ナワトル語

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ナワトル語
nāhuatl
話される国 メキシコメヒコ州プエブラ州ベラクルス州イダルゴ州ゲレーロ州モレロス州オアハカ州タバスコ州ミチョアカン州ドゥランゴ州ハリスコ州
地域 北アメリカ
話者数 150万人以上
言語系統
ユト・アステカ語族
公的地位
公用語 メキシコ(「言語の権利に関する法律」により)
統制機関 Secretaría de Educación Pública
言語コード
ISO 639-1 なし
ISO 639-2 nah
ISO 639-3 nci – Classical Nahuatl
Glottolog azte1234  Aztec[1]
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ナワトル語(ナワトルご、nāhuatl [ˈnaːwatɬ] ( 音声ファイル))は、ユト・アステカ語族ナワ語群に属する言語で、2015年現在、メキシコなどで推定170万人の話者を要する。2003年に施行された「先住諸民族の言語権に関する基本法」(Ley General de Derechos Lingüís­ticos de los Pueblos Indígenas) によって、スペイン語や他67の先住民語と同等に、名目上はメキシコの公用語とみなされている。

概要[編集]

ナワトル語は話者数でいえば北アメリカ大陸最大の先住民語である。INALIによると、2010年においてメキシコの5歳以上のナワトル語話者の数は1,544,968人とされる[2]

INALIの定義ではナワ語群のうちポチュテコ語(消滅)とエルサルバドルナワト語(ピピル語)を除いたものをナワトル語としている[3]。現代ナワトル語は多くの方言に分かれているが、分類については意見の一致を見ない[4]。この方言の中にはナワトル語話者同士でも意志の疎通が困難なものもある。すべてのナワトル語は程度の差こそあれ、様々な面でスペイン語の影響を強く受けている。

過去においてはメソアメリカの広い地域で共通語として使われていた。スペイン人による侵略がはじまった16世紀ごろのナワトル語を古典ナワトル語と称する[4]。古典ナワトル語はメキシコ盆地で話されていた方言で、名称に反して、比較的影響地域が狭く革新的な方言である。現代ナワトル語で古典ナワトル語のすべての特徴を受け継いでいる方言はないが、ミルパ・アルタ方言など、メキシコ盆地の現代ナワトル語は古典ナワトル語的な特徴をもっている。

アステカ人はナワトル語圏文化の影響を強く受けている。テパネカ族、アコルワ族、トラスカルテカ族、ソチミルカ(: Xochimilca)族もその例である。ナワトル語がテオティワカンで話されていた可能性はかなり高い。[要出典]これらの部族が優位に立つにつれ、特にアステカ帝国の権勢の後の古典ナワトル語は、メソアメリカの広い地域で共通語として使われるようになった。こうした状況は12世紀に始まり、スペインがメキシコに侵入する16世紀まで続いた。

音声と正書法[編集]

以下は古典ナワトル語の音声である。

ナワトル語の正書法は標準化されたことがなく、スペイン語にない母音の長短の区別やサルティージョsaltillo (linguistics)と呼ばれる音節末の声門破裂音は文献ではほとんど無視されているが、17世紀のイエズス会士の文法学者オラシオ・カロチHoracio Carochiなどの著書によってわずかに知ることができる[5]

子音[編集]

子音は以下のものがあった[4][6][注釈 1][注釈 2]

両唇音 歯茎音 後部歯茎音 軟口蓋音 唇音化軟口蓋音 声門音
破裂音 p t c, qu /k/ cu, uc /kʷ/ h /ʔ/
破擦音 tz /t͡s/ ch /t͡ʃ/
側面破擦音 tl /t͡ɬ/
摩擦音 z, c /s/ x /ʃ/
鼻音 m n
接近音 y /j/ hu, uh /w/
側面接近音 l

スペイン語の正書法に従い、cは e / i の前で/s/、それ以外で/k/と発音される。複数のつづり方がある子音については、以下のように書き分けられる。

  • /k/ は e / i の前で qu、それ以外で c と書かれる。
  • /s/ は e / i の前で c、それ以外で z と書かれる。
  • /kʷ/ は音節頭で cu、音節末で uc と書かれる[注釈 3]
  • /w/ は音節頭で hu、音節末で uh と書かれる。

ナワトル語で多用される特徴的な子音に無声歯茎側面破擦音 tl /t͡ɬ/ がある。これは英語の cattle などの最後の /tl/ と異なって単一の音素である[8]

声門破裂音 h /ʔ//h/ と発音されることも多い。現代のナワトル語方言ではスペイン語の j /x/ のように発音されることもある[9]

