ドミトリー・アレニチェフ

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ドミトリー・アレニチェフ Football pictogram.svg
D-Alenichev.jpg
名前
本名 ドミートリー・アナトーリェヴィチ・アレーニチェフ
Dmitri Anatolyevich Alenichev
愛称 Алень(アレーニ)
カタカナ ドミトリー・アレニチェフ
ラテン文字 Dmitri ALENICHEV
ロシア語 Дмитрий Анатольевич Аленичев
基本情報
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1972-10-20) 1972年10月20日(46歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦ヴェリーキエ・ルーキ
身長 173cm
体重 69kg
選手情報
ポジション MF (WG, OMF)
利き足
ユース
ソビエト連邦の旗 ヴェリーキエ・ルーキ英語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989 ソビエト連邦の旗 ヴェリーキエ・ルーキ 2 (0)
1990-1991 ソビエト連邦の旗 マシノストロイテル英語版 38 (7)
1991-1993 ロシアの旗 ロコモティフ・モスクワ 69 (6)
1994-1998 ロシアの旗 スパルタク・モスクワ 122 (18)
1998-2000 イタリアの旗 ローマ 28 (2)
1999-2000 イタリアの旗 ペルージャ (loan) 15 (0)
2000-2004 ポルトガルの旗 ポルト 84 (12)
2004-2006 ロシアの旗 スパルタク・モスクワ 21 (3)
通算 379 (48)
代表歴
1996-2005[1] ロシアの旗 ロシア 55 (6)
監督歴
2010-2011 ロシアの旗 ロシア U-18
2011-2015 ロシアの旗 アルセナル・トゥーラ
2015-2016 ロシアの旗 スパルタク・モスクワ
2017- ロシアの旗 エニセイ・クラスノヤルスク
1. 国内リーグ戦に限る。2017年7月31日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

ドミトリー・アナトリエヴィチ・アレニチェフロシア語: Дмитрий Анатольевич Аленичев, 英語: Dmitri Anatolyevich Alenichev, 1972年10月20日 - )は、ロシアプスコフ州ヴェリーキエ・ルーキ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現在はロシア・ナショナル・フットボールリーグFKエニセイ・クラスノヤルスクの監督を務めている。現役時代のポジションはMF

兄のアンドレイ・アレニチェフ英語版もサッカー選手であった。

経歴[編集]

初期の経歴[編集]

1972年10月20日、プスコフ州ヴェリーキエ・ルーキで生まれ、1990年に故郷のクラブでキャリアをスタートさせた。 1991年、ロシアの強豪クラブのFCスパルタク・モスクワへ憧れを抱いていたがFCロコモティフ・モスクワへ移籍をした。期待と不安の中でモスクワへ旅立ち、ロコモティフでは3シーズンプレーをした。

スパルタク・モスクワ[編集]

1994年、夢であったスパルタク・モスクワへ移籍をした。スパルタク・モスクワ5年間の在籍期間中ではロシア・プレミアリーグ優勝4回、ロシア・カップ優勝2回に貢献をした。1997年にはリーグ戦で20のアシストを決め、キャリア初となるロシア年間最優秀サッカー選手賞に選出された。

海外移籍[編集]

1998年、これらの活躍が認められてイタリアセリエAASローマへ移籍をした。初年度はズデネク・ゼーマンの下で21試合に出場をしたが、翌年にファビオ・カペッロがローマの新たな監督に就任すると構想外となった。1999年12月、中田英寿への移籍金+アレニチェフでシーズン途中で同リーグに所属していたACペルージャへレンタル移籍をした[2]

FCポルト[編集]

2000年、ポルトガルの強豪FCポルトへ移籍をした。2001年6月21日に行われたカップ戦の決勝の相手CSマリティモには0-1で迎えた後半79分にダメ押しゴールを決め、ポルトの11度目のカップ戦優勝(0-2)に貢献をした。

2001-02シーズンはオクタヴィオ・マシャド英語版監督の元で、ロシア代表GKのセルゲイ ・オフチニコフ英語版と共に構想外となり出場機会が減った。しかしポルトがリーグ戦で不調に陥るとマチャド監督は解任され、後任にはジョゼ・モウリーニョが就任をした。モウリーニョ就任後もマチャド時代と一緒で、レギュラー奪取とまではいかなかったものの重要な場面で起用をされた。

