ディノ・バッジョ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Dino BAGGIO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1971年7月24日(48歳) | |||||
出身地 | カンポサンピエーロ | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
代表歴 | ||||||
1991-1999 |
![]() | 60 | (7) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ディノ・バッジョ(Dino Baggio、1971年7月24日 - )は、イタリア・カンポサンピエーロ出身の元サッカー選手。
人物[編集]
守備的MFとしてイタリア代表やパルマの一時代を築いた選手。1991-92シーズンにインテルで頭角を現し、ユベントス移籍後は、同時期に同姓のロベルト・バッジョが活躍していたため、「もう一人のバッジョ」と呼ばれていた[2]。
イタリア代表としては1991年12月21日のキプロス戦(フォッジャ)で代表デビュー。1994 FIFAワールドカップ、1998 FIFAワールドカップ、ユーロ96に出場した。1994 FIFAワールドカップの予選ではポルトガル戦で本大会出場を決める、決勝ゴールを決め、予選突破に貢献、1994 FIFAワールドカップ本大会ではグループリーグのノルウェー戦で決勝ゴール[3]、準々決勝のスペイン戦では先制点を決めるなど[4]、イタリアの決勝進出に貢献した。1998 FIFAワールドカップでもレギュラーとして活躍した。
1998年10月、パルマ在籍時にUEFA杯でヴィスワ・クラクフと対戦。クラクフ側のサポーターが投げたナイフが頭部に刺さり重傷を負ったことがある[5]。
引退後は趣味として演劇活動も行っている。
2008年2月からは、3部リーグのTombolo(パドヴァ近郊の町・出身地に近い)に所属。キャリア初期に指導を受けたCesare Crivellaroのもとで週に2回ほどプレーしているという。
2013年6月9日、日伊代表OB戦の「グロリエ・アッズーレ」一員として来日。国立競技場でプレーした。背番号は13
所属クラブ[編集]
- 1989-1991
トリノ・カルチョ
- 1991-1992
インテルナツィオナーレ・ミラノ
- 1992-1994
ユヴェントスFC
- 1994-2000
ACパルマ
- 2000-2003
SSラツィオ
- 2003-2004
ブラックバーン・ローヴァーズFC
- 2003-2004
アンコーナ・カルチョ
- 2004-2005
SSラツィオ
- 2005
USトリエスティーナ・カルチョ
タイトル[編集]
- 1992-93 UEFAカップ優勝
- 1994-95 UEFAカップ優勝
- 1998-99 UEFAカップ優勝
出典[編集]
- ^ “Dino Baggio - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ Gli eroi in bianconero: Dino BAGGIO-Tutto Juve 2018年1月27日
- ^ Mondiali 1994: Italia-Norvegia 1-0-stoliedicalcio 2018年1月21日
- ^ Mondiali 1994: Mondiali 1994: Italia-Spagna 2-1-stoliedicalcio 2018年1月21日
- ^ ディノ・バッジョ襲撃犯、刑務所行き(FC JAPANホームページ)
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