ディエゴ・シメオネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はシメオネ第二姓(母方の)はゴンサレスです。
ディエゴ・シメオネ Football pictogram.svg
Diego Simeone.jpg
(2019年)
名前
本名 ディエゴ・パブロ・シメオネ・ゴンサレス
Diego Pablo Simeone González
愛称 チョロ(El Cholo
ラテン文字 Diego SIMEONE
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1970-04-28) 1970年4月28日(50歳)
出身地 ブエノスアイレス
身長 177cm
体重 70kg
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1990 アルゼンチンの旗 V・サルスフィエルド 76 (14)
1990-1992 イタリアの旗 ピサ 55 (6)
1992-1994 スペインの旗 セビージャ 64 (12)
1994-1997 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 98 (21)
1997-1999 イタリアの旗 インテル 57 (11)
1999-2003 イタリアの旗 ラツィオ 90 (15)
2003-2005 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 36 (2)
2005-2006 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ 37 (3)
通算 513 (84)
代表歴
1989 アルゼンチンの旗 アルゼンチン U-20 4 (1)
1988-2002 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 106 (11)
1996 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 五輪 6 (1)
監督歴
2006 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ
2006-2007 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス
2007-2008 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート
2009-2010 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ
2011 イタリアの旗 カターニア
2011 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ
2011- スペインの旗 アトレティコ・マドリード
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディエゴ・パブロ・シメオネ・ゴンサレスDiego Pablo Simeone González、スペイン語発音:[ˈdjeɣo ˈpaβlo simeˈone]、イタリア語発音 : [ˈdjeːɡo simeˈoːne]1970年4月28日 - )は、アルゼンチン出身の元サッカー選手、サッカー監督。元アルゼンチン代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。2011年12月から、アトレティコ・マドリードの監督を務めている。

スペインアトレティコ・マドリードイタリアインテル・ミラノラツィオなどで活躍した。

アルゼンチン代表として、史上初めて出場100試合を達成し、現在も歴代4位の出場試合数を誇る。現役時代のポジションは守備的ミッドフィールダー。豊富な運動量でピッチの至る所に顔を出すプレースタイルから、14歳の時に監督からチョロEl Cholo、インディオの意)というあだ名を付けられた。このあだ名はかつてボカ・ジュニアーズでプレーしたカルメロ・シメオネ英語版(血縁関係はない)のあだ名であった[1]

アトレティコ・マドリードの監督として、ラ・リーガ歴代3位の323試合以上を指揮し、勝利数はクラブ史上最多の200勝を達成している。リーグ中位に沈んでいたクラブを、就任から8シーズン連続でリーグ3位以内とUEFAチャンピオンズリーグ出場を果たし、2度のUEFAチャンピオンズ・リーグ決勝進出、コパ・デル・レイ、ラ・リーガ 、スーペル・コパUEFAヨーロッパ・リーグUEFAスーパー・カップで計7つのタイトルを獲得し、アトレティコ史上最高の成功をもたらしている。

父系にイタリア、母系にスペインにルーツを持つ。

選手経歴[編集]

クラブ[編集]

ベレス・サルスフィエルドでのシメオネ(1987年)

1987年にベレス・サルスフィエルドからデビューし、その後はイタリアとスペインで長くプレーした。

1990年に初めてヨーロッパに渡り、ミルチェア・ルチェスクが監督を務めるイタリアのピサ・カルチョに移籍。スペイン・リーガ・エスパニョーラセビージャを経て、1994年にアトレティコ・マドリードに移籍すると、1995-96シーズンにはリーグ戦とコパ・デル・レイの2冠を達成した。

1997年に再びセリエAに戻り、インテルではロナウドらとともにプレーした。1998年のUEFAカップでは、決勝でラツィオを3-0で破って優勝した。

1999年、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督が率いるラツィオに移籍し、ベテランのネストル・センシーニマティアス・アルメイダエルナン・クレスポ、優れたパス技術を持つフアン・セバスティアン・ベロンなど多くのアルゼンチン人選手たちとともにプレーした。彼らのチームはシメオネの加入とともにスクデット争いに加わり、シメオネはユヴェントスとの白熱した首位争い参加に貢献した。最終節を前にして勝ち点2差を付けられていたが、ユヴェントスは雨中のペルージャ・カルチョ戦に敗れ、ラツィオはホームのスタディオ・オリンピコレッジーナ・カルチョ相手に会心の勝利を挙げたため、自身初となるセリエAのタイトルを手に入れた。1999-2000シーズンはコッパ・イタリアでも決勝でインテルを破って優勝し、スペイン時代に続く2冠を達成した。その後、2002-03シーズンまでラツィオでプレーした。2001-02シーズン最終節のインテル戦では古巣相手にゴールを決め、インテルのリーグ制覇の夢を打ち砕いた。

