デルタの夜明け

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デルタの夜明け
タニヤ・タッカーシングル
初出アルバム『Delta Dawn
B面 I Love the Way He Loves Me
リリース
規格 7インチ・シングル
ジャンル カントリー
時間
レーベル コロムビア・レコード
作詞・作曲 ラリー・コリンズ、アレックス・ハーヴェイ
プロデュース ビリー・シェリル
チャート最高順位
タニヤ・タッカー シングル 年表
デルタの夜明け
(1972年5月)
Love's the Answer
(1972年10月)
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デルタの夜明け
ヘレン・レディシングル
初出アルバム『Long Hard Climb
B面 友達ならば
リリース
規格 7インチ・シングル
時間
レーベル キャピトル・レコード
作詞・作曲 ラリー・コリンズ、アレックス・ハーヴェイ
プロデュース トム・カタラーノ
チャート最高順位
ヘレン・レディ シングル 年表
Peaceful
(1973年1月)
デルタの夜明け
(1973年6月)
Leave Me Alone (Ruby Red Dress)
(1973年10月)
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デルタの夜明け」(原題: Delta Dawn)は、タニヤ・タッカーが1972年に発表したデビュー・シングル。ヘレン・レディのカバー・バージョン(1973年、全米1位)で主に知られる。

概要[編集]

1950年代から60年代半ばにかけて姉のローリー・コリンズとともに「ザ・コリンズ・キッズ」というロカビリー・デュオで活動していたラリー・コリンズと、アレックス・ハーヴェイが作詞作曲した。かつて人々から「Delta Dawn」と呼ばれ崇められたテキサス州ブラウンズビル出身のサザン・ベル。彼女は現在41歳になったが、若い頃彼女に求婚した "Mysterious dark-haired man" の幻影にとりつかれ、スーツケースを持ったまま街をさまよい歩く。そうしたわけで邦題の「デルタの夜明け」は誤訳である。

作者のアレックス・ハーヴェイは1971年に発表したアルバム『Alex Harvey』においてレコーディング。これがオリジナル・バージョンとされる。

1972年、当時13歳のタニヤ・タッカーはコロムビア・レコードと契約。プロデューサーのビリー・シェリルは「The Happiest Girl in the Whole U.S.A.」をタッカーのデビュー曲として考えていたが、タッカーはトーク番組『ザ・トゥナイト・ショー』でベット・ミドラーが歌っているのを聞き、「デルタの夜明け」にしたいと主張した[3]。同年5月、シングルA面として発表[1]ビルボード・Hot 100で72位、カントリー・チャートで6位を記録した。

1973年、ヘレン・レディのプロデューサーを務めていたトム・カタラーノは、タッカーのバージョンに似せたアレンジのインストゥルメンタル・トラックを作りバーブラ・ストライサンドに歌わせようとした(編曲はアル・キャップス)。しかしストライザンド側が断ったため、レディが歌うことになった。同年6月にシングルA面として発表され[2]、ビルボード・Hot 100で1位[4]、イージーリスニング・チャートで1位、カナダRPMで1位、オーストラリアで1位、キャッシュボックス誌で1位を記録し大ヒットとなった。ビルボードの1973年の年間チャートでも14位を記録した。シングルのB面はポール・ウィリアムズが書いた「友達ならば(If We Could Still be Friends)」。

その他のバージョン[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

先代:
マーヴィン・ゲイ
レッツ・ゲット・イット・オン
Billboard Hot 100 ナンバーワンシングル
(ヘレン・レディのバージョン)

1973年9月15日(1週)
次代:
マーヴィン・ゲイ
「レッツ・ゲット・イット・オン」
先代:
ダイアナ・ロス
「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」
Easy Listening ナンバーワンシングル
(ヘレン・レディのバージョン)

1973年8月4日 - 8月11日(2週)
次代:
トニー・オーランド&ドーン
「嘆きのジプシー・ローズ」