ドン・シュルジー

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ドン・シュルジー
Don Schulze
Don Schulze.jpg
A級ケーンカウンティでのコーチ時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州ローゼル英語版
生年月日 (1962-09-27) 1962年9月27日(56歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
227 lb =約103 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1980年 MLBドラフト1巡目(全体11位)でシカゴ・カブスから指名
初出場 MLB / 1983年9月13日
NPB / 1990年6月3日
最終出場 MLB / 1989年9月29日
NPB / 1992年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ドナルド・アーサー・シュルジーDonald Arthur "Don" Schulze, 1962年9月27日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ローゼル英語版出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。2018年シーズンよりMLBオークランド・アスレチックス傘下のA級ベロイト・スナッパーズ英語版で投手コーチを務める。

日本プロ野球での通算打率10割・通算長打率40割という、稀有の記録を有する選手である。この記録は、長い日本プロ野球の歴史の中で、彼と塩瀬盛道東急)の2例しかない[1][2][注 1]

経歴[編集]

1980年MLBドラフト1巡目(全体11位)でシカゴ・カブスから指名され、プロ入り。1983年メジャー初昇格。

1984年6月に3対3のトレードで、クリーブランド・インディアンスへ移籍した(交換相手にメル・ホールがいる)。その後はニューヨーク・メッツニューヨーク・ヤンキースと渡り歩き、1989年7月にマイク・パグリアルーロと共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した。実働6年間で、先発を中心に通算76試合に登板し15勝25敗・防御率5.47をマーク。

1990年オリックス・ブレーブスに入団。当時、ブーマー・ウェルズガイ・ホフマンが在籍していたため第3の外国人扱いだったが、ブーマーの故障で一軍に昇格した。140km/h台後半の重いストレートを投げることから主にリリーフで20試合に登板し、6勝4敗3セーブ、防御率2.58とまずまずの成績を残す。翌1991年もホフマンの不振により一軍に定着するものの、成績は24試合登板で3勝2敗7セーブ、防御率4.66と平凡だった。

日本でのキャリアのハイライトと言えるのが1991年5月29日日生球場で行われた対近鉄バファローズ戦。先発した当時新人の長谷川滋利の後を受けて登板したシュルジーだったがリリーフに失敗し、長谷川のプロ初勝利を消してしまい試合は延長戦へ突入した。そして指名打者飯塚富司[3]が一塁守備に就いていたため11回表にシュルジーに打席が回ると、赤堀元之の初球を左翼スタンド後方の照明塔を直撃する超特大ソロ・来日初打席初本塁打を放ち、球場は騒然となった。そのままシュルジーはその裏を抑えて勝利投手になった。これによりパ・リーグで指名打者制を導入して以降、初めての投手による本塁打が記録された。その上シュルジーの日本での打席はこれ1回きりであったため、日本プロ野球での通算打率が10割、長打率40割という塩瀬盛道(1950年)以来の珍しい記録も誕生した[1][2]。しかし本人は日本でのその記録にあまり関心が無く、日本での思い出は「1年目のキャンプで体調を崩して入院した際に井箟重慶球団代表から送られた梨が神様からの贈り物のようにおいしかったこと」と語っている[4]

1992年は13試合の登板にとどまり、同年限りで退団。引退後、2006年からオークランド・アスレチックス傘下のマイナー球団(ルーキー級アリゾナリーグ・アスレチックスやAA級ミッドランド・ロックハウンズ[5]など)で投手コーチを務めるようになり、2018年シーズンからはA級ベロイト・スナッパーズ英語版で同職となる[6]

なお、メジャーリーグでの打撃成績は7打数0安打、マイナーリーグでの打撃成績は22打数1安打1本塁打である。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1983 CHC 4 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 67 14.0 19 1 7 0 1 8 1 0 11 11 7.07 1.86
1984 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 16 3.0 8 0 1 0 0 2 0 0 4 4 12.00 3.00
CLE 19 14 2 0 0 3 6 0 -- .333 380 85.2 105 9 27 0 0 39 5 2 53 46 4.83 1.54
'84計 20 15 2 0 0 3 6 0 -- .333 396 88.2 113 9 28 0 0 41 5 2 57 50 5.08 1.59
1985 19 18 1 0 0 4 10 0 -- .286 429 94.1 128 10 19 2 4 37 3 0 75 63 6.01 1.56
1986 19 13 1 0 0 4 4 0 -- .500 371 84.2 88 9 34 0 5 33 6 0 48 47 5.00 1.44
1987 NYM 5 4 0 0 0 1 2 0 -- .333 91 21.2 24 4 6 0 1 5 0 0 15 15 6.23 1.38
1989 NYY 2 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 49 11.0 12 1 5 0 1 5 0 0 5 5 4.09 1.55
SD 7 4 0 0 0 2 1 0 -- .667 118 24.1 38 6 6 0 0 15 1 0 20 15 5.55 1.81
'89計 9 6 0 0 0 3 2 0 -- .600 167 35.1 50 7 11 0 1 20 1 0 25 20 5.09 1.73
1990 オリックス 20 5 2 0 0 6 4 3 -- .600 286 69.2 65 3 17 1 5 32 1 2 24 20 2.58 1.18
1991 24 0 0 0 0 3 2 7 -- .600 161 36.2 41 1 13 2 3 24 1 0 23 19 4.66 1.47
1992 13 10 3 0 0 3 5 0 -- .375 383 85.0 84 10 51 0 2 56 0 1 40 33 3.49 1.59
MLB:6年 76 59 4 0 0 15 25 0 -- .375 1521 338.2 422 40 105 2 12 144 16 2 231 206 5.47 1.56
NPB:3年 57 15 5 0 0 12 11 10 -- .522 830 191.1 190 14 81 3 10 112 2 3 87 72 3.39 1.42

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 43(1983年 - 1984年途中)
  • 37(1984年途中 - 1986年)
  • 49(1987年)
  • 34(1989年)
  • 51(1989年)
  • 42(1990年 - 1992年)

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ a b 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年6月30日号70-73ページ「記録の手帳」
  2. ^ a b 週刊野球太郎』編集部 (2014年4月4日). “これ以上ないデビュー プロ初打席初球本塁打は過去8人”. スポニチAnnex. オリジナル2018年10月17日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/SrSqB 2018年10月17日閲覧。 
  3. ^ 指名打者として先発したのは石嶺和彦で、飯塚が代走として代わって指名打者になった。しかし、飯塚が守備に就いたため、公認野球規則6.10(b)の規定により指名打者が消滅し、投手のシュルジーが打席に立たなければならなくなった。
  4. ^ 「ホームランを知りつくす」(B.B.mook―スポーツ伝説シリーズ (169)) 、ベースボール・マガジン社、(2001年)143頁
  5. ^ ベースボールマガジン、2011年9月号 P87
  6. ^ Melissa Lockard (2017年12月5日). [http://oaklandclubhouse.com/changes-abound-oakland-athletics-2018-milb-coaching-staffs/ “ATHLETICS Changes abound for Oakland Athletics 2018 MiLB coaching staffs”] (英語). OaklandClubhouse.com. http://oaklandclubhouse.com/changes-abound-oakland-athletics-2018-milb-coaching-staffs/ 2018年1月17日閲覧。 

注釈[編集]

  1. ^ 但し、通算1安打で1本塁打という記録は竹村元雄広島)もしている〔竹村の場合は8試合11打数を記録している〕。

関連項目[編集]