2003年にアトレティコ・マドリードに復帰し、2シーズンプレーした後に母国のラシン・クラブに移籍した。ファンであるラシン・クラブで引退するという願いが叶い、長い選手生活を終え、2006年に引退した。

代表[編集]

1996年にはアトランタオリンピックに出場して銀メダルを獲得した。

アルゼンチン代表でのシメオネ(1991年)

1988年にアルゼンチン代表デビューしてから2002年までに106試合に出場し、アルゼンチン代表の当時の最多出場記録を更新した[2]。1991年と1993年にはコパ・アメリカで優勝し、1994 ワールドカップ1998 ワールドカップ2002 ワールドカップと3度のワールドカップ出場を果たしている。ミッドフィールダーながら11得点を挙げており、1992年のキング・ファハド・カップでは決勝で得点している。1998 ワールドカップ決勝トーナメント1回戦のイングランド戦では、シメオネを蹴ったデヴィッド・ベッカムが報復行為とみなされて退場処分を受けた。シメオネは後に、ベッカムを退場に追い込むために痛がる振りをしたことを認めている[3]。このワンプレーによりアルゼンチンはイングランドに辛勝し、ベスト8に進出した。準々決勝のオランダ戦ではタックルを受けて実際に負傷した。最後の国際大会となった2002 ワールドカップはグループリーグ敗退に終わった。この大会でベッカムと和解しており、ベッカムがPKを決めてイングランドがアルゼンチンにリベンジを果たしている。

プレーのスタイル[編集]

機動力があり、空中での動きがよく、ボールを奪うことも攻撃の起点となることもできる、粘り強く、多才で、努力家で、攻守において完璧なミッドフィルダーとみなされていた。そのため、キャリアを通じて中盤のどこでもプレーすることができたが、通常は中央でボックス・トゥ・ボックスや守備的なミッドフィルダーの役割を担っていた[4][5][6]。 才能がありながらも戦闘的な選手である彼は、主にリーダーシップ、戦術的な多才さ、知性、強さ、スタミナで知られていた[7]が、テクニック、ビジョン、パスの範囲の広さでも評論家から称賛されていた。シメオネは、自分のスタイルを「歯の間にナイフを挟んでいる」と表現した[8]。彼が影響を受けた選手は、ブラジル人MFファルカンとドイツ人MFローター・マテウスであった[9]

指導者経歴[編集]

ラシン・クラブ[編集]

2006年2月17日の試合で現役を終えると同時にラシン・クラブの監督に就任。シーズン終了後にクラブの会長が交代したことに伴い、レイナルド・メルロに後任の座を譲った。

エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ[編集]

2006年5月18日、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ監督に就任した。

12月13日のボカ・ジュニアーズとのシーズン最終戦(優勝決定戦となった)に2-1で勝利し、アペルトゥーラ2006ではクラブを23年ぶりのリーグ優勝に導いた。

同年10月にOle紙が行った投票でアルゼンチンリーグの最優秀監督に選ばれ[10]、元アルゼンチン代表のロベルト・ペルフーモスペイン語版に「生まれながらの監督」と称された[11]

アペルトゥーラ2007では低調なスタートとなり、9試合無敗でシーズンを終えたものの、優勝争いに加わることができず、シーズン終了後に退任した。

リーベル・プレート[編集]

2007年12月15日、ダニエル・パサレラの後任としてリーベル・プレートの監督に就任した。

コパ・リベルタドーレスでは決勝トーナメント1回戦でサン・ロレンソ・デ・アルマグロとの同国対決に敗れて早期敗退したが、クラウスーラ2008ではエスタディオ・モヌメンタルで行われた最終節でクラブ・オリンポスペイン語版を2-1で下して優勝した[12]。同年のコパ・スダメリカーナではウルグアイのデフェンソール・スポルティングなどを下して準々決勝に進出したが、準々決勝でメキシコのグアダラハラに敗れてベスト8に終わった。国内リーグでも11試合連続未勝利となって最下位に低迷し、2008年11月7日に辞任した[13][14]

