テオドール・ヒルデブラント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
テオドール・ヒルデブラント
Theodor Hildebrandt
Theodor Hildebrandt.jpg
生誕1804年7月2日
プロイセンシュテティーン
死没1874年9月29日
ドイツデュッセルドルフ

テオドール・ヒルデブラント(Theodor Hildebrandt、1804年7月2日 - 1874年9月29日)はドイツの画家である。

略歴[編集]

現在のポーランドシュチェチンに生まれた。1820年に16歳でベルリンの美術学校に入学し、はじめニードリッヒ(Johann Gottfried Niedlich)に学ぶが、1823年からフリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドーの学生となり、1826年にシャドーがデュッセルドルフ美術アカデミーの校長に任じられると、ヒュブナー、レッシングミュッケケーラーゾーンらの学生とともにヒルデブラントもデュッセルドルフに移った。美術アカデミーを卒業した後、1832年から教師助手を務め、1836年から教授を務めた。1848年にデュッセルドルフに作られた芸術協会「マルカステン」の創立メンバーとなった。

晩年は病に苦しんだ後、デュッセルドルフで没した。プロイセン政府から赤鷲勲章を受勲した。

息子のヨハン・マリア・ヒルデブラント(Johann Maria Hildebrandt)は植物学者となり、ベルリンの植物園で働き、アフリカを調査探検した。

シェイクスピアの「リチャード三世」に題材を取った代表作の「エドワード4世の息子たちの暗殺」(1835)など文学作品に題材にした絵を描いた。エドワード4世の題材はパリポール・ドラローシュが同じ題材で描いた絵画に触発されたとされる[1]

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Bettina Baumgärtel (Hrsg.): Die Düsseldorfer Malerschule und ihre internationale Ausstrahlung 1819–1918. Michael Imhof Verlag, Peterberg 2011, ISBN 978-3-86568-702-9, Band 2, S. 181 ff.

参考文献[編集]

  • Moritz Blanckarts: Hildebrandt, Theodor. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 12, Duncker & Humblot, Leipzig 1880, S. 405 f.
  • Eckhard Wendt: Stettiner Lebensbilder (= Veröffentlichungen der Historischen Kommission für Pommern Reihe V, Band 40). Böhlau Verlag, Köln Weimar Wien 2004, ISBN 3-412-09404-8, S. 237–239.