ノースカロライナ (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
ノースカロライナ
USS North Carolina (BB-55) underway in the Gilbert islands, November 1943.jpg
基本情報
建造所 ブルックリン海軍工廠
運用者 Seal of the United States Department of the Navy.svgアメリカ海軍
愛称 ショウボート (Showboat);
USO ノースカロライナ
艦歴
発注 1937年8月1日
起工 1937年10月27日
進水 1940年6月13日
就役 1941年4月9日
退役 1947年6月27日
除籍 1960年6月1日
除籍後 1962年4月29日よりノースカロライナ州ウィルミントンで博物館船として公開
要目
基準排水量 36,600 トン
満載排水量 44,800 トン
全長 222.11 m
最大幅 33.03 m
吃水 9.64 m
主缶 バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専焼水管缶×8基
主機 GEギアード・タービン×4基
出力 121,000 hp (90,000 KW)
推進器 スクリュープロペラ4軸
最大速力 28ノット (52 km/h)
航続距離 17,400 海里 (32,320 km) /15ノット
乗員 士官・兵員:1,880名
兵装
装甲
  • 水線装甲帯:12 in (305 mm)
  • 砲塔部:16 in (406 mm)
  • 甲板部:5.5 in(140mm)
  • 司令塔:14.7 in (373mm)
搭載機 OS2U キングフィッシャー観測機×3機
その他 船尾楼甲板部に航空機用カタパルト×2基
テンプレートを表示

ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-55) は[1]アメリカ海軍戦艦[2]ノースカロライナ級戦艦ネームシップ[注釈 1]。 艦名はノースカロライナ州に因む。その名を持つ艦としては3隻目にあたる[注釈 2][注釈 3]

概要[編集]

ノースカロライナ級戦艦は、大和型戦艦と同世代艦である[5]第二次世界大戦開戦前、ロンドン海軍軍縮条約が解かれることに伴い、アメリカ海軍は新世代戦艦の建造を決定した[6][7]。ドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦を皮切りにヨーロッパでは建艦競争が再燃し[8]、アメリカも対応に迫られていたのである[3][9]

当初アメリカ海軍は、口径16インチ(40.6cm)以上の砲を搭載禁止とする第二次ロンドン条約の締結を見越して14インチ(35.6cm)砲を本級に搭載する予定だった[10]。 だが日本が締結を拒否し、軍縮条約から脱退してしまう[11]。 列強各国は日本海軍の新型戦艦(大和型戦艦)について、16インチ砲8門から9門搭載、基準排水量45,000トンの高速戦艦と推測した[12][注釈 4]。 大和型戦艦に対抗するため、本級も主砲を急遽16インチ砲に変更した[13]。しかし元来14インチ砲搭載艦として設計されたため、防御も基本的に14インチ砲に対抗できるものに留まった[14][注釈 5]。 また本級は従来のアメリカ戦艦と比較して速力にも重点を置いており[18]、27ノット以上を発揮する高速戦艦であった[注釈 6][注釈 7]

1941年(昭和16年)4月に就役当初のノースカロライナは[18]、いくつかの不具合に悩まされたものの、1942年(昭和17年)8月よりフレッチャー提督の機動部隊に所属して[21]ウォッチタワー作戦にともなう輸送部隊の護衛、航空母艦の直衛といった任務に就いた[22]第二次ソロモン海戦では空母エンタープライズの直衛艦として活躍した[23]。 同年9月15日[24]伊号第十九潜水艦[25](潜水艦長木梨鷹一少佐)[26]の魚雷攻撃により空母ワスプが沈没し[27]、外れた魚雷がノースカロライナと駆逐艦オブライエンに命中した[28]。オブライエンは避退中に沈没、ノースカロライナは中破した[22][注釈 8]。修理後、機動部隊の護衛や、上陸作戦における支援砲撃任務に従事した[32]。戦争末期には日本本土に対する艦砲射撃も行った[33]

第2次世界大戦後は練習艦として用いられ、その後予備艦艇として保管されたのち退役し、現在も記念艦として現存している[33]

艦歴[編集]

建造から太平洋戦争前半まで[編集]

1941年4月17日、就役間もないノースカロライナ、艤装工事が続けられている

ノースカロライナは1937年(昭和12年)10月27日ニューヨーク海軍工廠で起工した[34]。同世代の戦艦大和[5]より僅かに早い起工であった[17]。1940年(昭和15年)6月13日[2]、大和より約2か月はやく[17]、イザベル・ホーイ(ノースカロライナ州知事の娘)の手によって進水した[注釈 9]。 1941年(昭和16年)4月9日、ノースカロライナは初代艦長オーラフ・M・ハストベット大佐の指揮下就役した。 しかし、艤装工事と試運転の際にいくつかの不具合が発覚し、特に機関の推進器の振動による問題は後部デッキの居住性を著しく損うものであった。これらの点を改修するためにシャフトとプロペラの修理が幾度となく行われ、最終的には振動を危険水準以下に抑えることに成功したが、実戦投入可能な状態になるまでには就役後数年を要し、そのため、「ショウボート[22]Showboat:「見せかけだけの(使えない)軍艦」という意味)、「USO ノースカロライナ」(USO North Carolina:修理で本土にいる期間が長いため、他の艦艇よりも多くメディアの目に触れることを揶揄して艦船接頭辞(USS)と米国慰問協会(USO)を掛けたもの)と呼ばれた[36]

ノースカロライナは太平洋戦争が始まる前にカリブ海で整備を完了させ、集中的に訓練を実施した[注釈 10]。1942年(昭和17年)6月10日、ノースカロライナはパナマ運河を渡って太平洋に出航した。空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) がミッドウェー海戦で沈没したので、太平洋戦線4隻目の主力空母としてワスプ (USS Wasp, CV-7) も大西洋から太平洋に転戦した[注釈 11]

ガダルカナル島の戦い[編集]

1942年(昭和17年)8月7日[38]、アメリカ海軍はウォッチタワー作戦により[39]ガダルカナル島フロリダ諸島ツラギ島)にアメリカ海兵隊を上陸させた[40]ガダルカナル島の戦いフロリダ諸島の戦い[41]。アメリカ軍は日本軍に勝利するために飛び石作戦アイランドホッピング)を開始した。上陸作戦を[42]フレッチャー中将が指揮する第61任務部隊の空母3隻[43]サラトガエンタープライズ、ワスプ)が支援する[44][45]。第61任務部隊の護衛艦艇は、戦艦1隻(ノースカロライナ)と重巡洋艦5隻(ニューオーリンズミネアポリスポートランドサンフランシスコソルトレイクシティ)、軽巡洋艦アトランタ (UUS Atlanta, CL-51) と駆逐艦16隻で構成されていた[46]。ノースカロライナは航空支援部隊の空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) を護衛した[47][48]

