だいやもんど おきなわ

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だいやもんど おきなわ
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 琉球海運(1975-1982)
西日本汽船(1982-1990)
日本クルーズ客船(1990-)
運用者 琉球海運(1975-1982)
新日本海フェリー(1982-)
建造所 尾道造船
建造費 42億円[1]
IMO番号 7394802
改名 だいやもんど おきなわ(1975-1982)
ニューゆうとぴあ(1982-)
経歴
起工 1974年
進水 1974年
竣工 1975年3月29日[1]
就航 1975年
要目
トン数 4,227.9 トン[1]
総トン数 8,609.6 トン[1]
載貨重量 2,891.2 重量トン[1]
全長 163.0 m[1]
垂線間長 150.0 m[1]
21.0 m[1]
深さ 13.8 m[1]
満載喫水 6.2 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 三菱MAN 2基[1]
推進器 2軸[1]
バウスラスタ 1基
スタンスラスタ 1基
最大出力 36,000馬力[1]
最大速力 27.3ノット[1]
航海速力 25.3ノット[1]
旅客定員 1,033名[1]
乗組員 53名[2]
積載能力 国鉄コンテナ12個、一般コンテナ140個[1]
車両搭載数 8トントラック10台、乗用車15台[1]
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だいやもんど おきなわは、琉球海運が運航していたRORO貨客船。後にクルーズ客船に改装され、ニューゆうとぴあとして就航した。

概要[編集]

琉球海運3隻目のRORO貨客船として尾道造船で建造され、1975年に東京 - 那覇航路に就航した。

沖縄海洋博覧会の来場者輸送のため、1975年7月20日からは那覇 - 海洋博会場間を1日6往復するシャトル便で特別運航された。

1982年、西日本汽船に売却され、ニューゆうとぴあとなり、チャーター客船に改装された。 1990年日本クルーズ客船の所有となった。

1997年にIHI相生工場で係船された後、2002年5月、済州島でホテルシップとして使用するため、韓国へ売却された。

設計[編集]

右舷船首および船尾の2箇所にランプウェイを装備していた。船首右舷のランプは、1985年の改装の際に撤去された。

船内[編集]

船室[編集]

  • 特一等室(8名)
  • 一等室(104名)
  • 特二等室(228名)
  • 二等室(693名)

事故・インシデント[編集]

関門海峡での衝突[編集]

1988年9月27日、22時31分ごろ、韓国仁川港から神戸港に向かっていた本船は、関門海峡を通航する際、先航船を追い越そうとしていたが、複数の反航船が接近したためこれを断念、左舵一杯をとり全速力後進をかけて、接近していた最後尾の反航船をかわしたが、彦島に向首して進行したため、約8ノットで山底ノ鼻灯台の北方約980メートルの地点の油槽所岸壁へ衝突、船首部を乗り揚げた。船首右舷が前方から約70度の角度で衝突、本船は船首部外板に軽微な凹傷を生じ、岸壁は、約9メートルにわたってくさび状に抉られ、周囲が幅約17メートル×奥行約15メートルの範囲で損壊した。事故発生当時、天候は晴で、風力2の北東の風が吹き、潮侯はほぼ高潮時で付近には約4ノットの西流があった。事故原因は、複雑な潮流があり可航幅の狭い関門航路を東航中、船舶が輻輳する状況で、先航船の追い越しを試みたため、他の通航船と安全に替わり行く余地を失い、岸壁に向首進行したため、とされた[3]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 世界の艦船(1975年6月号,p28)
  2. ^ 世界の艦船(1975年6月号,p15)
  3. ^ 横浜地方海難審判庁 (1990-02-09) (PDF). 平成元年横審第30号 旅客船ニューゆうとぴあ岸壁衝突事件 (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. http://www.maia.or.jp/pdf/01yh030.pdf 2016年7月9日閲覧。.