ニコライ・シチョーロコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニコライ・アニシモヴィッチ・シチョーロコフ
Николай Анисимович Щелоков
Николай Щёлоков, 1938-1939.jpg
ドニエプロペトロフスク市執行委員会議長時代のシチョーロコフ
生年月日 (1910-11-26) 1910年11月26日
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国、アルマズナヤ村
没年月日 (1984-12-13) 1984年12月13日(74歳没)
死没地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦モスクワ
出身校 ドニエプロペトロフスク冶金大学
前職 ソ連内務大臣
ソ連共産党中央委員
ソ連最高会議代議員
所属政党 ソビエト連邦共産党
(1931年~1984年)
称号 社会主義労働英雄
レーニン勲章(3個)
赤旗勲章(2個)
二等ボグダン・フメリニツキー勲章
一等祖国戦争勲章
労働赤旗勲章
赤星勲章
経済科学博士
配偶者 スヴェトラーナ・シチョーロコヴァ
サイン Nikolai Shchelokov signature.jpg

内閣 アレクセイ・コスイギン内閣
ニコライ・チーホノフ内閣
在任期間 1966年9月17日 - 1982年12月17日
最高会議幹部会議長 ニコライ・ポドゴルヌイ
レオニード・ブレジネフ
ヴァシリー・クズネツォフ(代行)
テンプレートを表示

ニコライ・アニシモヴィッチ・シチョーロコフロシア語: Николай Анисимович Щелоков1910年11月26日 - 1984年12月13日)は、ソビエト連邦政治家。上級大将(剥奪)。16年間(1966年~1982年)に渡って、ソ連公共秩序警備相(内務相)を務めたが、汚職により失脚した。

経歴[編集]

アルマズナヤ村の冶金工の家庭に生まれる。1931年からソ連共産党員。1933年、ドニエプロペトロフスク冶金大学を卒業し、ウクライナの冶金工場で技師、職長として働く。

  • 1938年 - ウクライナ共産党(ボリシェヴィキ)クラスノグヴァルジェイスキー地区委員会第一書記
  • 1939年 - ドニエプロペトロフスク市執行委員会議長
  • 1941年 - 赤軍に入隊し、第二次世界大戦に従軍
  • 1946年 - ウクライナ・ソビエト社会主義共和国地方産業次官
  • 1947年 - ウクライナ共産党中央委員会事務局で働く。
  • 1951年 - モルドバ・ソビエト社会主義共和国閣僚会議第一副議長(第一副首相)
  • 1957年~1958年及び1962年~1965年 - モルドバ人民経済会議議長
  • 1965年 - モルドバ閣僚会議第一副議長(第一副首相)
  • 1965年 - モルドバ共産党中央委員会第二書記

1966年からソ連公共秩序警備相(内務相)。1966年からソ連共産党中央委員会委員候補、1968年4月から中央委員。第4期~第9期ソ連最高会議代議員。

レオニード・ブレジネフ書記長の死後、シチョーロコフは汚職事件の捜査と関連して1982年12月に内務相を罷免された。新たに内務相となったヴィタリー・フェドルチュクは、シチョーロコフ時代の内務省の活動を点検し、多数の職権濫用の事例を発見した。1984年2月19日、シチョーロコフの妻、スヴェトラーナが自殺した。6月、シチョーロコフは党中央委員会から外され、11月、上級大将の階級を剥奪された。12月7日、党から除籍され、戦闘関連の勲章と社会主義労働英雄の称号を除く全ての勲章が剥奪された。6日後、シチョーロコフは自殺した。

叙勲など[編集]

社会主義労働英雄レーニン勲章3個、赤旗勲章2個、二等ボグダン・フメリニツキー勲章、一等祖国戦争勲章労働赤旗勲章赤星勲章を受章。経済科学博士。

脚注[編集]

公職
先代:
ニコライ・ドゥドロフ
1960年~1966年廃止
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦内務相
第5代:1966 - 1982
次代:
ヴィタリー・フェドルチュク