アメリカ海兵隊のガ島とツラギ島上陸と共に、ニューブリテン島ラバウル第十一航空艦隊は全力で反撃する[49]。第二十五航空戦隊司令官山田定義少将は一式陸上攻撃機零式艦上戦闘機九九式艦上爆撃機をガ島に送り込んだ[50][51]ラバウル航空隊の戦果は乏しかったが、フレッチャー提督は「わが方の戦闘機損耗は大である」「これ以上、貴重な空母を危険に晒せない」と判断し、指揮下のアメリカ軍機動部隊を退避させる[52][53]。上空支援がなくなったアメリカ軍輸送船団も、物資揚陸を半分ほどすませた段階で撤退したので[54]、ガ島の海兵隊は孤立してしまった[55]第一次ソロモン海戦[56]。海兵隊は第61任務部隊の行為に幻滅を感じ、ガ島の環境の悪条件もあって、士気を喪失しかけていた[57]。彼等は食糧不足に悩まされながらヘンダーソン飛行場の整備を急いだ[58][59]

8月下旬[60]、日本軍はガ島に一木支隊第二梯団海軍陸戦隊を上陸させるため[61]第二水雷戦隊司令官田中頼三少将が護衛する輸送船3隻を南下させていた[62]。 一木支隊第二梯団を支援する第二艦隊[63](司令長官近藤信竹中将、旗艦「愛宕」)と[64]第三艦隊(司令長官南雲忠一中将、参謀長草鹿龍之介少将[65]、旗艦「翔鶴」)も[66]、ガ島に接近していた[67][68]。 連合艦隊旗艦「大和」(司令長官山本五十六大将)も、作戦支援のためソロモン諸島北東海面に進出していた[注釈 12]

ミッドウェー作戦の時と違って、連合軍は日本海軍の新しい暗号を完全に解読していなかった[74]。無線交信や各種の兆候から、上級部隊は「敵空母部隊はトラック島北方にいる」[75]、「敵空母部隊は最速で8月25日頃に攻撃をしかけてくる」と判断した[76]。 フレッチャー提督は燃料補給のためワスプを含む第18任務部隊を南下退避させており[77]、結局、ワスプは機動部隊同士の決戦に間に合わなかった[78]。 提督は手持ちの空母2隻(サラトガ、エンタープライズ)と、一木清直陸軍大佐の一木支隊先遣隊の攻撃[79]をはねのけたヘンダーソン飛行場の基地航空隊を投入して、連合艦隊を迎え撃った[80]

8月24日第二次ソロモン海戦[81](米呼称:東ソロモン海戦[82]、東部ソロモン海戦[83]など)において、第11任務部隊(空母サラトガ、重巡ミネアポリス、重巡ニューオーリンズ、駆逐艦5隻)と第16任務部隊(空母エンタープライズ、戦艦ノースカロライナ、重巡ポートランド、軽巡アトランタ、駆逐艦5隻)は[84]第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴)の攻撃に晒された[85][86]。 12時55分、翔鶴飛行長関衛少佐が指揮する一航戦第一次攻撃隊が発進した[87][注釈 13] 筑摩水上機と比叡水上機の情報や誘導により、一航戦第一次攻撃隊は日本時間14時20分にアメリカ軍機動部隊を発見した[89]。 エンタープライズと護衛艦艇(ノースカロライナ、ポートランド、アトランタほか)には[23]、翔鶴隊の艦爆18機が空襲をおこなった[90][91]。 サラトガ隊には瑞鶴隊の艦爆9機が攻撃をおこなったとされる[92]。 米側はF4F戦闘機 53機とSBD数機を直掩として空母上空に配置したが[93]、母艦へ帰投中の索敵機や攻撃隊と混同し、日本側の攻撃を空中で阻止できなかった[94][注釈 14]

ノースカロライナは7発の至近弾を受けたものの船体にダメージはなく、日本軍機 7機以上撃墜を記録した。 ノースカロライナが護衛していたエンタープライズには、翔鶴隊が投下した爆弾3発が命中した[93]。エンタープライズは炎上し、舵故障となって危機に陥った[96]。だが火災は間もなく鎮火し、舵の応急修理にも成功[97]、致命傷を避けることが出来た[98][注釈 15][注釈 16]。 第61任務部隊は南方へ避退した[104]

この日の戦闘で、アメリカ側は戦闘機20(資料によっては25機)を喪失した[105]。 一航戦第二次攻撃隊は米軍機動部隊を発見できず[91]、翔鶴と瑞鶴へ帰投した[106]。南雲機動部隊はノースカロライナをカルフォルニア型戦艦[90][107]もしくはペンシルベニア級戦艦と判断し[91]、エンタープライズをエセックス級航空母艦と推定している[108][109]

日本側はサラトガ隊の攻撃により[110]、分離行動中の軽空母龍驤を失った[111]。 エンタープライズから発進した索敵のSBD 2機[112]に奇襲された翔鶴では[90]、急転舵の際に零戦1機と整備兵6名が海中に落下した[113][114]。 米機動部隊第二次攻撃隊(SBD 13、TBF 12)の攻撃で[112]、水上機母艦千歳が中破[115][116]、トラック泊地に撤退した[90]

8月25日朝、伊15はノースカロライナ型戦艦1隻、エンタープライズ型空母1隻、巡洋艦2隻と駆逐艦多数のアメリカ艦隊を発見、通報した[117]。 連合艦隊旗艦「大和」と護衛部隊(春日丸、潮、漣、曙)は、ノースカロライナを含むアメリカ軍機動部隊を追撃するため南下を開始、北上退避する南雲機動部隊とすれ違った[118]。 一方、連合軍はガ島ヘンダーソン飛行場とエスピリトゥサント島の航空機で日本軍輸送船団を攻撃した[119]

日本軍は輸送船団によるガ島揚陸作戦を諦め、駆逐艦による鼠輸送(通称東京急行)を開始した[120][121]。連合軍はエンタープライズの航空隊の一部をヘンダーソン基地に配備し[118][122]、母艦をニューカレドニアヌメアに後退させる[123][注釈 17]。 サラトガとワスプおよびノースカロライナを含む機動部隊は引き続きガ島南方海域に留まり[124]、ガ島にむかう輸送船団の支援をおこなった[125][126]

連合軍の商船乗りは、日本軍潜水艦が遊弋するガダルカナル島南東海域を「魚雷トピード交差点ジャンクション」と呼んでいた[127]。 8月26日、伊19は空母と戦艦を含む米機動部隊を発見したが[128]、魚雷発射の機会を得られなかった[129]。 8月31日、ノースカロライナが護衛する空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) を[130]日本海軍伊号第二十六潜水艦[131](潜水艦長横田稔少佐)が襲撃する[132]。 伊26は南緯10度25分 東経164度15分 / 南緯10.417度 東経164.250度 / -10.417; 164.250地点で魚雷6本を発射した[133]。魚雷1本が命中してサラトガは損傷し、戦線を離脱する[134][注釈 18]

サラトガが離脱して空母2隻(ホーネット、ワスプ)になったアメリカ海軍機動部隊は、引き続きソロモン諸島周辺を行動した[135]9月6日には伊号第十一潜水艦にホーネットが狙われた[137]。 伊11の魚雷は、もう少しでホーネットとノースカロライナに命中するところだった[138][注釈 19]。このような状況下、ヘンダーソン基地に対する川口清健陸軍少将指揮下の川口支隊総攻撃(Battle of Edson's Ridge)の顛末を見届けた[140][141]。 日本側の前進部隊(第二艦隊、近藤中将)[142]と機動部隊(第三艦隊、南雲中将)も[143]、9月9日から10日にかけてトラック泊地を出撃し[144][145]、ガ島北方海域でアメリカ軍機動部隊を警戒していた[146]。この戦いに大和は出撃せず、その後もトラック泊地に停泊しつづけて「大和ホテル」と呼ばれた[147][148]