サン・ロレンソ・デ・アルマグロ[編集]

2009年4月15日、コパ・リベルタドーレス1回戦で敗退して解任されたミゲル・アンヘル・ルッソの後任としてサン・ロレンソ・デ・アルマグロ監督に就任した[15]

2010年4月3日、成績不振と積み重なる批判の責任を取って辞任した[16]

カルチョ・カターニア[編集]

2011年1月、解任されたマルコ・ジャンパオロの後任としてセリエAカルチョ・カターニアの監督に就任した[17][18]

セリエA残留という目標を果たし、2010-11シーズン終了後の2011年6月1日にカルチョ・カターニアの職を離れた[19]

ラシン・クラブ[編集]

2011年6月21日、ルッソの後任としてラシン・クラブの監督に復帰した[20]

アトレティコ・マドリード[編集]

2011年12月23日、グレゴリオ・マンサーノを監督から解任した古巣アトレティコ・マドリードから後任としてのオファーを受けて承諾し監督に就任、1年半の契約を結んだ[21]

UEFAヨーロッパリーグ 2011-12では、指揮をした全9試合に勝利をし、優勝に導いた。

2012-13シーズン[編集]

チェルシーとの2012 UEFAスーパーカップで優勝し、クラブに相次いで国際タイトルをもたらすことに成功。2013年3月には契約を2017年まで4年間延長したことが発表された[22]

コパ・デル・レイでは決勝でレアル・マドリードを下し17年ぶり10回目の国王杯優勝をもたらした。

2013-14シーズン[編集]

スーペルコパ・デ・エスパーニャでバルセロナに敗れた。

ラ・リーガ優勝を祝うアトレティコの選手たち(2014年)

リーグ戦では、チームは開幕8連勝を記録し、クラブ史上最高のリーグスタートを切った。第7節、レアル・マドリードに勝利。サンティアゴ・ベルナベウでのリーグ戦ダービー勝利は、1999年以来であり、ダービー連勝は、63年ぶりだった。バルセロナとの優勝争いは最終節までもつれ込み、引き分け以上で優勝が決まる最終節、バルセロナの本拠地カンプ・ノウで48分、コーナーキックからディエゴ・ゴディンがヘディングで同点弾を決め、1-1の引き分けに終わり、18年ぶりのリーグ優勝を達成した。アトレティコの選手、監督両方でリーグ優勝を経験したのは、ルイス・アラゴネスに次いで2人目だった。

UEFAチャンピオンズリーグ 2013-14では、グループステージで首位に立ち、ラウンドオブ16でミランを破り、準々決勝進出を果たした。アトレティコがチャンピオンズリーグの準々決勝に進出したのは、シメオネが在籍していた1996-97年以来のことだった。準決勝でチェルシーを破り、クラブ史上2度目、1974年以来のチャンピオンズリーグ決勝進出を果たした。決勝前のチャンピオンズリーグで9勝利と3分けで唯一の無敗チームで、12試合で6失点しかしなかった。史上初のダービーマッチとなったレアル・マドリードとの決勝戦がポルトガルのリスボンで行われ、延長戦の末1-4で敗れ準優勝に終わった。

2014-15シーズン[編集]

スーペルコパ・デ・エスパーニャでは、レアル・マドリードを破り優勝した。

リーグ戦では、第22節レアル・マドリード戦で4-0と大勝するも、リーグ戦を3位で終えた。

UEFAチャンピオンズリーグ 2014-15では、準々決勝でレアル・マドリードに敗れ、敗退した。

2015-16シーズン[編集]

リーグ戦では、バルセロナ、レアル・マドリードと最終節まで優勝争いをしていたが、勝ち点88で3位に終わった。38試合で18失点しかせず、5大リーグで最高の守備成績を残した。

チャンピオンズリーグでは、準決勝でバイエルン・ミュンヘンを破り、2年ぶりに決勝に進出。決勝で再びレアル・マドリードと対戦し、PK戦の末敗れた。

2016-17シーズン[編集]

