ドラギシャ・ビニッチ

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ドラギシャ・ビニッチ Football pictogram.svg
名前
愛称 タイガー
ラテン文字 Dragiša Binić
キリル文字 Драгиша Бинић
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1964-10-20) 1964年10月20日(53歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア セルビア
ニシャヴァ郡ニシュ
身長 176cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
代表歴
1990-1991 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 3 (1)
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

ドラギシャ・ビニッチ(Dragiša Binić, セルビア語: Драгиша Бинић, 1964年10月20日-)は、ユーゴスラビア出身の元サッカー選手。虎の入れ墨をしていたことから「タイガー」のニックネームで呼ばれた快速FW。抜群の才能持つ反面、気性の荒さでも知られたが、チームメイトからの信頼は厚く、特に森山泰行とはニックネームで呼び合う仲だった(ちなみに彼が森山に名付けたニックネームは「ターボ」)。

経歴[編集]

国内外の数クラブを経て、1990年に再びレッドスター・ベオグラードに移籍。1990-91シーズンのUEFAチャンピオンズカップ優勝に貢献するも、その後に審判への唾吐き事件を起こして出場停止を食らい、チェコSKスラヴィア・プラハへと売却された。そのため1991年トヨタカップには出場していない。

1994年7月にドラガン・ストイコビッチと共にJリーグ名古屋グランパスエイトへ移籍。ゴードン・ミルン監督からの評価が低く、活躍の割に出場機会は少なかった。(出場した試合のほとんどは、台風大雨など、ピッチコンディションがかなり悪いときに起用)。そのためマスコミ陣の前で公然とミルン監督を批判したこともあった。 翌1995年JFL鳥栖フューチャーズへ移籍。ここでも監督と衝突して退団。そのまま引退している。

引退後は、友人でもあるアルカン(セルビアの民兵組織「タイガー」の隊長。2000年暗殺)がオーナーを務めていたクラブFKオビリッチ・ベオグラードのディレクターに就任している。

息子のヴラダン・ビニッチもプロサッカー選手。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

年度 チーム 背番号 リーグ リーグ戦 カップ戦 天皇杯
1994年 名古屋 - J 8試合5得点 0試合0得点 0試合0得点
1995年 鳥栖F 10 JFL 6試合5得点 - -