デヴィッド・リーン

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デヴィッド・リーン
Sir David Lean KBE
Sir David Lean KBE
ドクトル・ジバゴ』の撮影中のリーン
生年月日 (1908-03-25) 1908年3月25日
没年月日 (1991-04-16) 1991年4月16日(83歳没)
出生地 イギリスの旗 イギリス サリー州クロイドン
死没地 イギリスの旗 イギリス ロンドン
国籍 イギリスの旗 イギリス
職業 映画監督脚本家編集技師映画プロデューサー
ジャンル 映画
配偶者 Isabel Lean (1930-1936)
ケイ・ウォルシュ (1940-1949)
アン・トッド (1949-1957)
Leila Matkar (1960-1978)
Sandra Hotz (1981-1984)
Sandra Cooke (1990-1991)
主な作品
逢びき
大いなる遺産
戦場にかける橋
アラビアのロレンス
ドクトル・ジバゴ
インドへの道
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デヴィッド・リーンDavid Lean1908年3月25日 - 1991年4月16日)は、イギリス出身の映画監督である。デビッド・リーンとも表記。

来歴[編集]

下積み時代[編集]

ロンドン郊外クロイドン生まれ。19歳のときゴーモンピクチャーを尋ね、使いっ走りとして雇われる。映画らしい最初の仕事はカチンコ係だった。

映画監督として[編集]

その後カメラマン助手、助監督、編集、などの仕事を経ていき、1942年に劇作家ノエル・カワードとの共同監督作品『軍旗の下に』で戦闘シーンの撮影を担当して監督デビューを果たす。作品は戦中ということもあり、イギリス海軍を主題にした英国に対する愛国心の強い内容だったが、初監督にして作品はアカデミー作品賞にノミネートされた。

1945年に、カワードの短編戯曲『静物画』を映画化した恋愛映画逢びき』を発表。作品は第1回カンヌ国際映画祭グランプリを受賞し、自身も第19回アカデミー賞にて監督賞脚色賞にノミネートされた。その後も代表的なイギリス文学である『大いなる遺産』と『オリバー・ツイスト』の2作品を映画化し、『大いなる遺産』では第20回アカデミー賞にてアカデミー作品賞や監督賞を含む5部門にノミネートされ、美術賞撮影賞を受賞する。1954年にはコメディ映画ホブスンの婿選び』で第4回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。1940年代から1950年代にかけてライバルであるキャロル・リードと共にイギリス映画界を牽引していった。

世界的認知[編集]

1957年、ハリウッドの大物プロデューサーであるサム・スピーゲルとタッグを組んだ戦争映画戦場にかける橋』を発表。戦前からチャップリンと並んで国際的に有名だった日本人俳優早川雪洲や、イギリスを代表する俳優アレック・ギネスハリウッドでも指折りのスター俳優ウィリアム・ホールデンなど、世界各国から豪華キャストが集結した本作は、ビルマの奥地であるジャングルでの撮影など過酷を極めたものだったが、いざ公開されると大ヒットを記録し、本作のメインテーマ「クワイ河マーチ」も世界的に有名な映画音楽となる。また、第30回アカデミー賞では作品賞を含む7部門を受賞し、リーンも監督賞を初受賞した。

『戦場にかける橋』の成功により、リーンは更なる大作『アラビアのロレンス』を再びスピーゲルとのタッグで制作する。ピーター・オトゥールオマー・シャリフのデビュー作ともなった本作は、1962年度の全世界年間興行成績では1位を記録し、前作を上回る大ヒットを収めた。第35回アカデミー賞では7部門を受賞し、2度目のアカデミー作品賞、自身も2度目となるアカデミー監督賞を受賞した。

1965年、ソ連の作家ボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』を前作にも出演したオマー・シャリフ主演で映画化。イタリア人大物映画プロデューサーであるカルロ・ポンティMGMに持ち込んだ企画であった本作は、前作の大作2本で大成功を収めていたリーンの監督就任により実現した。公開当時、批評家の間では評価が割れたが、MGMの宣伝効果もあって興行的には1億ドルを超える成績を叩き出し、本作のメインテーマ「ラーラのテーマ」も世界中で大ヒットを記録。劇中に登場したヘアスタイルやファッションまでもが流行し、ヒロインを演じたジュリー・クリスティも絶大な人気を獲得した。第38回アカデミー賞では『サウンド・オブ・ミュージック』という強敵のために作品賞と監督賞は逃したものの、ボルトの脚色賞を含む5部門を受賞。

寡作ではあったものの、これらの3作品はリーンの監督としての名声を絶大なものとした。また、これらの3作品すべてで、リーンはアレック・ギネスを起用。オマー・シャリフ曰く、リーンにとっての成功の御守りだったという。

晩年[編集]

1970年、『ライアンの娘』を監督するも、今度は批評的、興行的にも失敗。この失敗はリーンの監督としての自信を喪失させ、ここから14年間にわたってメガホンを取ろうとはしなかった。

そして14年の月日を経た後、1984年に遺作となる『インドへの道』を発表。本作では脚本、編集も担当し、監督としての健在ぶりを見せつけて復活を遂げる。1980年代中頃、師弟関係にあったスティーヴン・スピルバーグ製作で『太陽の帝国』を監督しようとしたが、最終的にはスピルバーグ自らがメガホンを取った。その後、コンラッドの『ノストロモ』の映画化を企画していたが、1991年、病に倒れて83歳で死去した。