リーグ戦では、再び3位に終わった。

UEFAチャンピオンズリーグ 2016-17では準決勝で再びレアル・マドリードに敗れ、敗退した。

2017-18シーズン[編集]

2017年9月5日、アトレティコとの契約を2020年6月まで2年延長した[23]

リーグ戦では、バルセロナに次ぐ2位に終わった。

UEFAチャンピオンズリーグ 2017-18では、グループステージで3位となり敗退。UEFAヨーロッパリーグ 2017-18に出場し、決勝でマルセイユを破りチームを優勝に導いたが、準決勝アーセナル戦ファーストレグで退場処分となり、セカンドレグと決勝ではベンチ入り出来なかった[24]

2018-19シーズン[編集]

リーグ戦では、再びバルセロナに次ぐ2位に終わった。

UEFAチャンピオンズリーグ2018-19では、ラウンド16でユヴェントスにセカンドレグで逆転され敗退した。

2019年2月14日、アトレティコと契約を2020年まで延長した。

2019-20シーズン[編集]

試合形式の変わったスーペルコパ・デ・エスパーニャでは、バルセロナを破り決勝に進出するも、レアル・マドリードに敗れ準優勝となった。

リーグ戦では、一時はチャンピオンズリーグ出場圏内獲得が危ぶまれたが、最終的にはレアル・マドリード、バルセロナに次ぐ3位に終わった。

第32節のアラベス戦で2-1で勝利し、リーガでの勝利が195試合目となり、ルイス・アラゴネスを抜いてクラブ史上最多となった[25]。第35節のセルタ戦で、リーガでの指揮数が、323試合目となり、ジョン・トシャックを抜いてリーガで3番目となった。

UEFAチャンピオンズリーグ 2019-20では、ラウンド16で前回王者のリヴァプールを破り、準々決勝に進出するも、準々決勝ではライプツィヒに敗れ、ベスト8に終わった。

マネージメントと戦術のスタイル[編集]

アトレティコの監督として試合後の記者会見に臨むシメオネ(2013年)

シメオネが好むフォーメーションは4-4-2で、2006年にエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタの監督を務めていた時に初めて実践した。このフォーメーションでは、2人のウイングが中に入って攻撃的な中盤のように動き、サイドバックのためのスペースを作り、攻撃に流動性を持たせ、チームが攻勢に出ている時には実質的に4-2-2-2となる。2人の守備的ミッドフィールダーは、中盤の戦いに勝つために必要な守備力を提供している。このフォーメーションを活用して、シメオネの率いるエストゥディアンテスは、2006年のアペルトゥーラボカ・ジュニアーズを2-1で破り、前半から10人に絞られながらも勝利を収めた。アトレティコ・マドリードでも基本的にはこのフォーメーションである。シメオネは、マルセロ・ビエルサ、スヴェン・ヨーラン・エリクソン、アルフィオ・バジーレ、ビクトリオ・スピネット、ルイジ・シモーニ、カルロス・ビラルドラドミル・アンティッチなどのコーチングに影響を受けた人物を挙げている[26]

ラダメル・ファルカオアレクシス・サンチェスアリエル・オルテガマウロ・ロサレスディエゴ・ブオナノッテアウグスト・フェルナンデスセバスチャン・アブレウという攻撃的な才能を持ったチームであるリーベル・プレートの監督を務めていた時、シメオネは影響を受けた監督(シメオネの師匠でもある)、マルセロ・ビエルサが使っていたフォーメーションを彷彿とさせる攻撃的な3-3-1-3のフォーメーションを採用していた[27]。このフォーメーションを使って、2008年のクラウスーラで優勝したが、次のシーズンには、サンチェスがウディネーゼに戻り、何人かの選手が負傷で苦しんでいたため、3-3-1-3の効果が裏目に出て、リーベルは最下位に終わり、シメオネシーズン途中で解雇された[28]