伊号第十九潜水艦の攻撃[編集]

1942年(昭和17年)9月13日午前11時45分、アメリカ軍機動部隊発見の報告により連合艦隊はソロモン方面で行動中の潜水艦を攻撃に向かわせた[149][150]伊9伊31伊24伊21伊26伊19、伊15、伊17伊33の順番で散開線を形成することになった[151]。ところが伊19は命じられた散開線への移動前に旧配備地点においてワスプを発見しており、命令通りに散開線へ移動していたならば、ワスプ撃沈の戦果は得られなかった可能性が高い[152]9月14日、アメリカ海兵隊をのせた輸送船6隻は、ガ島にむけてエスピリサント島を出撃した[153]。アメリカ軍機動部隊は、この輸送船団の支援を任じられていた[31][138]。B-17は前進部隊を爆撃して重巡妙高に軽微な被害を与えたが[154]、米機動部隊の索敵機は日本軍機動部隊を発見できなかった[155]

9月15日、伊19[156](潜水艦長木梨鷹一少佐)が[27]南緯12度25分 東経164度25分 / 南緯12.417度 東経164.417度 / -12.417; 164.417地点で空母ワスプ(艦長フォレスト・シャーマン大佐)を攻撃した[157]。 伊19は日本時間午前9時50分に音源を探知、10時50分距離1万5000mに「空母1、大型巡洋艦1、駆逐艦数隻」を発見、11時45分に魚雷6本を発射する[25]。ワスプに魚雷3本が命中[158](伊19は4本命中と聴音)[注釈 20]、同艦は炎上して漂流したあと、雷撃処分された[160][注釈 21][注釈 22][注釈 23]

ホーネットを護衛していたノースカロライナは[166]、ワスプ被雷地点から北北東5浬付近にいた[29]。ワスプに命中しなかった酸素魚雷がホーネット隊の方にむかっているとの通信があったので、各艦は回避運動に入った[167]。伊19の魚雷は、駆逐艦マスティン (USS Mustin,DD-413) とデイル (USS Dale, DD-353) の艦底を通過したりかすめたりして、ノースカロライナに向かった[168][28]。ノースカロライナは18ノットで航行中であったが、1番主砲塔真横の左舷に衝撃を受ける。魚雷はノースカロライナの装甲が無い吃水の深い部分(水線下20フィート)に命中し、舷側を破ってから炸裂した。火災は発生しなかったが、舷側の4層の防水区画は破壊され、衝撃で鋲が飛ぶなどして隔壁が変形し1番主砲塔基部の配電盤室や火薬庫にも浸水を来した。第2デッキや第3デッキの乗員区画も吹き上がった衝撃波で破壊された[169]。乗員5名が死亡し23人が負傷したものの[170]、巧みなダメージコントロールと堅牢な構造により、最大5.6度となったノースカロライナの傾斜は、およそ6分で復元された。機関には問題なく24ノットの速力発揮が可能であったが浸水を拡大させないために速度を制限して航行した。ノースカロライナは艦隊を離れて修理を行うように命令され、めくれ上がった外板を切り取ったり補強材を入れたりする応急処置を実施したのちに真珠湾に向かった。魚雷による破孔は32x18フィートの大きさであった[170](幅10m、高さ5m)[171]。5人の死者はトンガタプ島の軍人墓地に埋葬された[170]。修理のため、本艦は11月まで活動できなかった[172]

この攻撃で、駆逐艦オブライエン (USS O'Brien, DD-415) にも伊19の魚雷が命中した[29]。魚雷1本を回避したが、2本目が右舷艦首に命中した[171]。オブライエンの艦首は10番フレームより前が大破したほか、爆発の衝撃で隔壁の破損や船体へのクラック発生、外板のリベット脱落などが生じた[173]。応急修理を受けてたのち、本格的な修理のため本国へ向かったが[174]、同年10月19日に船体が折れて沈没した[171]

なお日本側の二次資料(公刊戦史『戦史叢書』など)では、伊19は一度の攻撃で3隻(ワスプ、ノースカロライナ、オブライエン)に魚雷を命中させたとする[174][162]。魚雷6本を発射し、5本を命中させたことになる[175]。しかしサミュエル・モリソンなど海外の研究者や二次資料では[29]、伊19がワスプを撃沈し、空母ホーネットを狙った伊15がノースカロライナとオブライエンを撃破したとする見解もある[160][30]。モリソン博士は「東ソロモン群島沖海戦(第二次ソロモン海戦)のときには好機を逸したこれら二隻の日本潜水艦も、その日は大あたりジャックポットに当たった」と評している[176]。しかし伊15は魚雷発射を記録しておらず、3隻の戦果はいずれも伊19によるものだった[177]。ワスプの沈没とノースカロライナの戦線離脱により、太平洋戦線での可動空母は一時的に空母ホーネット[178][29]、新鋭戦艦はワシントン (USS Washington, BB-56) だけになった[24]

1942年11月16日、真珠湾海軍工廠で前方から見たノースカロライナ(BB-55)

終戦まで[編集]

真珠湾で修理を終えて1942年(昭和17年)11月末に復帰したノースカロライナは次の年までの間、ソロモン諸島で補給線を守る空母機動部隊(エンタープライズ、サラトガ)の前衛を務めた。1943年(昭和18年)2月初頭、レンネル島沖海戦ガダルカナル島撤収作戦ガ島攻防戦に結着がつく。3月から4月にかけて真珠湾で新型の射撃管制機器とレーダー装置を装備し、9月に再び真珠湾に戻ってギルバート諸島侵攻に備えた。その後、ギルバート・マーシャル諸島の戦いトラック島空襲マリアナ沖海戦ジャンボリー作戦などの作戦や海戦において、機動部隊の護衛艦艇として転戦した[32]レイテ沖海戦の時、本艦は修理中だった。

1945年(昭和20年)3月下旬以降の沖縄戦でも機動部隊の護衛をつとめた[33]。4月5日、神風特別攻撃隊との対空戦闘中に僚艦から誤射されて小破した。4月7日、戦艦大和第二艦隊旗艦)は空母機動部隊艦上機により撃沈される[179]坊ノ岬沖海戦[180]。ノースカロライナを含め、連合軍の戦艦が大和型戦艦と砲戦をおこなう機会はなかった。8月15日に戦争が終結すると、ノースカロライナは日本占領任務にあたる上陸部隊の輸送に従事した。その後は東京湾に9月5日に錨を降ろすまで日本沿岸のパトロールを行った。その後沖縄で帰還兵を乗艦させると、本国への帰途についた(マジックカーペット作戦)。10月8日にパナマ運河を通過し、10月17日にボストンに到着、ニューヨークでオーバーホールを受ける。オーバーホールの完了後は主に練習艦としての任務に就き、ニューイングランド水域で訓練を行い、1946年夏には海軍兵学校の士官候補生を乗艦させカリブ海で訓練巡航を行った。

ノースカロライナは第二次世界大戦の戦功により15個の従軍星章を受章した。

退役とその後[編集]

