デーモン・オーケンのラジオ巌流島

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デーモン・オーケンのラジオ巌流島(デーモン・オーケンのラジオがんりゅうじま)は、ニッポン放送の制作で1992年7月から1995年3月まで放送されていたラジオ番組である。

月曜日から金曜日まで(一部の局は水曜日または木曜日まで)の約10分間放送されていた、いわゆる帯番組だった。

スポンサーは、当初は前々番組「TOSHIXハラスメント」、前番組「ウッチャンナンチャンのラジオな奴ら」に続いてダイハツの一社提供(一部の地域を除く)だったが、途中からニッポン放送では福武書店(現:ベネッセコーポレーション)と山芳製菓に提供が替わっている。その福武書店の雑誌「チャレンジランド」の誌上で、本番組のコーナーが展開されたことがあった[1]

概要[編集]

パーソナリティーは、ともにオールナイトニッポンのパーソナリティでもあったデーモン小暮閣下大槻ケンヂ(ちなみにこの両者は月曜1部において1990年6月を境に前後パーソナリティの関係でもある)。大槻の希望でこのコンビが実現したという[2]。リスナーはペンネーム、ラジオネームの代わりに「島民ネーム」という名称を使っていた。

番組冒頭で、閣下・大槻のどちらかが、島民から寄せられた「叩き斬ってほしい人」に関するネタを読み、ネタ読み以外のどちらかが「叩き斬ってやる」という台詞と日本刀で叩き切るSEを流し[3]、タイトルコールが行われていた。

タイトルコールは閣下が「デーモン」、大槻が「オーケンの」と言ったあとに揃って「ラジオ巌流島」と言っていたが、放送によっては「井上陽水奥田民生の〜」などと言ってみたり、「叩き斬ってやる」と言った大槻がそのまま「デーモン」と言ってしまったことがある。 スケジュールの都合で閣下のみの放送のときに「デーモン小暮のラジオ巌流島」と言ったこともある。

本番組企画段階の当初のコンセプトは、閣下の相撲好き、大槻のプロレス好きという特性を生かした格闘技番組だったといわれる。しかしこれでは番組が成り立ちにくいということになり、結局ネタ投稿を中心としたバラエティ番組という形に落ち着いた[4]

閣下本悪魔、大槻本人も「いい加減な番組だった」と言うほど[2]、本番組の収録は両名のスケジュールが合う日を選んで行わなければならなかったため変則的なことが多かった。第1回目の収録もニッポン放送のスタジオではなかった(下述)。また多い時で5週分をまとめて収録したことがあったり、聖飢魔II筋肉少女帯それぞれのツアー、公演先まで追っかけて行ったことも時々あった。そしてどうしても閣下、大槻どちらか一名しか来られなかった時にはピンチヒッターを迎えて収録したことも数回ある。どちらか一名だけの放送も多数あった(一時期、番組スタッフ自ら「通常通り1名でやりますか?」と言ったことがあるほどである)[2]

1993年8月には東京芝浦にて、本番組のイベント「ライブ巌流島」が、井上陽水真心ブラザーズを迎えて行われる。そして「陽水の芸名」のコーナーで募集されていた陽水の本番組における芸名が決定された(下述)。

投稿ネタが紹介されると、ノベルティとして緑地に黒文字の「島民票」(今で言うSuicaと同じ様なサイズ)がもらえた。ちなみにこの島民票の用途はほとんど「ラジオ巌流島の島民を証明する物」ということだった。また、その日最も面白かったネタには「5,000両」(5,000円)をプレゼントしていた[5]。さらにスペシャルウィークには、2週で100,000両を用意し、面白いネタに対して振り分ける形でプレゼントしていた(もちろん1つのネタに5,000両を超える金額がプレゼントされることもある)[6][7]

一時、当時のヤングタイムでダントツという聴取率を記録したことがあった[8]

番組のテーマ曲には、デーモン、オーケン両名の希望で伊福部昭作曲の「地球防衛軍マーチ」が使用された[2]

主なコーナー[編集]