ナワトル語の破裂音・破擦音・摩擦音は無声音のみであるが、スペイン語からの借用語では有声音がそのまま出現するのが普通である[10]

母音[編集]

母音は a e i o の4種類があり、長短の区別があった。ナワトル語では o と u を音素として区別せず、歴史的なつづりが安定しないが、現代の正書法では o とつづられ、u という字は二重音字の一部(cu, uc, hu, uh, qu)としてのみ出現する[11]。長母音はマクロンを加えて ā ē ī ō のように表記される。

現代ナワトル語諸方言では母音の長短は失われており、文献でも記されることが少ないため、長短どちらであったかを定めることが難しい場合が存在する[4]

音節構造[編集]

ナワトル語の音節構造は単純で、V, VC, CV, CVC のいずれかである[4]。(C)V(C)と略すことができる[12]

音節末の位置ではいくつかの子音が弱化する[13]

  • 鼻音は日本語の「ん」のように調音位置のはっきりしない1種類のみになる。正書法上nと書かれる。
  • 接近音 l uh y /l w j/ は無声化する。とくに y は無声化した結果 x /ʃ/ と区別がなくなる。

子音結合[編集]

ナワトル語では1音節内に子音結合が出現することはない。接辞がついた結果子音が連続する場合には、間に母音(iであることが多い)が挿入される[14]

l で終わる音節に tl が後続する場合、tl は l に変化する[15]

強勢[編集]

強勢は原則として最後から2番目の音節に置かれる。例外として呼びかけの後置詞eがついた場合(呼格)は最後のeに強勢が置かれる[4][16]

文法[編集]

人称接辞[編集]

動詞にはその主語の人称を表す接頭辞が必ず加えられる[17]。複数の場合は動詞のうしろに複数接尾辞 -h も加えられる[18]。いくつかの動詞の複数形は不規則である[19]。動詞語幹が子音ではじまるときは、音節構造の制約によって接頭辞n-, t-のうしろに母音iが挿入される。また、二人称複数は子音が後続するときにmが後続子音に同化して同器官的な鼻音になる[20]。他動詞の場合には目的語接頭辞を主語接頭辞のうしろに加える必要がある[21]。ほかに不定の人を表す -tē-、不定の物を表す -tla- の2つの非人称目的語接頭辞がある[4][22]。また「自分自身」を表す再帰接頭辞(一人称単数 -no-、一人称複数 -to-、それ以外 -mo-)がある[23]。名詞については所有接頭辞が加えられる[24]

主語接頭辞 所有接頭辞 目的語接頭辞 独立代名詞
一人称単数 n(i)- no- -nēch- neh, nehhuātl
二人称単数 t(i)- mo- -mitz- teh, tehhuātl
三人称単数 ∅- ī- -c-/-qu(i)- yeh, yehhuātl
一人称複数 t(i)- to- -tēch- tehhuān, nehhuāntin
二人称複数 am- amo- -amēch- amehhuān, amehhuāntin
三人称複数 ∅- īm- -quim- yehhuān, yehhuāntin

名詞[編集]

名詞には所有接頭辞を加えた所有形と、そうでない絶対形の区別がある。また単数と複数の区別がある[4]。わずかな例外を別にして、有生性を持つ名詞のみが複数形を持つ[25]。たとえば「女」を意味する語幹 cihuā- は絶対形の接尾辞 -tl を加えて cihuātl になる[26]。所有形では所有接頭辞を加え、所有形の接尾辞 -uh を加える。たとえば「私の女(=妻)」はnocihuāuh になる[4][27]

絶対形の接尾辞は単数では通常 -tl(i) である。語幹が母音で終わる場合には -tl、子音なら -tli(lで終わる場合には-li)になる[28](例:ā-tl「水」、miquiz-tli「死」、cal-li「家」)。ただし一部の語は michin「魚」のように -in で終わる(主に動植物)。また chichi「犬」のように語尾がつかない語もある[29]。複数形の絶対形語尾は -h(母音の後)、-tin(子音の後)、-meh のいずれかになるが、どれが加えられるかは語ごとに覚える必要がある。また語尾が -meh 以外の場合には単数 teō-tl、複数teteo-h「神」のように複数で第1音節が反復される語もある[30]

所有形の接尾辞は単数で -uh(子音の後では脱落する)、複数では -huān である[4][31]。所有形では語幹末の短い母音a/iは原則として脱落し、-uhは加えられない(例:nacatl「肉」- nonac「私の肉」、māitl「手」- nomā「私の手」)[32]