USS ノースカロライナ (戦艦)
U.S.S. North Carolina.jpg
戦艦ノースカロライナ記念館
所在地 ノースカロライナ州ウィルミントン
座標 北緯34度14分11秒 西経77度57分15秒 / 北緯34.2364度 西経77.9542度 / 34.2364; -77.9542
建設 1941年
建築家 ニューヨーク海軍工廠
NRHP登録番号 82004893
指定・解除日
NRHP指定日 1986年1月14日[181]
NHL指定日 1982年11月10日[182]

ノースカロライナは1947年(昭和22年)6月27日に退役し、不活性化の後、予備艦艇として係留保管された。1960年(昭和35年)6月1日には予備艦艇としても退役し、同日付で海軍籍から除籍された。1961年(昭和36年)9月6日にノースカロライナ市民の下に管理を移され、1962年(昭和37年)4月29日、ノースカロライナ州ウィルミントンで、全ての第二次世界大戦における死者のメモリアルとして一般に公開された。本艦の木材の一部は、原子力潜水艦ノースカロライナに使用された。博物館になった先代のノースカロライナ(本艦)は、その後1986年(昭和61年)にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。

「戦艦ノースカロライナ号博物館」への訪問客は、艦の主甲板、多くの内部の部屋やいくつかの砲塔を見学することができる。博物館ではさまざまなイベントが開催され、いくつかのスペースは催し物のために貸し出されることもある。士官室には第二次世界大戦で戦死したノースカロライナ州民の氏名がリストされている。博物館にはこのほか売店、ビジターセンター、ピクニック・エリアが存在する。

博物館は1960年にノースカロライナ州の制定法によって設立された、戦艦ノースカロライナ委員会によって運営される。博物館は寄付金及び自らの収入で運営され、税金は投入されない。

博物館の改修案はいくつか計画されている。次の主な改修計画は船体の修理である。これは最も近いバージニア州ノーフォーク乾ドックに入り、ウィルミントンから数ヶ月間離れることになるかもしれないものである。

登場作品[編集]

漫画・文芸・小説[編集]

かわぐちかいじ作『ジパング
第9巻、アッツ島攻略作戦トーマス・C・キンケイド提督の旗艦として登場、重巡サンフランシスコや軽巡アトランタを率いていた。日本軍撤退作戦を支援していたイージス艦「みらい」とキスカ島沖合で交戦し、ハープーンミサイルが命中して大破する。