仕置人コーナー
前枠。変な間抜けな事柄、物、人物を報告してもらい、主に「こんな物(奴)を叩っ斬ってやって下さい」で締めていたコーナー。
素晴らしき人生相談
人生相談とはいっても、特に人生のためにならない相談事、またはそれにまつわる物、人物などを報告。「仕置人コーナー」同様「叩っ斬ってやって下さい」で締めていた[9]
不吉な前兆
月曜日放送。「1日目・2日目・3日目」「1分後・2分後・3分後」または「1時間後…」「1か月後…」「1年後…」という時系列(または何%)の三段オチでネタを考えるコーナー。「涙の3カウント」という形式のネタもあった[10]
立派なバカ養成講座
月曜日放送。「普通のバカ」と「立派なバカ」の違いをネタにする。
クイズ越後屋
火曜日放送。島民からクイズを出題され、島民が考えた答えとデーモン、オーケン両名の答えのどちらがよりバカらしいかというような内容。デーモン曰く「自分達でやっていながら自分達のセンスが問われるひどいコーナー」。
巌流島ミステリー謎の結末
火曜日放送。シナリオ形式で島民がサスペンス超の文章を送ってくるのだが、いいところで話が終わり、その続きをデーモン、オーケンが考えるというコーナー。「陽水の芸名を探せ」のコーナーで島民がストーリー調でネタを提供していたのでそこからこのコーナーが始まったのだが、「登場人物が誰かをはっきりさせないと面白くない」とデーモンが言い、加勢大周や細川ふみえなど、人物を指定して島民はその指定した人物をネタにハガキを送るようになった。
興行成績ベスト
既成の映画、ドラマなどのパロディの案を募集していたコーナー。1位に選ばれた作品案を元に台本が作られ、「巌流島劇場」として両名がコントを演じる。
ラジオ果たし状
水曜日放送。「こんなラジオをやってほしい」という案(「テクノ霊視番組」「本当の男とは何か」など)を募集し、その内容にあわせて「巌流島劇場」として両名がコントを演じる。
ガチンコ音楽会
木曜日放送。変な曲、とんでもない曲などを毎週一曲紹介。ゲストが出演していた場合はそのゲストの曲を紹介する。
陽水の芸名を探せ
木曜日放送。井上陽水が突然本番組に「新しい芸名が欲しい」と言い出して来た、といわれることから始まったコーナーで、陽水の目撃談(ネタ)とともに新芸名を募集していた。陽水自身から「田所純一郎でどうか」という旨のFAXが届いたこともあったが、原則として「巌流島島民が考案した芸名から選ぶ」ということだったためこれは却下。1993年6月に陽水がゲスト出演したのち、同年8月の「ライブ巌流島」の会場で最終候補5作品の中から陽水自身が「クワガタ」を選び、「井上クワガタ」を、デーモンが「くわがた陽水」と言ったことから「くわがた陽水」に決定。本コーナー完結の運びとなった。この「くわがた陽水」は大槻が出演していたテレビ東京の「モグラネグラ」に陽水が出演したときに使われた[11]
巌流島プレスセンター
金曜日放送。隔週でデーモン、オーケンのマネージャーがでてきて2週間分の出演番組やコンサート(ミサ)情報やCD(経典、大教典)などの告知をする。また、ゲストが出演していた場合にはそのゲストの告知を行っていた。
巌流俳句塾
おかしな俳句をエンディングに一作品紹介していた[12]
ことわざMEGA MIX
既成のことわざを適当に改変した新しいことわざを募集していたコーナー。これもエンディングに一作品紹介。
よーく考えてみよう
エンディングコーナーの一。腑に落ちない、おかしいなと思ったことについてネタにし、「よーく考えてみよう」で締める。

エピソード[編集]

  • ニッポン放送のスタジオで収録されたのは第5回目の収録からで、第1回目から第4回目までは他の場所で収録されている[13]
  • 1993年5月頃には、山本元気アナウンサーが“偽デーモン”、“偽オーケン”を演じたことがある。さらに、これを利用して「今月は何回偽デーモン・偽オーケンがラジオに出演したでしょうか?」というクイズ(デーモン・オーケン五月病クイズ)[14]が出されたりもする程、後期は大槻・デーモンの両者が揃って収録することが稀であった。(理由は前述の通り、両者のスケジュール調整が多忙のために困難であったから)[15]
    • あまりにもスケジュールが合わないため、2週にわたって、1週目は閣下がオープニングとエンディングを、大槻が本編をそれぞれ単独で担当し、次の週はその逆となるという企画(苦肉の策)もあった(サンドイッチ2ウィーク)また、末期には「デーモン・オーケンの両名がそろって番組をやる」ことがスペシャルウィークの企画とされるほどだった[2]

閣下、大槻不在時の主なピンチヒッター[編集]

(出典:[16]

閣下不在時[編集]

大槻不在時[編集]

放送されていた局[編集]

▽:ニッポン放送は月曜日から木曜日までの放送 ▼:青森放送は月曜日から水曜日までの放送

関連書籍[編集]

  • 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」(ニッポン放送出版)1994年4月20日発売

脚注[編集]

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  1. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」206ページより。
  2. ^ a b c d e デーモン・オーケンのハッスル巌流島『出版記念緊急特別対談!』のページより。
  3. ^ このSEはオープニング以外の本編中でも「叩き斬ってやる」と言うと流されることがあった。
  4. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」103~104ページより。
  5. ^ ただし、面白いネタが無かった場合は、オープニングまたはエンディングのコーナーのネタに5,000両をプレゼントすることもあり、また面白いネタが複数あった場合には2人に2,500両ずつということもあった。
  6. ^ ただ、面白いネタが少なかったためにスペシャルウィークの最終日になって60,000両が余ってしまい、急遽山分けプレゼントの募集が行われたことがあった。
  7. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」123~124ページより。
  8. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」103ページより。
  9. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」167~186ページ掲載。
  10. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」38~56ページ、81~100ページ掲載。
  11. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」62~67ページ、143~166ページ掲載。
  12. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」187~202ページ掲載。
  13. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島204~207ページ「ラジオ巌流島の歴史」より。
  14. ^ さらに、この期間中にデーモン・オーケンの両名とも偽者という放送もあった(偽デーモンは山本、偽オーケンは不明)。
  15. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」127~128ページ、207ページより。
  16. ^ 「デーモン・オーケンのハッスル巌流島」134、139~142ページより。
  17. ^ 金曜は「未来派ラジオ 電波デリック」内で放送された
ニッポン放送 月曜 - 木曜22時半付近の番組
前番組 番組名 次番組
デーモン・オーケンのラジオ巌流島
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