)
  • 7代ダウンシャー侯アーサー・ウィルズ・パーシー・ウェリントン・ブランデル・トランブル・ヒル (Arthur Wills Percy Wellington Blundell Trumbull Hill) (1894–1989)
  • 8代ダウンシャー侯アーサー・ロビン・イアン・ヒル英語版 (Arthur Robin Ian Hill) (1929–2003)
  • 9代ダウンシャー侯アーサー・フランシス・ニコラス・ウィルズ・ヒル英語版 (Arthur Francis Nicholas Wills Hill) (1959-)
    • 法定推定相続人は現当主の息子ヒルズバラ伯爵(儀礼称号)エドムンド・ロビン・アーサー・ヒル (Edmund Robin Arthur Hill) (1996-)

家系図[編集]

関連項目[編集]

  • ダンガノン子爵英語版 : 初代侯の叔父の家系。1862年に廃絶
  • サンディーズ男爵英語版 : 3代侯の弟の家系だったが、2013年にダウンシャー侯爵家が継承
  • トレヴァー男爵英語版 : 3代侯の三男の家系。現存

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ Lundy, Darryl. “Trevor Hill, 1st Viscount Hillsborough” (英語). thepeerage.com. 2016年8月25日閲覧。
  2. ^ a b c Lundy, Darryl. “Wills Hill, 1st Marquess of Downshire” (英語). thepeerage.com. 2016年8月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Downshire, Marquess of (I, 1789)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月23日閲覧。
  4. ^ 真嶋正己 2003, p. 87.
  5. ^ "Hill, Wills" . Dictionary of National Biography (in English). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  6. ^ Heraldic Media Limited. “Sandys, Baron (UK, 1802)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月25日閲覧。
  7. ^ Heraldic Media Limited. “Trevor, Baron (UK, 1880)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月25日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Arthur Francis Nicholas Wills Ian Hill, 9th Marquess of Downshire” (英語). thepeerage.com. 2016年8月23日閲覧。

参考文献[編集]

  • 真嶋正己『[harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hbg/file/8250/20140326153951/KJ00004085922.pdf パークとアメリカ植民地問題:1766-1770 [11]]』(PDF)広島女学院大学、2003年。