出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 九、現代の新主力艦(1)主力艦建造競爭の再燃[3](中略)ワシントン條約の成立によつて、勞せずして世界第一級海軍國たるの權利を獲得した米國は、爾来孜々として補助艦艇の整備擴充を行ひ、實質的第一位海軍の建設に邁進しつゝあつたのであるが、英國海軍の巨艦建造開始と共に、これに對抗するの必要上、直ちに起つて所謂新ヴィンソン案による新鋭主力艦の大建造計畫を發表した。同計畫による新主力艦はノースカロライナワシントンアラバママサチユーセツツインデアナサウスダコタの六隻で、大體次の如き性能のものであるといふ。(第十五圖)排水量三五,〇〇〇噸 主砲 十六吋砲九門(三聯装三砲塔) 速力 二七浬(二八浬ともいふ) 此等米國の新戰艦が歐洲諸國の新戰艦と異る點は先づ主砲に現在に於ける最大の巨砲十六吋を装備する他に、その速力が比較的低速にあることであるが、これは寧ろ米國主力艦の傳統であつて、勿論その戰略の特殊性に基くものである。(以下略)
  2. ^ 初代は戦列艦のノースカロライナ、2代目はテネシー級装甲巡洋艦ノースカロライナ (USS North Carolina, ACR-12) 、3代目が本艦。
  3. ^ 直近ではダニエルズ・プランで建造予定だったサウスダコタ級戦艦の4番艦がノースカロライナ (USS North Carolina, BB-52)であった[4]
  4. ^ (中略)以上に略述した所によつて、現在世界に於ける主力艦建艦競爭の立役者の全貌は大體華やかな時代の脚光を浴びて檜舞臺に出揃つたことになるが、最後に只独り、依然黒幕の蔭に隠れて、未だその計畫の全貌は愚か片鱗をさへ示さない者は獨り我日本海軍である。尤もジエーン海軍年鑑一九三七年版所載によると、「日本は現在三五,〇〇〇噸主力艦四隻の建造を計畫中であり、何れも十六吋砲装備のものであるが、一九三七年十一月末までには一隻も起工せりとの報に接せず」とあり、また未入手の一九三八年版には「主力艦四隻の中二隻起工、排水量四〇,〇〇〇噸、十六吋砲八-九門装備」と記載されてゐるさうであるが、新艦の性能を鳴物入りで囃し立てる國々の計劃は大體の見當もつき、對策も練られる故、左程不測の脅威を感じないものであるが、無双の實力を持つ世界の雄國が既に滿を持して未だ放たず、而も林の如くに靜まり返つてゐられては、假想敵國たる者薄氣味の惡さに晏如たり得ないのは當然であらう。
    果然英米佛の三國は我國が四,五〇〇〇噸級大主力艦を建造中であるといふ巷説に名を籍り、新ロンドン條約の所謂エスカレーター條項(他國が上れば、之れにつれて自分も上るの意)を發動して、英米兩國は将来の主力艦の最大排水量を四五,〇〇〇噸に、主砲口徑を十六吋に改訂することゝなつたのは、正に「一犬虚に吠へて萬犬實を傅ふ」の諺の實例とも見られ、見様によつては「薄の穂に怯ゆる落武者」の謗りをも免れないであらう[3]
  5. ^ ノースカロライナと同時期に建造された戦艦大和が装備していたのは、18インチ砲であった[15]。ただし大和の公表値はノースカロライナと大差なく[16]、主砲も16インチ砲と記載されていた[17]
  6. ^ ノース・カロライナ級[19](たゞ舊式戰艦群最大の弱點は、航續力、装甲、搭載砲に不均衡な比重を置いゐる結果、何れも速力が遅いことである。殊に飛行機が決定的要素となってゐる現在、速力の小さい主力艦を旗艦とする艦隊の行動は、殆ど何等の効果をも擧げ得ないものと見るべきだ。)以上の缺陥に鑑み、米海軍當局がイギリスのキング・ジョージ五世級を凌駕する世界の最新鋭艦として一九三七年から三九年にかけて起工したのが次のノース・カロライナ級六隻であった。(中略)ノース・カロライナ級の性能については、ニューヨーク・タイムス紙の軍事記者として有名なハンソン・ボールドウィン氏がその著書「アメリカ市民は米海軍に關し何を知ってゐるべきか?」("What the Citizen should know About the Naby"1941,New York)の中で述べてゐる部分を次に引用しよう。
    「ノース・カロライナの排水量は通常の標準積載量を含めて三萬五千トン、燃料、弾薬等を滿載すれば三萬八千トン乃至それ以上とならう。艦幅は百八パナマ運河の閘門通過の際は兩側になほ一呎宛の餘裕を殘すわけである。吃水は卅呎以上である。/主砲は四〇糎四十五口徑砲九門である("口徑"は艦砲に用ひられる場合には、砲の直徑で表した砲身の長さである、即ち、この場合は砲身の長さは四十糎の四十五倍即ち十八米である)。この九門の砲は前部二基、後部に一基の三聯装砲塔におさめられてゐる。各砲の重さは百廿五トン、各砲塔のそれは砲重を含めて六百五十トンである。/副砲は一二.七糎砲廿門、二聯装砲塔十基におさめられ、對空火器にも兼用される。/同艦は數個の装甲デッキを有し、舷側の装甲は最重要部分において少くとも十六の厚さとなってゐる。また吃水線下には三重の防壁を有してゐる。/主砲の彈着距離十五乃至十八哩、一分間に各砲とも二發宛を發射し得る。/ノース・カロライナ級の最も優秀な點は速力である。即ち米戰艦群の速力が何れも廿二ノット以下であるのに對し、同艦は廿七ノットであって、實際は新型高壓汽罐の装置により卅ノットに達してゐるものと思はれる。/建造費はメリーランド級の二千七百萬ドルに對し六千五百萬ドルを要してゐる。」
  7. ^ (前略)米國の新主力艦 スワンソン長官の説明に依れば、「吾人は巡洋艦を造つてゐるのではない、戰艦を建造してゐるのである」と云ひ、英佛等の主力艦の速力が三〇節であるのに對して二六-七節とするらしく、速力を犠牲としても、防禦力を増し、装甲を厚くして空襲に備へる方針であると明言してゐる。/佛國の新主力艦「ダンケルク」(以下略)[20]
  8. ^ サミュエル・モリソン博士の著作など[29]、伊19がワスプを撃沈、伊号第十五潜水艦がノースカロライナとオブライエンを撃破したとする二次資料がある[30][31]
  9. ^ ノースカロライナの進水は大和より早かったものの、本級の姉妹艦ワシントンには遅れをとった[35]
  10. ^ 大和は開戦直後の12月16日に竣工していた[17]
  11. ^ 1942年(昭和17年)6月末時点で太平洋戦線で行動可能なアメリカ軍主力空母は、レキシントン級航空母艦サラトガ (USS Saratoga, CV-3) 、ヨークタウン級航空母艦エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) とホーネット (USS Hornet, CV-8) であった[37]
  12. ^ 山本長官直率の主隊は、戦艦「大和」、軽空母春日丸(大鷹)[69]、第7駆逐隊([70]。南雲機動部隊は8月16日に、主隊は17日に、それぞれ内海西部を出撃した[71]。第二次ソロモン海戦後の8月28日[72]、大和はトラック泊地に帰投した[73]
  13. ^ 一航戦第一次攻撃隊37機の内訳:翔鶴隊(艦爆18、零戦4)、瑞鶴(艦爆9、零戦6)[88]
  14. ^ F4Fは空戦で艦爆6機を撃墜したという[95]
  15. ^ なお戦史研究家木俣滋郎は『日本空母戦史』335ページで「瑞鶴隊の艦爆9機が攻撃したのはサラトガではなく、エンタープライズとノースカロライナだった。瑞鶴隊はノースカロライナやアトランタの対空砲火に脅威を感じ、高度4500mで水平爆撃をおこなった。」と記述している[99]
  16. ^ 『戦史叢書49巻』569ページでは「なお、瑞鶴隊のサラトガ攻撃については記録がなく、命中弾も与えていない。」と記述する[93]源田実(当時、瑞鶴飛行長)は[100]、第二次ソロモン海戦前後の瑞鶴について詳しく記述していない[101]。瑞鶴艦爆隊(大塚礼次郎大尉)は8機が撃墜され、1機が不時着した[102]。操縦員大川豊信 一飛曹と偵察員の前野広 二飛曹のうち前野は南太平洋海戦で戦死した[102]。第二次ソロモン海戦における瑞鶴艦爆隊の戦闘経過は、よくわからない[103]
  17. ^ このあと、エンタープライズは本格的修理のため真珠湾にひきあげた[118]
  18. ^ サラトガは修理を余儀なくされ[135]、戦線に復帰したのは約3ヶ月後だった[136]
  19. ^ 伊11はエンタープライズ型空母に魚雷2本命中と報告した[131]。昭和17年9月7日項より[139]〔 ○第三潜水戦隊(六-一八三〇)伊十一潜、六日〇九一〇敵空母(エンタープライズ類似)一隻、重巡二隻、駆逐艦数隻発見、地点ケラル48、Co.230°。〇九四九空母雷撃、命中二本、命中三分後大爆発音ヲキク。一一一一敵空母襲撃後二時間後ヨリ爆雷攻撃(至近五、遠二〇)ヲ一四三〇迠受ク。主蓄電池両群共大部破損、七日〇二〇〇地点「ケルモ」ヨリCo.0°Sp.18k、潜航不能、トラックニ向フ。〕
  20. ^ 昭和17年9月16日記事[159] ○第二潜水隊(一五-一六三〇)伊十九 一〇五〇敵空母一(飛行甲板長ク煙突低小)、大型巡洋艦一、駆逐艦数隻ヲ発見、「ケワヨ」48、敵Co.330°Sp.(空白)。一一二〇敵反転。一一四五「ケワラ25」ニテ敵空母ニ肉迫雷撃、魚雷命中音四発ヲ聴取、爾後駆逐艦ノ制圧ヲ受ク(爆雷八〇、至近弾0)、襲撃時ノ敵Co.170°Sp.12k。
  21. ^ 伊19は制圧攻撃を受けて潜水を続け、ワスプの沈没を目撃できなかった[161]。日本時間午後6時、伊15は漂流中の空母が南緯12度25分 東経163度45分 / 南緯12.417度 東経163.750度 / -12.417; 163.750地点で沈没するのを認めた[162]。〔 ○伊一五潜(一五-一八一五)[159] 一、味方航空部隊攻撃ニ依リ、地点「ケロラ」28ニ漂流、大型ノ敵空母(エンタープライズ型)一隻ハ左ニ大傾斜後沈没セリ。/二、一五三五敵巡洋艦二、駆逐艦数隻。一七四六敵駆逐艦一隻ハ空母ヲ見捨、南方ニ避退セリ。〕[163]
  22. ^ ワスプは放棄されたあと随伴駆逐艦ランズダウン英語版によって処分された[164]
  23. ^ 日本側は1942年(昭和17年)10月27日のアメリカ側放送で「ワスプ」の沈没を知った[165]

脚注[編集]

