チャオプラヤー・コーサーパーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動: 案内検索
チャオプラヤー・コーサーパーン

チャオプラヤー・コーサーパーン(Chaophraya Kosapan、เจ้าพระยาโกษาปาน ? - 1695年)はタイアユタヤー王朝ナーラーイ王時代の政府高官。本名はチャオプラヤー・コーサーティボーディーであるが、が同じ名前を下賜されたので区別のためこう呼ばれる。俗称はパーン(ปาน)。ペートラーチャー王の息子。

略歴[編集]

渡仏[編集]

ナーラーイ王を訪問したフランス王・ルイ14世の使節・シュバリエ・ド・ショーモン(en)の帰国の際に、同伴し1684年タイ仏暦2227年)に渡仏し、ルイ14世に謁見した。当時の官位欽錫名プラ・ウィスートスントーンพระวิสูตรสุนทร)であった。このときの渡仏の記録は『コーサーパーンの日記』に記されている。3年後帰国。大使として渡仏したものの、西洋人に対しては懐疑的であった。

シャム革命・鎖国[編集]

ナーラーイ王がロッブリーで病床に臥せた時、アユタヤ王朝の顧問を務めていたコンスタンティン・フォールコンが、フランス軍をアユタヤー城内に入れようとしていたので、フォールコンを殺害し父ペートラーチャー王を王位につけ、その後タイを鎖国した。

最後[編集]

父が即位した後、コーサーパーンが王位をねらっていると噂され、それを苦に1695年(タイ仏暦2238年)自殺した。

ちなみに後のチャックリー王朝ラーマ1世はコーサーパーンの子孫を名乗った。

関連項目[編集]