ダカール沖海戦

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ダカール沖海戦
Dakar 24 September 1940 6.jpg
イギリス艦隊と交戦中のフランス巡洋艦
戦争第二次世界大戦
年月日1940年9月23日
場所北アフリカダカール
結果:ヴィシー・フランスの勝利
交戦勢力
イギリスの旗 イギリス フランスの旗 フランス国
指導者・指揮官
ジョン・カニンガム中将 ピエール・ボアソン中将
戦力
戦艦2
航空母艦1
重巡洋艦3
駆逐艦10
スループ3
輸送船6
未完成の戦艦1
軽巡洋艦2
駆逐艦4
潜水艦3
損害
駆逐艦2大破、戦艦2、重巡洋艦1中破 潜水艦2沈没、駆逐艦1大破、戦艦1中破
北アフリカ戦線

ダカール沖海戦[1](ダカールおきかいせん)は、第二次世界大戦においてイギリス海軍とヴィシー・フランス海軍との間で行われた戦闘。自由フランス軍がイギリス艦隊の支援の下ダカール(現・セネガル)へ上陸しようとした(メナス作戦、Operation Menace)が撃退された。

背景[編集]

ドイツ軍の侵攻によりフランスは1940年6月22日に降伏し、新たに親独のヴィシー政権が発足した。同政権は軍事的には中立を宣言し、同政権に帰属することになったフランス海軍も枢軸、連合国いずれへの協力もしない中立の立場をとった。一方、フランス降伏後にイギリスに亡命していたド・ゴール将軍は自由フランス軍を作り本国のヴィシー政権と対立した。ド・ゴール将軍はフランスの海外領土ダカールを占領して自陣営に引き込もうと考えた。この頃、ドイツにダカールを潜水艦の基地として使用する動きがあり、これを警戒したイギリスは艦隊を派遣してド・ゴール将軍の攻略に協力することとした。

ダカールには未成の戦艦リシュリューなどがあり、また、同地のフランス軍はイギリス軍によるアルジェリアのフランス艦隊への攻撃(メルセルケビール海戦)を知っており戦意は高かった。なお、リシュリューは主砲8門のうち使用できるのは2門だけであり、またスクリューを損傷していて航行不能であった。

戦闘前の動き[編集]

上陸部隊(自由フランス軍歩兵2個大隊他)を乗せた輸送船6隻は自由フランス海軍ブーゲンヴィル級スループ(仏海軍は通報艦と呼称)3隻(サヴォルニアン・ド・ブラザ、コマンダン・デュボック、コマンダン・ドミネ)に護衛されリヴァプールを出港し、戦艦バーラムレゾリューション、空母アーク・ロイヤル、駆逐艦10隻からなるイギリス艦隊と9月13日に合流した。

一方で、チャド植民地が自由フランス側についたことからヴィシー政権は植民地の支配維持のため9月9日に軽巡洋艦グロワールモンカルムジョルジュ・レイグ、駆逐艦ル・マランル・ファンタスクローダシュートゥーロンから出撃させた。この艦隊は9月11日に妨害を受けることなくジブラルタル海峡を通過し、9月12日にカサブランカに到着した。

このフランス艦隊はメナス作戦実行にとって障害となるため、イギリス側はフランス艦隊とダカール到着を阻止しようとした。だが、それは失敗しフランス艦隊は無事ダカールに到着した。

9月18日、3隻のフランス巡洋艦はダカールを出航しガボンへ向かったが、重巡洋艦オーストラリアカンバーランドに発見され追跡された。機関の故障で遅れたグロワールがオーストラリアに捕捉され、カサブランカに送られた。残り2隻はダカールへ引き返した。

戦闘経過[編集]

9月23日[編集]

ダカール沖に到着したイギリス艦隊は、空母アーク・ロイヤルの艦載機から投降勧告のビラをまくなどの行動を行った。ダカール側は降伏を拒否し、10時51分マニュエル砲台(28cm砲9門ほか)が砲撃を開始し、イギリス艦隊も反撃した。フランスの潜水艦ペルセも英戦艦に雷撃を試みたが撃沈され、イギリス側は重巡カンバーランド、駆逐艦イングレフィールド、フォアサイトが命中弾を受け中破した。この日は自由フランス軍は上陸できなかった。また、この日はフランスの駆逐艦ローダシューが船団攻撃を試みたが、重巡洋艦オーストラリアと駆逐艦フュリー、グレイハウンドから捕捉攻撃され大破擱座した。

9月24日[編集]

早朝、アーク・ロイヤルの艦載機が仏戦艦リシュリューを爆撃したが、対空砲火に阻まれて至近弾のみで命中弾はなく3機を対空砲火で失っただけであった。イギリスの戦艦バーラム、レゾリューションがフランスの戦艦リシュリュー、マニュエル砲台への砲撃を開始しフランス艦隊も応戦した。この戦闘でイギリスの駆逐艦フォーチュンがフランスの潜水艦アジャックスを撃沈した。10時10分、フランスの駆逐艦ル・アルディが煙幕を張ったため、イギリス艦隊は一時後退した。午後交戦が再開されたが、この日も自由フランス軍は上陸はできなかった。

9月25日[編集]

アーク・ロイヤルの艦載機が攻撃を行い、続いて8時30分にイギリス戦艦が砲撃を開始したが、9時ごろ戦艦レゾリューションが潜水艦ベヴェジェの雷撃を受け大破して戦列を離れ、他のイギリス艦隊も後退した。

戦闘が長引いていたため、イギリス内閣はヴィシー・フランスとの全面戦争に発展しないように上陸作戦の中止を命じた。これにより結局上陸はなされずにダカール攻略戦は終了した。

その後[編集]

ド・ゴール、イギリスの戦略目標はいずれも達成されず、かえってヴィシー政権のイギリス不信を強めることになった。この後もフランス海軍、アフリカのフランス植民地軍は中立を維持し、2年後のアメリカ軍による北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)を迎える事となる。なおトーチ作戦発動時、アメリカ軍はヴィシー政権に配慮してド・ゴール将軍の自由フランス軍を参加させなかった。

脚注[編集]

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  1. ^ 福田誠、光栄出版部 編集『第二次大戦海戦事典 W.W.II SEA BATTLE FILE 1939~45』、光栄、1998年、ISBN 4-87719-606-4、212ページ

関連項目[編集]