テディー・ライリー

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テディー・ライリー
出生名 Edward Theodore Riley
生誕 (1967-10-08) 1967年10月8日(52歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州, ハーレム
ジャンル ニュージャックスウィング, HIP HOP, R&B
職業 シンガー・ソングライター, キーボード奏者, 音楽プロデューサー
担当楽器 ヴォーカル, キーボード, トークボックス
活動期間 1980–present
レーベル InterScope,MCA
共同作業者 ビッグ・ダディ・ケイン、ジーン・グリフィン、ガイ、レクスン・エフェクト、クール・モー・ディー

テディー・ライリー(英語名:Teddy Riley1967年10月8日-)は、アメリカ合衆国R&B作曲家ミュージシャン音楽プロデューサー、ミキサー。

1980年代後半に、ニュージャックスウィングと呼ばれる独自のサウンドを確立させ、ソウル・チャートでのヒットの他、一部の曲はポップ・チャートにクロスオーバー・ヒットさせた。ゴー・ゴー、R&Bファンクヒップホップなど、複数のスタイルをまとめスウィング・ビートにのせた音楽は当時斬新だった。また他のアーティストに対するソングライター・プロデューサーとしての活動だけでなく、ガイなどのように自身がミュージシャンとして全面に出る場合もあった。他の作曲家が作曲した曲のリミックスも数多く手がける。ZAPPロジャー・トラウトマン同様にトークボックスを巧みに使いこなす。

来歴[編集]

テディ・ライリーは、ニューヨーク州ハーレム生まれ[1]。本名はエドワード・シオドア・ライリー(Edward Theodore Riley)。

10代からミュージシャン/プロデューサーとして活動しており、12歳の時には既にキッズ・アット・ワークというグループに参加してデビューを果たしていた。その後、ラップのクール・モー・ディーをプロデュースした。テディが有名になったのは87年発表のキース・スウェット「アイ・ウォント・ハー」が88年にヒットしたことによる[2]1988年にはボビー・ブラウンのセカンド・アルバムに参加(クレジットはジーン・グリフィン名義)。この大ヒットにより、一躍人気プロデューサーの仲間入りを果たす。自らもアーロン・ホール、ティミー・ギャトリング(後にダミオン・ホールと交代)と共にガイというグループを結成し、高い人気を獲得した。テディは他にビッグ・ダディ・ケイン、ジョニー・ケンプ、デイジャ、スターポイント、ナヨービ、アブストラック、ヘビーD&ザ・ボーイズ、ボーイ・ジョージ、ジェイムズ・イングラムらの制作も行い、花形プロデューサーとなった。なおロブ・ベイスは、自身の代表曲にテディは関与していないと証言している[3]

テディーが確立した斬新なスタイルのサウンドは、“ニュージャックスウィング”(NJS)と呼ばれ、一大ブームを巻き起こし、後のミュージシャンやカイル・ウエスト、ザン、テイミー・ガトリング、アルトン・ウィーキー・スチュアートらのプロデューサーに影響を与えた。ニュー・ジャック・スウィングのブームは88年ごろから、最も長くとらえれば93年ごろまで続いた。彼は80年代後半には、ジャム&ルイス、L.A.&ベイビーフェイスらと共に、トッププロデューサーとして多くの楽曲を世に送りだした。この時期には、実質マネージャーであるジーン・グリフィンとコンビで、"G.R.Production"として活動していたが、やがて制作の主導権や、ギャラの配分を巡って対立。喧嘩別れのような形でコンビを解消することになった。その後、テディーは活動の拠点をニューヨークからヴァージニアに移し、自らのスタジオを設立した。

テディーは92年に、マイケル・ジャクソンなどのプロデュースを行い「リメンバー・ザ・タイム」をヒットさせた。やがてNJSブームは94年ごろには退潮傾向となり、ガイとしての活動も停滞してしまう。

テディーは、新グループブラックストリートを結成し、アルバムを発表[4]。ガイのサウンドからはやや変化させ、スウィング・ビートだけでなく、コーラスワークも活用したアルバム制作で、新たな人気を獲得した。96年のドクター・ドレとのシングル「ノー・ディギティ」は、全米ナンバー1の大ヒットとなった。ブラックストリートは1999年までに3枚のアルバムを発表し、グループとしてグラミー賞を獲得したが、サードアルバム発表後にメンバー間の対立が表面化して活動停止を余儀なくされる。

1999年、ガイとして活動を再開、2000年にアルバムを発表するが、これは商業的には振るわず、ガイは再び活動休止状態に陥る。テディーは、2000年にはメラニーBのアルバムをプロデュースした[5]2003年にはブラックストリートのメンバーと和解して4枚目のアルバムを発表するが、これも大ヒットには至らずに終わる。この間も、プロデューサーとしては旺盛な活動を続けており、数多くのアーティストのアルバム/シングルを手がけている。

2006年、自らのグループ、ガイとブラックストリートを共に復活させ、ニュー・エディションSWVなどと共に"New Jack Reunion"ツアーを全米で敢行した。同時期に、ガイとブラックストリート両方のニューアルバムをレコーディング中と一部で伝えられたが、この時期には発表されていない。同年、アトランタに新スタジオを設立し、新たな活動拠点とした。

2008年、落雷による火事で、テディのヴァージニア州のスタジオは焼失してしまった。

2009年4月25日、アトランタで開催されたDJイベント"The Core DJ Retreat"のパネルディスカッションにおいて、ガイとブラックストリートのメンバーを伴って出席、両グループの復活とニューアルバムの制作を発表した。[6]

プロデュースした主な音楽家[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Teddy Riley”. Last.fm. 2014年10月1日閲覧。
  2. ^ http://www.allmusic.com/artist/keith-sweat-mn0000767016
  3. ^ https://www.rollingstone.com/music/music-news/best-of-88-how-rob-base-and-dj-e-z-rocks-it-takes-two-became-an-overnight-smash-700952/
  4. ^ Huey, Steve Blackstreet Biography Archived 2011-07-06 at the Wayback Machine.
  5. ^ "Melanie B – Hot (CD, Album) at Discogs". Discogs.com.
  6. ^ notrax 90年代を代表するR&Bグループ、ガイとブラックストリート再結成?! http://www.notrax.jp/news/detail/0000006492.html
  7. ^ 「ジャスト・ガット・ペイド」を制作
  8. ^ アルバム「Style」に関わっている。
  9. ^ アルバム「The Boys」を制作
  10. ^ アルバム「ホット」の制作

関連項目[編集]