シメオネ監督のチームに共通する特徴は、守備のコンパクトさと素早いカウンターアタックである。彼らの守備は2段階で構成されており、4人の選手が密に連結した2本のディフェンスラインからなる狭い4-4-2の中で、自陣のディフェンスサードで深い守備をすることと、相手のサードでカウンタープレスをかけてピッチの高い位置でボールを獲得することである。ボールを獲得すると、チームは流動的な4-2-2-2のフォーメーションを展開しながら、ユニットとして攻撃を行い、フォワードはしばしばサイドにシフトしてさらにスペースを作る[29][30]。守備では、相手をサイドエリアに追い込み、ボールゾーンで数的優位を獲得し、ボールを奪ったり、相手に後方へのパスを強要したりすることが重要な考え方となっている[31]。 カウンタープレスは、相手チームのスペースを減らし、相手チームのビルドアップを混乱させ、ピッチ上での相手チームの動きのための「安全な」ポジションの数を減らし、ゴールの脅威を排除することで構成される。 2015-16年プレミアリーグ優勝チームであり、クラウディオ・ラニエリの指揮するレスター・シティは、狭い4-4-2をプレイし、守備と中盤をコンパクトにすることで、ビッグクラブ相手に勝利を挙げることで、シメオネのアトレティコ・マドリードと比較されてきた[32][33]

2011年にイタリア代表のカターニャを指揮していた短い期間に、彼は4-2-3-1と4-3-1-2を使い分け、プレーメーカーであるアドリアン・リッキウティの能力を最大限に引き出すと同時に、後にアトレティコでの彼のトレードマークとなるカウンター攻撃の特徴を多く取り入れた。リッキウッティは、中盤と攻撃をつなぎ、マキシ・ロペスゴンサロ・ベルヘッシオフランチェスコ・ローディのいずれかが前線に選ばれた場合に、チャンスを作り出す役割を担っていた。シメオネは、「硬直した戦術で自分を化石化させたくない」と述べ、監督はお気に入りのフォーメーションを持つことはできないと述べた[34]エセキエル・スケロットジュゼッペ・マスカーラ、ラファエル・マルティンホ、アレハンドロ・ゴメスの2人のワイドマンは、守備の際にはコンパクトで狭い範囲にとどまり、ボールを持っていないときには、後ろに下がってタックインすることが期待され、一方で、プレイメーカーのリッキウティとセントラルストライカーのロペスは、ピッチの中央への単純なパスを防ぐことを目的に、センターバックにプレッシャーをかけるよりも、中盤に戻ることが多かった[35]

シメオネはまた、細部への注意力と、ゲームの変化する状況への迅速な適応力でも知られている。アトレティコ・マドリードの監督時代には、相手にセットプレーからチャンスを作らせない一方で、セットプレーからチャンスを作ることを重視してきた。アトレティコが2014年のリーガタイトルを獲得した1点を含め、いくつかの重要なゴールはセットプレーからのものである[36]。彼は試合の結果に影響を与えるために、戦術的な変更を素早く行う。2015-16 UEFAチャンピオンズリーグ準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では、45分後に1-0とリードをされている時、サウールを右ウイングから守備的ミッドフィルダーに変更し、4-4-2を4-1-4-1に変更し、カラスコグリーズマンをサイドに配置した。紙面上ではサウールが通常のポジションから外れているように見えたが、実質的にはこの変更により、前半はバイエルンの圧力に圧倒されていたガビコケが、サウールの背後にいることでシールドされ、中盤は必要とされていた落ち着きを取り戻すことになった。最終的に、アトレティコはアントワーヌ・グリーズマンの得点で同点に追いつき、チャンピオンズ・リーグ決勝に進出した[37][38]

また、シメオネは選手たちに自信と規律を植え付け、それが悪条件の中でチームを勝利に導いてきたと称賛されている。例えば、2014年のリーガ最終節、カンプ・ノウで行われたバルセロナ戦では、アトレティコが優勝に向けて引き分け以上が必要となった際、前半にジエゴ・コスタアルダ・トゥランの両選手が怪我のために退場となり、バルセロナに得点を決められた。しかし、ハーフタイムにはシメオネがチームを立て直し、後半にはゴディンのヘディングシュートが決まり、引き分けに成功した。シメオネは「ハーフタイムにはリラックスするように言った。前半はよくやった。我々が点を取れば、彼らが犠牲になることは分かっていた。そうなってしまった。みんなの努力が素晴らしかった」と語った[39]エミレーツ・スタジアムで行われた2017-18 UEFAヨーロッパリーグ準決勝のアーセナルとのセカンドレグでは、アトレティコはジエゴ・コスタ、フアンフランフィリペ・ルイスビトーロというキープレーヤーを欠いてプレーしていたが、前半10分にシメ・ヴルサリコがレッドカードで退場処分を受け、シメオネも退場処分を受けた。10人でプレーし、監督がベンチにいず、ほとんどの選手がその場しのぎのポジションでプレーし、ボールポゼッションも24%しか得られなかったにもかかわらず、チームは形も落ち着きも失われず、最終的には1-1のドローに終わったが、決勝に進むことになった[40]ディエゴ・ゴディンは、監督についても次のように語っている。「選手たちは彼(シメオネ)のために死ぬだろう。彼は、我々がもっと大きなチームと競い合えるという確信を与えてくれる。私たちは彼に大きな自信を持っているし、私たちは死ぬまで彼と一緒にいるし、彼も私たちと一緒にいる。チーム全体が監督に自信を持っていると信じているし、自分たちが進むべき道を全員が知っている。そうやって物事を成し遂げるのだ」[41][42]