名詞はそのまま述語になり、動詞と同じように主語の人称接頭辞が加えられる。たとえば otomitl「オトミ」に一人称単数主語のn-を加えたnotomitlは「私はオトミである」という意味になる[33]。三人称の接頭辞はゼロなので、cihuātlは「女」という名詞とも、「それは女である」という文とも解釈できる[4]。このためにナワトル語には単語という概念は不要と主張する学者もある[34]

ナワトル語には名詞と形容詞の区別が存在しない。意味上で名詞的なtlācatl「人」も形容詞的なcualli「良い」も、形態の上で区別がないだけでなく、統辞論上も主語・目的語・述語のいずれにもなれ、他の名詞を修飾することもできる[35]

限定詞inは、名詞の前に置かれて定冠詞のように働く。動詞の前に置かれると動詞を名詞化し、時を表す従属節[36]、間接話法[37]、関係節[38]のように使われる。

指示語には近称のīnと遠称のōnがあり、修飾する名詞や動詞に後置される。限定詞inを加えたinīn / inōn(複数形 inihque īn / inihque ōn)の形も使われる[4][39]

場所を表す語は通常の名詞と区別される。通常の名詞を場所に変えるには名詞に接尾辞-c(o)を加えるか、関係名詞と呼ばれる語を使用する。関係名詞には-pan(所、そば)、-cpac(上)、-tlan(下、横)などがあり、所有接頭辞を加えるか、または名詞に後続させる(間に-ti-がはさまるものもある)[40]。身体の一部を表す名詞から派生した関係名詞が多い。たとえば -ihtic(内側)は ihtitl(胃)に由来する[41]

数詞[編集]

数詞五進法二十進法の組み合わせによる[42][43]

1 6 chicuacē 11 mahtlāctli oncē 16 caxtōlli oncē
2 ōme 7 chicōme 12 mahtlāctli omōme 17 caxtōlli omōme
3 ēi 8 chicuēi 13 mahtlāctli omēi 18 caxtōlli omēi
4 nāhui 9 chiucnāhui 14 mahtlāctli onnāhui 19 caxtōlli onnāhui
5 mācuīlli 10 mahtlāctli 15 caxtōlli 20 cempōhualli

たとえばcaxtōlli oncē (16)はcaxtōlli「15」on-「と」cē「1」という意味である。

cempōhualliのcem-(cen-)は1を表す。40、60、80はそれぞれ2、3、4から最後の母音を除いたōm-(ōn-)、ē-、nāuh-をpōhualliの前に加える。通常の絶対形の語尾を持つ5、10、15は語尾を除いた形をpōhualliに加えてmācuīlpōhualli (100)、mahtlācpōhualli (200) のようにする。400はcentzontli、8000はcenxiquipilliと呼ぶ[44][45]。たとえば12,345はcenxiquipilli īpan mahtlāctzontli īpan caxtōlli omōmpōhualli īpan mācuīlli、すなわち「1×8,000 + 10×400 + 17×20 + 5」になる。

動詞[編集]

ナワトル語の動詞には自動詞他動詞、二重目的語を取る動詞などの区別があり、その種類によって人称接頭辞を加える必要がある。受動態使役態適用態などのによって結合価を変えることができる[46]

動詞の時制は複雑であり、9つの時制または(現在、過去(または完了)、未完了過去、命令・願望、未来、習慣、大過去(過去完了)、反現実(条件法)、否定願望)と2つの方向によって変化する[47]

過去形に接尾辞-quiを加えた形、および習慣形[注釈 4]は、行為者名詞または形容詞として働く。過去形の例:miqui「死ぬ」- micqui「死んだ」、ichtequi「盗む」- ichtecqui「盗人」。習慣形の例:miqui「死ぬ」- miquini「死ぬ運命にある」、cuīca「歌う」- cuīcani「歌手」、tlahtoa「話す」- tlahtoāni「トラトアニ[48]

ナワトル語には待遇表現が発達しており、名詞には尊敬・軽蔑・縮小・増大の接尾辞がある[4][49]。動詞には尊敬・軽蔑を表す特別の形がある[50]

造語法と抱合[編集]

複合語は、第1の要素を語幹のみにして第2の要素の前に置く。たとえばteōcalli「神殿」は、teō-tl「神」とcalli「家」の複合語である。第1の要素が名詞語幹、第2の要素が動詞の場合を名詞の抱合と呼ぶ。たとえばnicacchīhua「私は靴を作る」は、ni-(一人称単数の人称接頭辞)、cac-tli「靴」、chīhua「作る」から構成される[51]

語順[編集]

基本的な語順はVSO型であるが、主題化焦点化によって主語、目的語、その両方が前に置かれ、SVO、OVS、SOVになる場合もある。不定の目的語が動詞の直後に置かれてVOSになる場合もある[52]