  1. ^ 福井、世界戦艦物語 1993, pp. 90-91第二次大戦の戦艦
  2. ^ a b #米国(昭和15年10月) p.7〔 ○米國海軍建艦状況一覽表 其ノ1(軍艦、潜水艦 特務艦艇ノ部)1940-10-1調 〕〔 戰艦|North Carolina(BB55)|35,000|28~30(kt)|(略)|紐育海軍工廠|一九三七年度(二隻)|1937-10-27(起工 契約又ハ建造下令 年月日)|1940-6-13(進水年月日)|1941-10-15(豫定完成年月日)|49(建造月數)|1941-春就役 1941年末迄ニ艦隊編入ノ報アリ 〕
  3. ^ a b c 主力艦の展望 1939, pp. 32-33(原本48-50頁)
  4. ^ 福井、日本戦艦物語(I) 1992, pp. 284-285第18表 日米主力艦にみる主砲の移り変わり
  5. ^ a b 福井、日本戦艦物語(II) 1992, p. 288.
  6. ^ 福井、日本戦艦物語(II) 1992, pp. 194-195無条約時代突入の前夜
  7. ^ 福井、世界戦艦物語 1993, pp. 101-104第二次大戦の列強戦艦の特長
  8. ^ 主力艦の展望 1939, pp. 29-30(原本43-44頁)
  9. ^ 福井、世界戦艦物語 1993, pp. 67-69史上最大の戦艦建造ブーム
  10. ^ 福井、日本戦艦物語(II) 1992, pp. 283a-285大和の情報収集に失敗した米海軍
  11. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 98a-103戦艦ノースカロライナ級/海軍休日明けに建造された新鋭戦艦
  12. ^ 福井、日本戦艦物語(II) 1992, p. 283b.
  13. ^ 福井、世界戦艦物語 1993, pp. 243-245まさに大和に生きうつし
  14. ^ 福井、日本戦艦物語(II) 1992, p. 284.
  15. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 54-59戦艦大和/儚く散った世界最大最強の超戦艦
  16. ^ 福井、日本戦艦物語(II) 1992, pp. 273-276"三万五〇〇〇トン"の正体
  17. ^ a b c d #S17.12.31艦船要目公表範囲 p.2〔 大和|戰艦|長(米)235.00|幅(米)31.50|喫水(米)9.15|排水量(基準)(噸)42.000|速力(節)25.0|(短艇數)14||呉工廠|昭和12-11-4|昭和15-8-8|昭和16-12-16|主要兵装/大砲40cm…9、15.5cm…12、12.7cm高角…12(略)|馬力 90,000 〕
  18. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 99.
  19. ^ 細川、米海軍 1944, pp. 49-50(原本76-78頁)ノース・カロライナ級
  20. ^ 海軍読本.第20号 1939, p. 54原本93頁
  21. ^ サボ島沖海戦 1988, p. 307付録(II)サボ島沖海戦におけるフレッチャー機動部隊の勢力1
  22. ^ a b c ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 100.
  23. ^ a b ソロモン海戦(歴群05) 1994, p. 84b第1次攻撃隊合戦図1 翔鶴隊のエンタープライズ攻撃状況
  24. ^ a b ニミッツ 1962, p. 125.
  25. ^ a b 戦史叢書98 1979, pp. 191-192ワスプの撃沈
  26. ^ ソロモン海戦(歴群05) 1994, pp. 176-177上原光晴:人物抄伝 太平洋の群像51 木梨鷹一 伊号第十九潜水艦長
  27. ^ a b 潜水艦百物語 2018, pp. 149-151太平洋戦争篇/30 米空母「ワスプ」撃沈
  28. ^ a b 連合軍艦艇撃沈す 2013, pp. 36-38外れた魚雷の行方
  29. ^ a b c d e 戦史叢書83 1975, p. 126.
  30. ^ a b 潜水艦戦争 1973, pp. 375a-376ワスプの損失(1942年9月15日)
  31. ^ a b 日米死闘の島 1972, pp. 102-105サンタクルーズ島で米艦隊を痛打
  32. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 101.
  33. ^ a b c ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 102.
  34. ^ 福井、世界戦艦物語 1993, pp. 240-241◇ノース・カロライナ型(二隻)(一九三七年度計画)
  35. ^ #米国(昭和15年10月) p.7〔 ○米國海軍建艦状況一覽表 其ノ1(軍艦、潜水艦 特務艦艇ノ部)1940-10-1調 〕〔 戰艦|Washington(BB56)|35,000|28~30(kt)|(略)|費府海軍工廠|一九三七年度(二隻)|1938-6-14(起工 契約又ハ建造下令 年月日)|1940-6-1(進水年月日)|1942-1-15(豫定完成年月日)|52(建造月數)|1941-春就役 1941年末迄ニ艦隊編入ノ報アリ 〕
  36. ^ Ship Nicknames”. www.zuzuray.com. 2020年5月30日閲覧。
  37. ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, pp. 29-30太平洋へ
  38. ^ ソロモン海戦(歴群05) 1994, p. 65海兵一個師団、ガ島に上陸
  39. ^ ソロモン海戦(歴群05) 1994, pp. 74-75熊谷直:ウォッチタワー作戦
  40. ^ 戦史叢書98 1979, pp. 177-178連合軍のガ島来攻
  41. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 438-439ガダルカナル島及びツラギ上陸
  42. ^ 日米死闘の島 1972, p. 25.
  43. ^ ニミッツ 1962, p. 110.
  44. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, pp. 70-75.
  45. ^ 潜水艦戦争 1973, p. 374ガダルカナル(1942年8月~1943年2月)
  46. ^ サボ島沖海戦 1988, pp. 89-91.
  47. ^ ニミッツ 1962, pp. 118-119小休止
  48. ^ 戦史叢書49 1971, p. 437.
  49. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, pp. 160-165木俣滋郎:ガ島方面に対する基地航空隊の作戦
  50. ^ 日米死闘の島 1972, p. 43.
  51. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 451-455四 第一次ソロモン海戦 ― 基地航空部隊の作戦/八月七日の作戦
  52. ^ 日米死闘の島 1972, pp. 44-46日本機の攻撃で第61機動部隊撤退
  53. ^ ソロモン海戦(歴群05) 1994, pp. 180-181碇義朗:人物抄伝 太平洋の群像53 フランク・J・フレッチャー 第17任務部隊司令官
  54. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, pp. 99-100.
  55. ^ 日米死闘の島 1972, p. 53.
  56. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 474-476ガダルカナル泊地における連合軍の配備
  57. ^ 日米死闘の島 1972, pp. 58-59.
  58. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 547-548連合軍の作戦
  59. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, pp. 123-124.
  60. ^ ニミッツ 1962, pp. 120a-122八月の攻撃
  61. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 518-519一木支隊の輸送計画
  62. ^ 戦史叢書83 1975, pp. 5-6船団によるガ島輸送の挫折
  63. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, p. 196.
  64. ^ 愛宕奮戦記 2008, pp. 123-124.
  65. ^ 草鹿 1979, pp. 159-161長期攻防戦の幕あがる
  66. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 540-545聯合艦隊主力の南下