その他[編集]

  • 老獪な守備姿勢は人々から、そしてサポーターからも親しみを込めて「悪党」と呼ばれた[43]
  • 少年時代の憧れの選手は、パウロ・ロベルト・ファルカンと、ラシン・クラブでプレイしていたボランチ、ウーゴ・サバグノとホセ・ベルタである。
  • ベレス・サルスフィエルドのユース出身であったが、ラシン・クラブで引退することを選び、ラシン移籍の際にベレスのサポーターから反感を買った。少年時代からラシン・クラブのサポーターである。
  • 長男のジョバンニ・シメオネもサッカー選手で、カリアリ・カルチョに所属しており、U-20アルゼンチン代表としてプレーしている[44]ほか、次男のジャンルカ・シメオネもサッカー選手である。
  • レアル・マドリードを率いてシメオネのアトレティコ・マドリードと幾度となく対戦してきたカルロ・アンチェロッティは「シメオネの天才性は、どのチームを率いても常にモチベーションのレベルを高く保てるところにある」と評している[45]
  • 2020-21シーズンの開幕前、新型コロナウイルスの検査で陽性だと発表された[46]。症状はなく、自宅に隔離され、クラブの練習に参加できなかった。

個人成績[編集]

クラブでの出場記録[編集]

出典[47]

クラブ シーズン リーグ カップ スーパーカップ 国際カップ 通算
ディビジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ベレス・サルスフィエルド 1987–88 プリメーラ・ディビシオン 28 4
1988–89 16 2
1989–90 32 8
通算 76 14
ピサ 1990–91 セリエA 31 4 1 0 32 4
1991–92 セリエB 24 2 1 0 25 2
通算 55 6 2 0 0 0 0 0 57 6
セビージャ 1992–93 ラ・リーガ 33 4 0 0 33 4
1993–94 31 8 0 0 31 8
通算 64 12 0 0 64 12
アトレティコ・マドリード 1994–95 ラ・リーガ 29 6 8 2 37 8
1995–96 37 12 8 0 45 12
1996–97 32 3 3 0 2 0 7 4 44 7
通算 98 21 19 2 2 0 7 4 126 27
インテル・ミラノ 1997–98 セリエA 30 6 2 0 9 1 41 7
1998–99 27 5 7 0 9 2 43 7
通算 57 11 9 0 0 0 18 3 84 14
ラツィオ 1999–00 セリエA 28 5 7 2 12 0 47 7
2000–01 30 2 2 0 1 0 8 1 41 3
2001–02 8 1 0 0 5 0 13 1
2002–03 24 7 3 0 7 0 34 7
通算 90 15 12 2 1 0 32 1 135 18
アトレティコ・マドリード 2003–04 ラ・リーガ 28 2 4 0 32 2
2004–05 8 0 1 0 6 1 15 1
通算 36 2 5 0 0 0 6 1 47 3
ラシン 2004–05 プリメーラ・ディビシオン 17 2
2005–06 20 1
通算 37 3
キャリア通算 513 84

代表での年別出場試合数[編集]

出典[48]


アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
1988 2 1
1989 3 0
1990 1 0
1991 9 2
1992 3 1
1993 13 1
1994 10 0
1995 8 2
1996 6 2
1997 9 1
1998 12 0
1999 11 1
2000 11 0
2001 6 0
2002 2 0
通算 106 11

タイトル[編集]

選手[編集]

