トマス・トレヴァー (初代トレヴァー男爵)

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The Right Honourable英語版
トマス・トレヴァー
PC
1stBaronTrevor.jpg
枢密院議長
任期
1730年5月8日 – 1730年6月19日
君主 ジョージ2世
首相 ロバート・ウォルポール
前任者 デヴォンシャー公爵
後任者 ウィルミントン伯爵

初代トレヴァー男爵トマス・トレヴァー英語: Thomas Trevor, 1st Baron Trevor PC1658年3月8日 - 1730年6月19日)はイギリスの裁判官、政治家。大法官、王璽尚書枢密院議長を歴任。

生涯[編集]

ジョン・トレヴァー英語版の次男として生まれ[1]、家庭で教育を受けた後、1672年にインナー・テンプルに入学、続いてクライスト・チャーチに進学した。1680年に弁護士資格免許を得た[2]

1683年に勅選弁護士英語版(KC)に任命され、1692年に騎士爵に叙され法務次官英語版に任命された。1695年には法務長官英語版に昇進した。1701年、民事訴訟裁判所大法官英語版に任命され、ほかにも枢密院顧問官(1702年 - 1714年)、国璽尚書(1710年)の職を得た。1712年、ブロムハムのトレヴァー男爵英語版に叙された[3]

1707年、王立協会フェローに選出された[2]

1714年にジョージ1世が即位すると、ジャコバイト支持の疑いをかけられて職を解かれたが、1726年より王璽尚書(1726年から死去まで)[3]Lords Justice Regents of the Realmの1人(1727年)、枢密院議長(1730年)、チャーターハウスの院長として復帰した[2]

家族[編集]

トマスの息子トマス、ジョン、ロバートが相次いで男爵位を継承したほか、四男のリチャード英語版(1707年 - 1771年)は1744年から1752年までセント・デイヴィッズ主教英語版を務めた後、ダラム主教英語版を務めた[3]

脚注[編集]

  1. ^ Chisholm 1911, p. 256.
  2. ^ a b c Fellow details” (英語). Royal Society. 2017年1月28日閲覧。
  3. ^ a b c Chisholm 1911, p. 257.

参考文献[編集]

  •  この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Trevor, Sir John" . Encyclopædia Britannica (in English). 27 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 256–257.

関連図書[編集]

イングランド議会 (en
先代:
ジョージ・トレビー英語版
ジョン・ポレックスフェン英語版
イングランド庶民院議員(プリンプトン・アール選挙区英語版選出)
1692年 - 1698年
同職:ジョン・ポレックスフェン英語版 1692年 - 1695年
コートネー・クルッカー 1695年 - 1698年
次代:
マーティン・ライダー
コートネー・クルッカー
先代:
ヘンリー・ペラム
トマス・ペラム
イングランド庶民院議員(ルイス選挙区英語版選出)
1701年
同職:トマス・ペラム
次代:
ヘンリー・ペラム
トマス・ペラム
司法職
先代:
ジョン・サマーズ
イングランド及びウェールズ法務次官英語版
1692年 - 1695年
次代:
ジョン・ホールズ
先代:
エドワード・ウォード英語版
法務総裁
1695年 - 1701年
次代:
エドワード・ノーシー英語版
先代:
ジョージ・トレビー英語版
民事訴訟裁判所大法官英語版
1701年 - 1714年
次代:
ピーター・キング
公職
先代:
キングストン=アポン=ハル公爵
王璽尚書
1726年 - 1730年
次代:
ウィルミントン伯爵
先代:
デヴォンシャー公爵
枢密院議長
1730年
グレートブリテンの爵位
爵位創設 トレヴァー男爵英語版
1712年 - 1730年
次代:
トマス・トレヴァー