ニシヤマ・ソウキチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニシヤマ・ソウキチ(ヴィクトル・サブロビッチ、NISHIYAMA Sokichi, Нисияма Сокити, Victor Saburovich, Виктор Сабурович, 1945年1月21日 - 2005年5月6日)は、ロシア実業家政治家日系人

来歴[編集]

1945年、当時日本施政下であった樺太本斗郡好仁村南名好(現ロシア連邦サハリン州ネベリスク地区シェブニノ村)で7人兄弟の末子として出生。

南樺太には同年8月にソ連軍が侵攻、以来当地はソビエト連邦実効支配下に置かれ、翌1946年以降、米ソ協定締結に伴い日本人の引揚事業が開始されたが、ニシヤマ一家はサハリンに残留、トマリ市(旧泊居郡泊居町)に移住する。

トマリ市で学校を卒業後、に入隊。スペツナズにおいて無線兵として勤務。除隊後、朝鮮人女性と結婚、2人の娘をもうけるが、長女は成人後ガンで死亡。次女は健在で、孫娘にも恵まれた。1976年ユジノサハリンスク国立教育大学(現サハリン国立総合大学)で地理学の教員免許を取得後、トマリ市にて地理学と生物学などの教師をしていた。ペレストロイカソ連崩壊を経て、個人事業主として家族と共にさまざまなビジネスに乗り出し、製菓学校の設立経営などを行った。

2004年10月10日に行われたトマリ地区(トマリ市・クラスノゴルスク村・イリインスキー村を管轄)の地区長選挙に立候補、45%以上の得票を得て当選(投票率は60%超)したが、2005年5月、脳出血によりユジノサハリンスク市内のサハリン州立病院にて60歳で死去。

ロシアが南樺太を実効支配して以来、日系人がロシアや樺太の地方で行政府の首長になることは、異例中の異例であった。

エピソード[編集]

  • 両親は1936年恵須取郡恵須取町 (現ウグレゴルスク市)に炭鉱労働者として渡樺、ついで樺太南端にある南名好に入植、農業を営んでいた。
  • 幼少期からロシア名は「ヴィクトル」。トマリ市民からはヴィクトル・ソボルビッチあるいはサブロビッチ(父親の名前「サブロー」に由来)などの愛称で親しまれていた。
  • ジリノフスキー率いる極右民族主義政党ロシア自由民主党党員で、同党トマリ地区組織代表であった。北方領土問題については返還反対論者であった一方、日本との経済交流には前向きであった。
  • 日本語については「もう忘れた」との報道。
  • トマリ地区長当選以降、同じく日系人でペルー元大統領のアルベルト・フジモリにちなみ「サハリンのフジモリ」というニックネームが付けられていた。

関連項目[編集]