トモエ学園

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トモエ学園(トモエがくえん)は、かつて東京都目黒区自由ヶ丘(現:自由が丘)にあった私立幼稚園小学校(旧制)リトミック教育を日本で初めて実践的に取り入れた学校として知られている。同学園出身の黒柳徹子が著したベストセラー窓ぎわのトットちゃん』によって、一躍その名が全国に知れ渡った[1]

沿革[編集]

  • 1928年昭和3年) - 手塚岸衛東京府荏原郡碑衾町大字衾に、中学校(旧制)小学校幼稚園からなる自由ヶ丘学園を創設、「自由教育」を唱道した。
  • 1932年(昭和7年)
    • 6月16日 - 大字衾の一部より大字自由ヶ丘が成立。それに伴い、所在地住所が東京府荏原郡碑衾町大字自由ヶ丘となる。
    • 10月1日 - 碑衾町が東京市に編入され、目黒区が成立。それに伴い、所在地住所が東京府東京市目黒区自由ヶ丘となる。
  • 1936年(昭和11年) - 手塚が死去。学園は経営難に陥り、中学校部門は藤田喜作に引き継がれ、現在の自由ヶ丘学園高等学校となる。
  • 1937年(昭和12年) - 成蹊小学校などで教鞭を執った小林宗作が、小学校と幼稚園を引き受ける形でトモエ学園を創設、「リトミックによる創造教育」を実践した[1]
  • 1944年(昭和19年) - 太平洋戦争激化により、児童は群馬県吾妻郡岩島村に疎開する。
  • 1945年(昭和20年) - 東京大空襲により校舎が焼失[1]。のち、幼稚園のみ再建。
  • 1946年(昭和21年) - 小学校の部を廃止。
  • 1963年(昭和38年) - 小林の死去に伴い幼稚園を閉園、以後休校とする。
  • 1978年(昭和53年) - 小林の長男によるトモエ幼稚園の廃園届が認可され、トモエ学園の歴史が完全に終わる。

備考[編集]

  • 自由が丘地名と駅名は、自由ヶ丘学園の名称に由来する。
  • 1988年(昭和63年)、有志により、跡地に以下の記念碑が建立された[2]
「自由が丘/Notre Havre de Liberté et de Création/自由と創造の我等が母港/(中略)/私たちこの地に学び育まれた者は、ここに行われた教育が、時をこえて生き続けることを願い、恩師への敬愛と感謝の思いを込めて、この碑を建てる。/自由が丘学園/トモエ学園 同窓生 並びに 関係者一同」

著名な出身者[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 黒柳徹子さん母校「トモエ学園」記念碑、自由が丘商店街が管理者に - 自由が丘経済新聞”. web.archive.org (2019年5月1日). 2019年5月1日閲覧。
  2. ^ 黒柳徹子さん母校「トモエ学園」記念碑、自由が丘商店街が管理者に - 自由が丘経済新聞”. web.archive.org (2019年5月1日). 2019年5月1日閲覧。
  3. ^ トットちゃん! DVD-BOX | TCエンタテインメント株式会社”. web.archive.org (2017年12月26日). 2019年5月1日閲覧。