  67. ^ 日米死闘の島 1972, p. 77日米の大艦隊が勢ぞろい
  68. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, pp. 206-211瀬名蕘彦:東部ソロモン海戦(米側呼称)
  69. ^ 日本空母戦史 1977, p. 340.
  70. ^ 戦史叢書83 1975, p. 6聯合艦隊主隊
  71. ^ #S1708(下)経過概要 p.2(昭和17年8月16日、17日項)
  72. ^ #S1708(下)経過概要 p.39(昭和17年8月)〔 28| |午後大和ハ「トラック」入港前敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|南洋|三本発射ヲ受ケシモ命中セズ 〕
  73. ^ 戦史叢書83 1975, p. 15.
  74. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, pp. 200-205原勝洋:解読されていなかった暗号システム
  75. ^ 日本空母戦史 1977, p. 318.
  76. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, pp. 131-132第二次ソロモン海戦
  77. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, p. 175第二次ソロモン海戦各隊行動図
  78. ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 31.
  79. ^ 草鹿 1979, pp. 162-163優秀装備の前に一木支隊壊滅
  80. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 562-563連合軍の作戦
  81. ^ 淵田、奥宮 1992, p. 48第二次ソロモン海戦概況図(昭和17/8/24)
  82. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, p. 137東ソロモン海戦(日本側呼称、第2次ソロモン海戦)1942年8月24日
  83. ^ ニミッツ 1962, p. 121.
  84. ^ 日本空母戦史 1977, p. 327.
  85. ^ 日米死闘の島 1972, p. 79a第二次ソロモン海戦
  86. ^ ソロモン海戦(歴群05) 1994, pp. 82-89甲斐克彦:第二次ソロモン海戦
  87. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, p. 176.
  88. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 567a-569機動部隊本隊の作戦/第一次攻撃
  89. ^ 戦史叢書49 1971, p. 567b.
  90. ^ a b c d #S1708(下)経過概要 p.22(昭和17年8月)〔 24|1300頃|敵fb×2我KdB主隊ニ来襲|南東|被害ナシ 〕〔 24|1430|「スチュアート」島SW海面ニ敵新型A×1 「カリフォルニヤ」型B×1 C.d.数隻ヨリ成ル一群トA×1 C×数隻ヨリナル一群トニ対シKdBノf隊ハ第一次攻撃ヲ加フ|〃|翔鶴ノfb隊ハ新型Aニ対シ250kg爆彈12以上命中 〕〔 24|1300|龍驤「ガダルカナル」ノ敵空襲|〃|龍驤沈没乗員大部救助セラル 〕〔 24|1600頃|千歳空襲ヲ受ク|〃|至近彈2ニ依リ左舷機等浸水d×1ヲ附シ「トラック」ニ回航ヲ命ズ 〕
  91. ^ a b c #S1708(下)経過概要 p.29(昭和17年8月)〔 24|1440|第一次攻撃隊ハ二群ニ分レタル敵艦隊ヲ発見/翔鶴fb×18ハ北方ノA×1(上空ニ多数ノfcアリ)爆撃|南東|6発以上命中大火災 〕〔 |瑞鶴fb×9ハ南方ノA×1 B×1ヲ爆撃|〃|各命中彈アリ火災 〕〔 |第二次攻撃隊ハ一四〇〇頃発進セルモ遂ニ敵ヲ発見セズ両攻撃隊ハ一七〇〇(日没後約一時間)乃至二一〇〇ノ間ニ相当ノ困難ヲ冒シテ収容|〃|攻撃隊ノ認メタル敵兵力 北方部隊B×1(「ペンシルバニヤ型」)A×1(「エセックス」型ノ疑アリ)C×1 d×7/南方部隊 A×1 B×1 C d×約10 〕
  92. ^ ソロモン海戦(歴群05) 1994, p. 85第1次攻撃隊合戦図2 瑞鶴隊のサラトガ攻撃状況
  93. ^ a b c 戦史叢書49 1971, p. 569.
  94. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, p. 204.
  95. ^ 日本空母戦史 1977, p. 332.
  96. ^ 日本空母戦史 1977, p. 334.
  97. ^ 日本空母戦史 1977, p. 335a.
  98. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, p. 140.
  99. ^ 日本空母戦史 1977, p. 335b第2次ソロモン海戦における米戦艦攻撃図.昭和17年8月24日(瑞鶴隊)
  100. ^ 海軍航空隊始末記 1996, p. 233.
  101. ^ 海軍航空隊始末記 1996, pp. 225-226.
  102. ^ a b 空母瑞鶴の生涯 1985, p. 191.
  103. ^ #増援部隊戦闘詳報(4) pp.8-9〔 機動部隊指揮官|二十五日〇〇四〇(宛略)|戰斗速報第四 一.第一次瑞鶴艦爆隊ハ南方輪形陣ノ空母戰艦一ヲ攻撃何レモ火災ヲ生ゼシメタルモ搭乗員未皈還ノ爲詳細不明/二.速報第三中戰艦 ニ訂正 又第空母ハ艦型不詳ナルモ大型艦橋ヲ有ス/三.未皈還中 艦戰三(四) 艦爆一三(一一)括弧内ハ瑞鶴 計戰斗機七 艦爆二四 着信者 總長|無電 〕
  104. ^ 日米死闘の島 1972, p. 78第二次ソロモン海戦、日米艦隊航跡図
  105. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 580-582米機動部隊の作戦
  106. ^ 日本空母戦史 1977, p. 336.
  107. ^ #増援部隊戦闘詳報(4) p.4(機動部隊指揮官、24日1912電、速報第一)
  108. ^ #増援部隊戦闘詳報(4) p.6〔 機動部隊指揮官|二十四日二一〇八(宛略)|第一次攻撃隊成果 敵空母二中「エセックス」型ラシキモノ一隻ニ二十五番三發以上命中 其ノ他後 通報軍令部總長|無電 〕
  109. ^ 高松宮日記4巻 1996, p. 448.
  110. ^ 日米死闘の島 1972, p. 79b.
  111. ^ 草鹿 1979, pp. 163-164敵機動部隊発見に勇躍
  112. ^ a b 戦史叢書49 1971, p. 581.
  113. ^ 日本空母戦史 1977, p. 330.
  114. ^ 翔鶴海戦記 1962, p. 108.
  115. ^ 高松宮日記4巻 1996, p. 447.
  116. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 575-577前進部隊の作戦
  117. ^ #S1707十一戦隊日誌(2) p.53〔 八月二十五日〇九一三 伊十五艦長(宛略)敵兵力戰艦一隻(ノースカロライナ型)空母一隻(エンタプライズ型)C×2 d×15 輸送船二隻 二五日〇七三〇|無電 〕
  118. ^ a b c 日本空母戦史 1977, p. 338.
  119. ^ ニミッツ 1962, p. 122.
  120. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 589-591輸送方式の転換
  121. ^ 日米死闘の島 1972, pp. 89-90「東京急行便」で夜間輸送
  122. ^ ソロモン海戦(歴群05) 1994, pp. 98-99谷光太郎:Facts File3 カクタス空軍
  123. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, p. 143.
  124. ^ 戦史叢書83 1975, pp. 11-12連合軍の状況
  125. ^ #S1708(下)経過概要 p.42(昭和17年8月)〔 29|1220|敵TBハKdBノ強力ナル支援ノ下ニ「ガダルカナル」「ツラギ」方面ニ補給ヲ強行シT×2 C2×1ラシキモノd×2「ルンガ」岬入泊|南東|  〕
  126. ^ 草鹿 1979, pp. 166-167地理的不利をかこつ
  127. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, p. 183.
  128. ^ ソロモン海戦(歴群05) 1994, p. 148.
  129. ^ #S1708(下)経過概要 p.32(昭和17年8月)〔 26|1400|イ19(2Sg)ハ11°20S 164E附近ニテA×1 B×1 C×数隻 d×多数ヲ伴フ部隊北上中ヲ発見一五〇〇反転SEニ向フヲ認メ触接ニ努ム/索敵機ガ発見セル敵損傷A(C×2 d×6ヲ伴フ、二十五日ニ発見セルモノ)ニ対シテハイ121(6F附)ヲ以テ追撃 2Ss(イ19 イ26)ニテ追蹤捕捉ニ努メツツアリ|南東|dニ制圧セラレ敵ヲ見失フ/尓跡敵状ヲ得ズ 〕