アトレティコ・マドリード
インテル
ラツィオ
アルゼンチン代表
個人
  • Trofeo EFE : 1995-96

指導者[編集]

エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ
リーベル・プレート
アトレティコ・マドリード
個人
  • ヨーロッパシーズン最優秀監督 : 2011-12
  • ラ・リーガ月間最優秀監督 : 2013年10月 , 2015年11月 , 2017年3月
  • ラ・リーガ年間最優秀監督 : 2012–13 , 2013–14 , 2015–16
  • ミゲル・ムニョス賞 : 2013-14 , 2015-16
  • Facebook/Marca Football Award : 2016[49]
  • IFFHS 世界最優秀監督 : 2016
  • グローブ・サッカー・アワード 年間最優秀監督賞 : 2017[50]

著書[編集]

  • 『シメオネ超効果 リーダーの言葉で今あるチームは強くなる』(ソル・メディア、2014年、ISBN 978-4905349228)

脚注[編集]

  1. ^ Diario Deportivo Olé – El más odiado, el más bancado Ole、2002年6月5日
  2. ^ RSSSF Argentine international players RSSSF
  3. ^ Carlin, John (2002年5月19日). “England v Argentina – A history”. Observer Sport Monthly, 19 May 2002 (London). http://football.guardian.co.uk/worldcup2002/countries/story/0,,716632,00.html 2006年11月15日閲覧。 
  4. ^ Unlike Simeone's Atletico, Seedorf's AC Milan still searching for identity”. ESPN FC (2014年3月10日). 2016年7月26日閲覧。
  5. ^ Lazio:| Simeone 'Io in panchina? Prima o poi...'” (Italian). Calcio Mercato. 2014年10月20日閲覧。
  6. ^ Simeone, alle origini del Cholo: da Pisa a Catania, dall'Inter alla Lazio leader nato” (Italian). La Gazzetta dello Sport (2016年5月4日). 2016年7月18日閲覧。
  7. ^ Diego Simeone juntaba garra, carácter y una gran técnica” (Spanish). AS.com (2014年8月1日). 2014年10月20日閲覧。
  8. ^ Unlike Simeone's Atletico, Seedorf's AC Milan still searching for identity”. ESPN FC (2014年3月10日). 2016年7月26日閲覧。
  9. ^ Simeone e le fonti di ispirazione:"Da giovane ammiravo Falcão, poi ho cominciato ad apprezzare Matthäus"” (Italian). F.C. Inter News (2015年3月17日). 2016年7月18日閲覧。
  10. ^ Simeone, el gran estratega del fútbol argentino Clarin、2006年10月31日
  11. ^ El técnico se hace, sí, pero sobre todo nace Archived 2008年1月8日, at Archive.is Ole
  12. ^ River Plate crowned champion of Argentine Clausura International Herald Tribune 、2008年6月9日
  13. ^ Diego Simeone renunció a la dirección técnica de River ESPN Deportes、2008年11月7日 (スペイン語)
  14. ^ Las causas de una salida inevitable[リンク切れ] Fox Deportes
  15. ^ Ex-River boss Simeone to manage San Lorenzo ESPN soccernet、2009年4月16日
  16. ^ Simeone quits San Lorenzo post after dismal run ESPN soccernet、2010年4月4日
  17. ^ “ESCLUSIVA TMW - Criscitiello: "Colpo Lo Monaco: Simeone a Catania"” (Italian). Tutto Mercato Web. (2011年1月19日). http://www.tuttomercatoweb.com/?action=read&id=248797 2011年1月19日閲覧。 
  18. ^ “Diego Pablo Simeone è il nuovo allenatore del Catania” (Italian). Calcio Catania. (2011年1月19日). オリジナルの2011年7月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110727105119/http://www.calciocatania.it/comunicati/comunicati.php?id=21846 2011年1月19日閲覧。 
  19. ^ “Catania, rescinde Simeone” (Italian). Tutto Mercato Web. (2011年6月1日). http://www.tuttomercatoweb.com/?action=read&id=271540 2011年6月1日閲覧。 
  20. ^ “Diego Simeone fue presentado como nuevo técnico de Racing Club” (Spanish). ラシン・クラブ公式サイト. (2011年6月21日). オリジナルの2011年6月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110625133750/http://www.racingclub.com.ar/detalle/noticias/2789 2011年6月21日閲覧。 