ナワトル語源の語の例[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 音声記号 /t͡s t͡ʃ t͡ɬ ʃ j/ をそれぞれ ¢ č λ š y のように書いている文献が多い。これは国際音声記号ではなくアメリカの音声記号である。
  2. ^ Launey では声門破裂音をhでなくアクセント記号で表記する。たとえば「風」を意味するehecatlはèecatl、「彼らはねむる」を意味するcochihはcochîと綴られる。
  3. ^ 音節末の/kʷ/のつづりは歴史的に一定せず、ucのほかにcu, cuh, uhcなどと書かれることがあった。たとえば tēuctli /teːkʷ.t͡ɬi/「主」は tecuhtli のようにつづられる[7]
  4. ^ Andrews (2003) では「習慣的現在」(customary-present)、Launey (2011) では「ni形」(-ni Form)と呼ぶ

出典[編集]

  1. ^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Aztec”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History. http://glottolog.org/resource/languoid/id/azte1234 
  2. ^ México. Lenguas indígenas nacionales en riesgo de desparación, INALI, (2012), p. 23, ISBN 9786077538578, https://site.inali.gob.mx/pdf/libro_lenguas_indigenas_nacionales_en_riesgo_de_desaparicion.pdf 
  3. ^ Catalogo de las Lenguas Indígenas Nacionales: Variantes Lingüísticas de México con sus autodenominaciones y referencias geoestadísticas, INALI, (2008), p. 63, http://www.inali.gob.mx/pdf/CLIN_completo.pdf 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 小池佑二「ナワトル語」『言語学大辞典』2、三省堂、1989年、1479-1485頁。ISBN 4385152160。
  5. ^ Launey (2011) p.3, 6
  6. ^ Launey (2011) p.4
  7. ^ Andrews (2003) p.656
  8. ^ Launey (2011) p.7
  9. ^ Launey (2011) p.7
  10. ^ Launey (2011) p.8
  11. ^ Launey (2011) p.5
  12. ^ Launey (2011) p.13
  13. ^ Launey (2011) p.8
  14. ^ Launey (2011) pp.13-14
  15. ^ Launey (2011) p.19
  16. ^ Launey (2011) p.6
  17. ^ Launey (2011) p.12
  18. ^ Launey (2011) p.13
  19. ^ Launey (2011) pp.43-44
  20. ^ Launey (2011) pp.13-15
  21. ^ Launey (2011) p.26
  22. ^ Launey (2011) pp.28-29
  23. ^ Launey (2011) pp.54-57
  24. ^ Launey (2011) pp.87-94
  25. ^ Launey (2011) p.21
  26. ^ Launey (2011) pp.15-16
  27. ^ Launey (2011) pp.87-88
  28. ^ Launey (2011) p.11
  29. ^ Launey (2011) pp.232-235
  30. ^ Launey (2011) p.20
  31. ^ Launey (2011) pp.87-89
  32. ^ Launey (2011) pp.91-93
  33. ^ Launey (2011) p.18
  34. ^ Andrews (2003) pp.5-6,45
  35. ^ Launey (2011) p.109
  36. ^ Launey (2011) p.134
  37. ^ Launey (2011) p.318
  38. ^ Launey (2011) p.330
  39. ^ Launey (2011) pp.38-39
  40. ^ Launey (2011) pp.116-124
  41. ^ Launey (2011) pp.244-245
  42. ^ Launey (2011) p.59
  43. ^ Andrews (2003) p.644
  44. ^ Launey (2011) pp.256-258
  45. ^ Andrews (2003) p.645
  46. ^ Launey (2011) pp.141-146,189-199,202-210
  47. ^ Launey (2011) pp.69-84,222-230
  48. ^ Launey (2011) pp.159-164
  49. ^ Launey (2011) pp.106-108
  50. ^ Launey (2011) pp.213-220
  51. ^ Launey (2011) p.168
  52. ^ Lawney (2011) pp.15, 29-32
  53. ^ a b ソフィー・D・コウマイケル・D・コウ『チョコレートの歴史』樋口幸子訳、河出書房新社、1999年、162-166頁。ISBN 4309223451。

参考文献[編集]

  • Launey, Michel (2011). An Introduction to Classical Nahuatl. translated and adapted by Christopher Mackay. Cambridge University Press. ISBN 9780521732291 (原書はフランス語、1979年)
  • Andrews, J. Richard (2003) [1975]. Introduction to Classical Nahuatl (Revised ed.). University of Oklahoma Press. ISBN 0806134526 

関連項目[編集]