UEFAカップ2002-03でポルトは決勝に進出をした。2003年5月21日にエスタディオ・オリンピコ・セビージャで行われたセルティックFCとの試合ではスタメンで出場。1-1で迎えた後半9分には、DFの裏をついたデコのスルーパスを右足であわせ貴重な得点(2-1)を決めた。しかし、その3分後にセルティックに得点を決められ延長戦に突入。試合は延長後半の10分にデルレイが得点をし、3-2でポルトがUEFAカップ優勝を手にした。アレニチェフは1得点フル出場を果たしクラブの優勝に貢献をした。

モウリーニョ率いるポルトはその勢いのまま、UEFAチャンピオンズリーグ 2003-04決勝まで上り詰めた。2004年5月26日、アレナ・アウフシャルケで行われたASモナコとの決勝戦ではスタメンに名を連ねることは無かったが、後半の15分にカルロス・アルベルトとの交代でピッチに降り立った。1-0で迎えた後半26分、カウンターからデコの得点を演出。後半30分には味方が蹴ったボールが相手DFの足に当たり、ボールはゴールに向かって走り出していたアレニチェフの方角に落ちて相手GKと一対一になった。それをゴールネット隅に冷静に流し込みチーム3点目となる得点を決めた。試合は3-0で終わりUEFAカップ・UEFAチャンピオンズリーグ優勝という偉業達成に貢献をした。

2004年、32歳になりベテランの域に達したアレニチェフはスパルタクに戻る事を希望した。そんなアレニチェフをポルト側は引き止めなかった為、古巣のスパルタク・モスクワへ移籍をした。

帰国後[編集]

2006年4月8日、スポルト・エクスプレス紙でのインタビューに応じ、当時スパルタク・モスクワの監督であったアレクサンドル・スタルコフ英語版へ痛烈に批判をした[1][2]。4月14日、これらの事が影響してトップチームから退けられ罰金が科せられた[3]。2006年9月10日、スパルタク以外のクラブでプレーをする姿を思い描けないとの理由から、双方の合意の下でスパルタクとの契約を解除。その数日後に現役引退を発表した。このように蟠りの残る形でクラブを去ったが、引退試合が開催される事が決まった[4]

引退試合

2008年5月4日、スパルタクOBとレアル・マドリードOBによるアレニチェフの引退試合がロコモティフ・スタジアムで開催された[3]。ポルト時代の恩師であるジョゼ・モウリーニョも引退試合に招待された。モウリーニョはアレニチェフの事について「私にとって特別な選手であり、UEFAの2つの大会で得点を決めたこの男を決して忘れない」と語り、アレニチェフはモウリーニョの事を「私にとっては第二の父親みたいな存在だ。彼は私のためにあらゆることをしてくれた。そのことに対する感謝は、とても言葉では言い尽せないよ。」と語っている[5]

引退後[編集]

2006年、統一ロシアに加わった。2007年6月14日には上院の連邦会議オムスク州を代表して選出された[6]

2009年、35歳以上のロシア代表選手に出場資格が与えられるレジェンズ・カップに出場した。

2010年11月24日、ロシアU-18の代表監督に就任をした[7]

2015-16シーズンには、かつてプレーしたFCスパルタク・モスクワの指揮官の座に就いたが1年で解任された[8]

代表[編集]

1996年2月9日、アイスランドとの試合でA代表デビューを果たした。1996年2月11日、スロベニア戦で代表初ゴールをマークした。2002 FIFAワールドカップEURO2004にも招集され出場。1996年から2005年までの期間に55試合に出場し6得点を挙げた。

個人成績[編集]

クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点 出場得点
ソビエト リーグカップ リーグ杯 国際大会 通算
1991 ロコモティフ・モスクワ トップ・リーグ 16 0
ロシア リーグロシア杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1992 ロコモティフ・モスクワ ロシア・プレミアリーグ 24 2
1993 29 4
1994 スパルタク・モスクワ ロシア・プレミアリーグ 17 3
1995 27 4
1996 32 7
1997 33 2
1998 13 2
イタリア リーグイタリア杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1998-99 ローマ セリエA 21 1
1999-00 7 1
1999-00 ペルージャ セリエA 15 0
2000-01 0 0
ポルトガル リーグポルトガル杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2000-01 ポルト スーペル・リーガ 28 3
2001-02 20 3
2002-03 18 4
2003-04 17 2
ロシア リーグロシア杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2004 スパルタク・モスクワ ロシア・プレミアリーグ 13 3
2005 8 0
通算 ソビエト 16 0
ロシア 196 27
イタリア 43 2
ポルトガル 83 12
総通算 338 41

タイトル[編集]

クラブ[編集]

FCスパルタク・モスクワ

FCポルト

代表[編集]

  • 35歳以上ロシア代表
    • レジェンズ・カップ:1 2009

個人[編集]

脚注・参考文献[編集]