トゥグリル3世

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トゥグリル3世
イラク・セルジューク朝第9代スルタン
在位 1175年/76年 - 1194年
死去 1194年3月19日
レイ近郊
王朝 イラク・セルジューク朝
父親 アルスラーン・シャー
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トゥグリル3世(Tuğrul/Toghroul/Toghrul、Toghrul ibn Arslan ibn Toghrul[1]、? - 1194年3月19日)は、セルジューク朝君主スルターン、在位:1175年/76年 - 1194年)[2]ムハンマド・タパルを祖とするイラク・セルジューク家の君主としては、トゥグリル2世

生涯[編集]

父のアルスラーン・シャーが没した後、1175年/76年に7歳のトゥグリル3世が王位を継承する[3]。1190年にトゥグリル3世はアゼルバイジャンイルデニズ朝(イル・ドュグュズ朝、イルデギズ朝)の君主クズル・アルスラーンの支配から脱しようとしたが敗れて投獄され、クズル・アルスラーンはスルターンを自称した[4]。翌1191年にクズル・アルスラーンは暗殺され、トゥグリル3世は王位を回復する。

成長したトゥグリル3世は主権の回復を試み、クズル・アルスラーンの甥でイラン中央のレイを支配するクトゥルグ・イナンチと対立する[3]。また、アッバース朝カリフナースィルホラズム・シャー朝アラーウッディーン・テキシュにトゥグリル3世の攻撃を扇動していた[5]

1194年3月19日にトゥグリル3世はレイ近郊でアラーウッディーン・テキシュと交戦し、落命した[6]。トゥグリル3世の首はバグダードに送られ、晒された[3]。トゥグリル3世の死により、イラク・クルディスタンを支配する東方のセルジューク王家は滅亡した[5]

トゥグリル3世の娘はイルデニズ朝の君主ウズベクの妻で、後にホラズム・シャー朝のジャラールッディーン・メングベルディーと結婚した[7]

脚注[編集]

  1. ^ イブン・アッティクタカー『アルファフリー』2(池田修、岡本久美子訳, 東洋文庫, 平凡社, 2004年9月)、260頁
  2. ^ 『新イスラム事典』(平凡社, 2002年3月)、581頁
  3. ^ a b c 井谷鋼造「トルコ民族の活動と西アジアのモンゴル支配時代」『西アジア史 2 イラン・トルコ』(永田雄三編, 新版世界各国史, 山川出版社, 2002年8月)、116-117頁
  4. ^ Grousset, Rene, The Empire of the Steppes, (Rutgers University Press, 1991), 158頁
  5. ^ a b フィリップ.K.ヒッティ『アラブの歴史』下(講談社学術文庫, 講談社, 1983年1月)、266頁
  6. ^ Grousset, Rene, The Empire of the Steppes, (Rutgers University Press, 1991), 167頁
  7. ^ C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』4巻(佐口透訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1973年6月)、20頁
先代:
アルスラーン・シャー
イラク・セルジューク朝
1175/76年 - 1194年
次代:
滅亡