ニチドウタロー

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ニチドウタロー
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1976年3月20日
死没 1999年12月
エルセンタウロ
ラピューラ
母の父 ネヴァーベンド
生国 日本の旗 日本北海道白老町
生産 社台ファーム白老
馬主 山田敏夫
調教師 坂田正行(栗東
競走成績
生涯成績 11戦5勝
獲得賞金 9152万8400円
 
勝ち鞍
八大競走 天皇賞(春) 1980年
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ニチドウタロー日本競走馬種牡馬第81回天皇賞優勝馬である。なお、同期にはカツラノハイセイコ日本ダービー・天皇賞〈春〉)・ビンゴガルー朝日杯3歳ステークス皐月賞)・カツアール宝塚記念)らがいる。ちなみに、天皇賞制覇時には村本善之が騎乗していたが、天皇賞を含むラスト3戦以外は兄弟子の清水英次が騎乗していた。

略歴[編集]

競走馬時代[編集]

1978年10月8日にデビュー、初戦こそ2着に敗れたが次走を勝利した。その後は、特別戦と中京3歳ステークスを制し3連勝、クラシックに向かうこととなった。

ところが、神戸新聞杯5着、京都新聞杯8着、菊花賞6着と結果を出すことはできなかった。

古馬となった1980年シーズンは、サンケイ大阪杯で落馬し競走中止となった。ところが、次走のオープン戦をレコードタイムで勝利、8馬身差の2着が天皇賞馬のテンメイであり、陣営は天皇賞挑戦を選択した。

4月29日に開催された天皇賞は、通常開催先の京都競馬場が改装工事中の為、直線の短い阪神競馬場で行われる事となった。3番人気での出走となったニチドウタローは、ハイペースの流れに乗ってメジロトランザムに1馬身半差で優勝、3分18秒7のレコード決着であった[1]

その後、次走の宝塚記念10着を最後に引退した。

引退後[編集]

引退後は種牡馬入りしたが、ニチドウサンダー以外には結果を出せずに終わった。母の父としてはゴーゴーゼットを送り出している。

エピソード[編集]

同期のニチドウアラシは、ニチドウタローと誕生日・馬主・厩舎が同じであった。両馬の名前も『競馬界を荒らしたろう』と言う想いを込め、ニチドウアラシ・ニチドウタローとなった。因みに、両馬の直接対決は1980年のサンケイ大阪杯だけで、この時は上記の理由からニチドウアラシ(3着)の勝利となる等、全般的にニチドウアラシの方がニチドウタローより好成績(優勝回数・獲得賞金額等)を挙げており、ニチドウタローが勝っているのは八大競走勝ち(天皇賞(春))という実績となっている。もっとも、ニチドウアラシはマイルから中距離が得意なタイプである為、八大競走[2]に適距離のレースはなく、長距離競走についてはニチドウタローのほうが成績を残している。

血統表[編集]

ニチドウタロー血統(フェアウェイ系 / Sickle 5x5=6.25%、 FairwayPharos 5x5=6.25%) (血統表の出典)

*El Centauro
エルセンタウロ
1959 鹿毛 アルゼンチン
父の父
Sideral
1948 鹿毛 アルゼンチン
Seductor Full Sail
Suma
Starling Noble Star
Feola
父の母
Planetaria
1953 鹿毛 アルゼンチン
Penny Post Embrujo
Encomienda
Crescent Rustom Pasha
Sickle Moon

*La Boula
ラビューラ
1966 鹿毛 アメリカ
Never Bend
1960 鹿毛 アメリカ
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
母の母
Bouillabaisse
1956 栗毛 アメリカ
Counterpoint Count Fleet
Jabot
Boola Boojum
Assignation F-No.2-s


脚注[編集]

  1. ^ 重賞未勝利で天皇賞(春)を制覇したのは2009年マイネルキッツまで現れなかった。翌2010年ジャガーメイルが重賞未勝利で天皇賞(春)を制覇している。
  2. ^ この中の一つである天皇賞(秋)が2000メートルに距離短縮となるのは、ミスターシービーが優勝した1984年になってからである。