デヴィッド・オリスト
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デヴィッド・オリスト David O'List | |
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![]() デヴィッド・オリスト(2009年) | |
基本情報 | |
別名 |
David John Davy O'List |
生誕 | 1950年12月13日(68歳) |
出身地 |
![]() 西ロンドン チジック |
ジャンル |
ロック グラムロック プログレッシブ・ロック |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ギター、ボーカル、トランペット |
活動期間 | 1960年代 - |
レーベル |
デッカ・レコード CBS |
共同作業者 |
ジ・アタック ナイス ジェット ロキシー・ミュージック |
デヴィッド・オリスト[1](David O'List、1950年12月13日 - )は、イングランドのロック・ギタリスト、ボーカリスト、トランペッターである[2]。彼は、ジ・アタック、ナイス、ロキシー・ミュージック(フィル・マンザネラの加入前)、ジェット(イアン・マクロードに交代した)といったバンドで演奏した。彼はまた、ジェスロ・タルとピンク・フロイドに短期間、代理で参加した。
目次
略歴[編集]
ナイス以前[編集]
オリスト(デヴィッド・ジョン名義を使用)は、1966年にジ・アタックをスタートした。ドン・アーデンがマネージメントを担当し、4枚のシングルをリリースした:「Try It / We Do n't Know」(Decca F 12550)、「Hi Ho Silver Lining / Anymore Than I Do」(Decca F 12578)、「Created By Clive / Colour Of My Mind」(Decca F 12631)、「Neville Thumbcatch / Lady Orange Peel」(Decca F 12725)[3]。
ナイス[編集]
オリストは、1967年2月にジ・アタックを脱退し、オルガン奏者でピアニストのキース・エマーソン、ベーシストで歌手のリー・ジャクソン、ドラマーのイアン・ヘイグと共に、P.P.アーノルドのバック・バンドであるナイスのギタリストとしてアンドリュー・ルーグ・オールダムに見出された[3]。その後、5月までにバンド単体でギグを行い、その夏のナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバルに出演した[4]。しかし、彼らの最初のアルバムの登場は1968年初頭まで待たねばならなかった。彼らの唯一のヒット・シングルでレナード・バーンスタインの「アメリカ」を再構築したヴァージョンは、その年の7月に英国で21位に達した[5]。ナイスでのオリストのスタイルは、オールミュージックのBruce Ederによって「ヘンドリックス風のギター……シャープな安心感」と説明された[6]。しかし、エマーソンとオリストという強力な演奏家2人は競い合い両雄並び立たず、オリストはセカンド・アルバムをレコーディング中の1968年秋にナイスを脱退した[4]。
ナイスと共に活動している頃、1967年にオリストはピンク・フロイドのシド・バレットの代理を一時的に担当した[7]。「それはすごかった」と彼は50年後に回想している。「それはジミ・ヘンドリックスとフロイドのパッケージ・ツアーだったので、夢のように感じました。私はフロイドの音楽を本当によく知っていたので、彼らが一緒に演奏するように頼んでくれたとき、お安い御用でした」。フロイドは彼をバレットの永久的な代役と見なしたかどうか尋ねると、彼はこう答えた。「どうやら彼らはそれを考えていたようです。彼らは私が数回ライブで演奏するのを見てくれたのですが、私はまだ19歳でしたし、ビジネスにおいても青臭い若者でした。もっと自分をプッシュすべきでした」[8]。
ナイス以後[編集]
オリストはミック・エイブラハムズ脱退後のジェスロ・タルでも短期間、演奏を行った[9]。
1970年初頭にオリストはザ・ミスアンダーストゥッドへ参加し[10]、1971年10月から1972年2月までの間にロキシー・ミュージックへ参加してギターとベースを提供した[11]。彼はグループを去る前の1973年1月に、バンド初のBBCセッションで演奏を行った。
オリストは、1974年にロキシー・ミュージックのボーカリストであるブライアン・フェリーと再会した。それは、フェリーの2枚目のソロ・アルバム『アナザー・タイム・アナザー・プレイス (いつかどこかで)』のギタリストの1人としてであった。「The 'In' Crowd」というヒット曲のフェリーによるカバーには、オリストのギター・ソロがフィーチャーされている。ロキシー・ミュージックの後、オリストは1974年にジェットに加入した。彼らは1975年に1枚のアルバムをリリースし、イアン・ハンター&ミック・ロンソンのサポートとしてツアーを行った。
ソロ・キャリア[編集]
オリストは『Flight of the Eagle』というタイトルのソロ・アルバムを1997年にリリースした。2枚目のソロ・アルバム『Second Thoughts』は、2015年にリリースされている。
私生活[編集]
オリストはバンド・プレーヤーであるだけでなく、Satu Redmondという妻もいる。彼の息子は2008年5月18日に生まれ、名はJames Remondという。
ディスコグラフィ[編集]
ソロ・アルバム[編集]
- Flight Of The Eagle (1997年)
- Second Thoughts (2015年)
シングル[編集]
- "Fallout Love" (1982年)
脚注[編集]
- ^ 「デイヴィ・オリスト (Davy O'List)」の表記もある。
- ^ デヴィッド・オリスト - オールミュージック
- ^ a b The Attack - オールミュージック
- ^ a b The Nice - オールミュージック
- ^ Rice, Tim; Paul Gambaccini; Jo Rice (1993). Guinness Book of British Hit Singles. London: Guinness Superlatives. p. 226. ISBN 0-85112-633-2.
- ^ The Thoughts of Emerlist Davjack - オールミュージック
- ^ Mason, Nick (30 November 2004). Inside Out: A Personal History of Pink Floyd. Weidenfeld & Nicolson. p. 96. ISBN 0-297-84387-7.
- ^ Ling, Dave: "Davy O'List"; Classic Rock No. 219, February 2016, p115
- ^ “Jethro Tull – Biography”. The Marquee Club. 2011年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月6日閲覧。
- ^ “VdGG Profile: Misunderstood”. fuzzlogic.com. 2009年4月2日閲覧。
- ^ Bracewell, Michael (2007). Re-make/Re-model Art,Pop,Fashion and the Making of Roxy Music, 1953–1972. London: Faber and Faber. p. 342. ISBN 978-0-571-22985-7.