KBE叙勲者。

次世代への影響[編集]

リーンの作風はスティーヴン・スピルバーグや、マーティン・スコセッシなど次世代の映画監督に多大な影響を与えた。

特にスピルバーグは高校生の頃に『アラビアのロレンス』を見たことで映画監督を目指すことを決心したと語っており、彼を偉大なる師として尊敬していた。リーンの自然主義的な作風はスピルバーグに大いに受け継がれており、『アラビアのロレンス』『戦場に架ける橋』『ドクトル・ジバゴ』は撮影前に必ず見直す作品だと語っている。

また、クリストファー・ノーランは『ダークナイト』の撮影でIMAXカメラを使用した際、「デヴィッド・リーンが砂漠の中で65ミリのカメラを抱えられたなら、僕たちにこれが使いこなせないわけはない」と語っている。

その他[編集]

監督作品[編集]

日本のテレビ番組出演[編集]

受賞歴[編集]

※本来はプロデューサーが受取人である作品賞の受賞・ノミネートも含む。

部門 作品 結果
カンヌ国際映画祭 1946年 パルム・ドール 逢びき 受賞
国際映画批評家連盟賞 受賞
アカデミー賞 1942年 作品賞 『軍旗のもとに』 ノミネート
1946年 監督賞 『逢びき』 ノミネート
脚色賞 ノミネート
1947年 作品賞 大いなる遺産 ノミネート
監督賞 ノミネート
脚色賞 ノミネート
1957年 作品賞 戦場にかける橋 受賞
監督賞 受賞
1962年 作品賞 アラビアのロレンス 受賞
監督賞 受賞
1965年 作品賞 ドクトル・ジバゴ ノミネート
監督賞 ノミネート
1984年 作品賞 インドへの道 ノミネート
監督賞 ノミネート
脚色賞 ノミネート
編集賞 ノミネート
英国アカデミー賞 1948年 英国作品賞 オリヴァ・ツイスト ノミネート
1952年 総合作品賞 超音ジェット機 受賞
英国作品賞 受賞
1954年 総合作品賞 ホブスンの婿選び ノミネート
英国作品賞 受賞
1955年 総合作品賞 旅情 ノミネート
1957年 総合作品賞 『戦場にかける橋』 受賞
英国作品賞 受賞
1962年 総合作品賞 『アラビアのロレンス』 受賞
英国作品賞 受賞
1966年 総合作品賞 『ドクトル・ジバゴ』 ノミネート
1970年 総合作品賞 ライアンの娘 ノミネート
監督賞 ノミネート
1974年 アカデミー友愛賞 - 受賞
1985年 作品賞 『インドへの道』 ノミネート
脚色賞 ノミネート
ベルリン国際映画祭 1954年 金熊賞 『ホブスンの婿選び』 受賞
ニューヨーク映画批評家協会賞 1955年 監督賞 『旅情』 受賞
1957年 作品賞 『戦場にかける橋』 ノミネート
監督賞 受賞
1965年 監督賞 『ドクトル・ジバゴ』 ノミネート
1984年 作品賞 『インドへの道』 受賞
監督賞 受賞
ゴールデングローブ賞 1957年 作品賞(ドラマ部門) 『戦場にかける橋』 受賞
監督賞 受賞
1962年 作品賞(ドラマ部門) 『アラビアのロレンス』 受賞
監督賞 受賞
1965年 作品賞(ドラマ部門) 『ドクトル・ジバゴ』 受賞
監督賞 受賞
1984年 監督賞 『インドへの道』 ノミネート
外国語映画賞 受賞
脚本賞 ノミネート
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 1952年 監督賞 『超音ジェット機』 受賞
1957年 作品賞 『戦場にかける橋』 受賞
監督賞 受賞
1962年 監督賞 『アラビアのロレンス』 受賞
1984年 作品賞 『インドへの道』 受賞
監督賞 受賞
全米監督協会賞 1957年 長編映画監督賞 『戦場にかける橋』 受賞
1962年 長編映画監督賞 『アラビアのロレンス』 受賞
1970年 長編映画監督賞 『ライアンの娘』 ノミネート
1973年 D・W・グリフィス賞 - 受賞
1984年 長編映画監督賞 『インドへの道』 ノミネート
キネマ旬報ベスト・テン 1962年 外国映画ベスト・ワン 『アラビアのロレンス』 受賞
外国映画監督賞 受賞
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 1964年 外国語映画賞イタリア語版 『アラビアのロレンス』 受賞
1967年 外国監督賞イタリア語版 『ドクトル・ジバゴ』 受賞
ナストロ・ダルジェント賞 1964年 外国監督賞イタリア語版 『アラビアのロレンス』 受賞
カンザスシティ映画批評家協会賞 1984年 作品賞 『インドへの道』 受賞
監督賞 受賞
BFIフェローシップ賞英語版 1986年 - - 受賞
AFI賞 1990年 生涯功労賞 - 受賞

脚注[編集]

  1. ^ 1st Cannes Film Festival”. Fipresci.org. 2020年1月4日閲覧。