トライアーナ水道

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トライアーナ水道
ラテン語: Aqua Traiana
イタリア語: Acqua Traiano
概要
自治体 ローマ
イタリアの旗 イタリア
座標 北緯41度53分19秒 東経12度27分51秒 / 北緯41.8886度 東経12.4641度 / 41.8886; 12.4641座標: 北緯41度53分19秒 東経12度27分51秒 / 北緯41.8886度 東経12.4641度 / 41.8886; 12.4641
完成 AD109
寸法
推定全長 35~60km[1]
技術的詳細
構造方式 石造・コンクリート造建築
設計・建設
主要建設者 ローマ帝国
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トライアーナ水道ラテン語: Aqua Traiana)は古代ローマの水道(ローマ水道)で、第13代皇帝トラヤヌスが109年6月24日に完成させた施設。ローマの北西約40㎞にあるブラッチャーノ湖周辺の地域が水源で、その水はローマ市内各所への給水に使われた。1世紀末までに供用されていたアッピア水道とアンシエティーナ水道では、ローマ市内の人口増大と良質な水質の需要を満たすことができなかったため、トライアーナ水道が造られた[1]。作家Rabun Taylorの記述によれば、水道橋はフォルム・ボアリウム付近の現在のスブリチオ橋(Ponte Sublicio)付近でテヴェレ川を越え、アヴェンティーノの丘を回り込んでオッピオの丘(Colle Oppio)に達していた。

また、途中ジャニコロ丘にあった水車の動力としても使われ、537年の東ゴート族によるローマ略奪ではこの水車を止めるためにトライアーナ水道が破壊された。

水道の供用日ははっきりしており、ヴァティカンの丘にあったナウマキア・トライアニオランダ語版完成の数か月前、かつトラヤヌス浴場完成の2日後であった。

ローマ水道の技術書の著者でありローマ水道長官でもあったフロンティヌスの存命後に造られた水道施設のため、技術的詳細について残されている史料は少ない[1]。残された遺構が少なく、水道の全長は35kmから60kmの間と推定されるのみである[1]

ローマ帝国滅亡後長らく使われていなかったが、17世紀にローマ教皇パウルス5世により再築され、パオラ水道として復活した。

導水渠の経路[編集]

トライアーナ水道の水源からの経路(赤線)
トライアーナ水道のローマ市内における経路(赤線)

関連項目[編集]

参考文献[編集]