  21. ^ “シメオネ氏がアトレティコの新監督に”. UEFA.com. (2012年1月14日). http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/news/newsid=1738041.html 2011年12月24日閲覧。 
  22. ^ アトレティコ、シメオネ監督と契約更新 uefa.com 2013年3月5日
  23. ^ “Diego Simeone: Atletico Madrid manager signs two-year contract extension” (英語). BBC Sport. (2017年9月5日). https://www.bbc.com/sport/football/41161373 2020年8月6日閲覧。 
  24. ^ “Simeone banned from Europa final touchline”. ESPN.com. http://www.espn.com/soccer/atletico-madrid/story/3483214/diego-simeone-handed-europa-league-final-touchline-ban 2020年3月14日閲覧。 
  25. ^ シメオネ アトレティコの監督としてリーガの最多勝利を記録(SPORT.es)” (日本語). Yahoo!ニュース. 2020年9月13日閲覧。
  26. ^ Archived copy”. 2018年9月28日閲覧。
  27. ^ https://www.mirror.co.uk/sport/football/news/how-finishing-bottom-argentine-league-8062543
  28. ^ https://www.mirror.co.uk/sport/football/news/how-finishing-bottom-argentine-league-8062543
  29. ^ http://www.zonalmarking.net/2015/02/10/atletico-madrid-4-0-real-madrid-atletico-solid-in-central-areas-when-defending-and-fluid-to-cause-overloads-out-wide-when-attacking/
  30. ^ https://www.youtube.com/watch?v=5j6ZT_NFJ8U
  31. ^ https://www.youtube.com/watch?v=5j6ZT_NFJ8U
  32. ^ http://www.goal.com/en/news/1862/premier-league/2016/04/27/22851442/filipe-luis-leicester-are-like-atletico
  33. ^ https://www.theguardian.com/football/2017/apr/07/atletico-madrid-title-win-leicester-president
  34. ^ https://www.theguardian.com/football/these-football-times/2019/feb/20/diego-simeone-italy-catania-atletico-madrid
  35. ^ https://www.theguardian.com/football/these-football-times/2019/feb/20/diego-simeone-italy-catania-atletico-madrid
  36. ^ http://www.zonalmarking.net/2014/05/19/barcelona-1-1-atletico-simeones-side-seal-historic-title-victory-at-the-camp-nou/
  37. ^ http://www.zonalmarking.net/2016/05/05/atletico-madrid-2-2-bayern-munich-atletico-progress-on-away-goals/
  38. ^ http://www.football-lineups.com/match/235316/
  39. ^ http://www.goal.com/en-gb/news/3277/la-liga/2014/05/17/4824696/simeone-im-sure-aragones-was-defending-with-us
  40. ^ http://www.football-lineups.com/match/285420/
  41. ^ https://www.scoopnest.com/user/ChampionsLeague/733260615314247680-godin-the-players-would-die-for-him-simeone-he-gives-belief-that-we-can-compete-against-much-bigger-teams
  42. ^ http://www.goal.com/en-gb/news/3310/goal-50/2016/11/09/29340332/godin-were-with-simeone-until-the-death
  43. ^ 金子義仁『ワールドサッカーすごいヤツ全集』フットワーク出版、1999年、p.71-77。ISBN 4-87689-330-6。
  44. ^ シメオネ息子がU-20アルゼンチン代表入り Goal.com 2012年8月14日
  45. ^ シメオネの「天才ぶり」について語るアンチェロッティ氏 Goal.com 2015年11月25日
  46. ^ A・マドリー指揮官ディエゴ・シメオネに新型コロナ陽性反応(ゲキサカ)” (日本語). Yahoo!ニュース. 2020年9月13日閲覧。
  47. ^ :: National Football Teams ::.. Player – Diego Simeone
  48. ^ Diego Pablo Simeone - Century of International AppearancesRSSSF
  49. ^ Rohde, Adapted by: Tom (2016年5月12日). “Real Madrid the big winners in MARCA Football Awards” (英語). MARCA English. 2020年4月11日閲覧。
  50. ^ Consulting, Bendoni. “Diego Pablo Simeone (Master Coach Special Award)” (英語). Globe Soccer Awards. 2020年4月11日閲覧。