  130. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, p. 178.
  131. ^ a b 戦史叢書98 1979, p. 186.
  132. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, pp. 226-231伊達久:ワスプ撃沈、伊19潜の魚雷命中
  133. ^ #S1708(下)経過概要 p.48(昭和17年8月)〔 31|0040|イ26(2Sg/1Ss)「ツラギ」ノ65°140′ニA×1 B×1 C d数隻ヲ発見dノ制圧ヲ受ク〇二〇〇見失フ|南東|「ガダルカナル」部隊ノ掩護fノ増強等ノ如シ 〕、同経過概要 p.49(昭和17年8月)〔 31|0446|イ26(2Sg/1Ss)10°25S・164°15Eニテ「サラトガ」型Aヲ襲撃 尓後四時間dノ執拗ナル攻撃ヲ受ク 尚引続fdニ制圧セラレ日没後ニ至リ漸ク浮上シ南方40′迠追跡捜索スルモ敵状ヲ得ズ|南東|魚雷6本発射一本命中音ヲ聴キタルモ効果確認セス至近彈七発アリシモ大ナル被害ナシ/散開線ニ復皈 〕
  134. ^ 潜水艦戦争 1973, p. 375bサラトガへの魚雷攻撃(1942年8月31日)
  135. ^ a b ニミッツ 1962, p. 124.
  136. ^ 戦史叢書83 1975, pp. 69-70ガ島海域の状況
  137. ^ #S1709(上)経過概要 p.17(昭和17年9月)〔 6|0910|イ11(旗艦/3Ss)「ツラギ」ノSSE300′ニテ「ヱンタープライズ」型A×1 C×2 d×数隻ヲ発見約40分後襲撃ニ成功 敵ヨリ離脱シテ「トラック」ニ向ケ西航中更ニfd×2ニ発見セラレ交戰|南東|魚雷2本命中 命中後三分ニテ別ノ爆発音ヲ聴取少ナク共大破セシメタルモノト認ム 二時間後ヨリ約三時間半敵ノ爆雷攻撃ニテ至近彈五発アリ主蓄電池大部破損 被害ナシ 〕
  138. ^ a b トール(上)ガ島からサイパン 2016, p. 179.
  139. ^ 高松宮日記4巻 1996, p. 534.
  140. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, pp. 174-177.
  141. ^ 日米死闘の島 1972, pp. 96-97(昭和17年)9月12~14日「血染めの丘」の戦闘
  142. ^ 愛宕奮戦記 2008, pp. 156-157.
  143. ^ 草鹿 1979, pp. 167-168地上部隊、再び潰ゆ
  144. ^ 淵田、奥宮 1992, p. 55.
  145. ^ 聯合艦隊作戦室 2008, pp. 106-108総攻撃失敗
  146. ^ 戦史叢書83 1975, pp. 116-120前進部隊及び機動部隊
  147. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, pp. 194-195.
  148. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 57.
  149. ^ 戦史叢書98 1979, p. 189.
  150. ^ 戦史叢書83 1975, pp. 122-125先遣部隊の作戦(ワスプ撃沈)
  151. ^ 戦史叢書98 1979, p. 190.
  152. ^ 戦史叢書98 1979, pp. 202-203潜水艦作戦指導について
  153. ^ 戦史叢書83 1975, pp. 125a-127八 米海上部隊の作戦
  154. ^ #S1709(上)経過概要 p.38(昭和17年9月)〔 14| |午前AdBハ敵fdニ發見觸接セラレ一三四五ヨリ約一時間ニ亘リ敵B-17×10ノ爆撃ヲ受ク|南東|妙高彈片ニ依リ死傷者数名及機銃一門破損セル外被害ナシ 〕
  155. ^ 戦史叢書83 1975, p. 125b.
  156. ^ 淵田、奥宮 1992, p. 57(炎上するワスプ写真、木梨少佐写真)
  157. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, p. 228.
  158. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, p. 180.
  159. ^ a b 高松宮日記4巻 1996, p. 614.
  160. ^ a b 日米死闘の島 1972, p. 105.
  161. ^ ソロモン海戦(歴群05) 1994, p. 149.
  162. ^ a b 戦史叢書98 1979, p. 192.
  163. ^ 愛宕奮戦記 2008, pp. 173-174(昭和17年9月16日項)エンタープライズ型空母撃沈
  164. ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 35.
  165. ^ #S1709(上)経過概要 p.40(昭和17年9月)〔 15|1050/1145|イ19敵A×1 C×1 d×数隻ヲ發見敵ガ反転南下ノ際「ガダルカナル」島東端ノ128°260′附近ニテ敵Aニ肉迫襲撃魚雷4ヲ命中セシム(1Ss/6F 2Sg)|南東|イ19ハ敵Aハ飛行甲板長ク艦橋煙突低所ナル故、大型特設空母ト推定 〕〔 15|1800|イ15ハ右Aガ左ニ大傾斜沈没セルヲ確認報告(1Ss/6F 2Sg)|南東|イ15 沈没セルA×1ハ「エンタープライズ」型ト報ズ 十月二十七日朝ノ桑港放送ニテ「ワスプ」ナルコト判明ス 〕
  166. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, p. 230.
  167. ^ 潜水艦百物語 2018, p. 150.
  168. ^ トール(上)ガ島からサイパン 2016, p. 181.
  169. ^ http://www.history.navy.mil/content/dam/nhhc/research/library/online-reading-room/ships/wardamagereportno61/wdrbb55-60a.jpg
  170. ^ a b c TORPEDO STRIKES NORTH CAROLINA NORTH CAROLINA博物館公式サイト 2016年1月27日閲覧
  171. ^ a b c 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 37.
  172. ^ The Two Thousand Yard Stare: Tom Lea's World War II p.66 "O’Brien, making her crippled way back toward the West Coast, foundered off Samoa on October 19;North Carolina went into Pearl Harbor for repairs and was out of action until November."
  173. ^ 岡田, 282ページ
  174. ^ a b 潜水艦百物語 2018, p. 151.
  175. ^ ソロモン海戦(歴群05) 1994, pp. 150-151六本発射、五本命中の快挙
  176. ^ 潜水艦戦争 1973, p. 376.
  177. ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 38.
  178. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, p. 177.
  179. ^ ニミッツ 1962, pp. 440-441.
  180. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 58.
  181. ^ USS North Carolina (Battleship)”. National Historic Landmark summary listing. National Park Service. 2007年10月3日閲覧。
  182. ^ National Park Service (23 January 2007). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. 2020年10月12日閲覧

参考文献[編集]

  • 岡田幸和『世界の艦船別冊 艦艇工学入門 -理論と実際-』海人社、1997年、ISBN 4-905551-62-5
  • 勝目純也『日本海軍潜水艦百物語 ホランド型から潜高小型まで水中兵器アンソロジー』潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2018年12月。ISBN 978-4-7698-3097-9。
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。
  • 木俣滋郎「第2節 アメリカ空母「ワスプ」」『連合軍艦艇撃沈す 日本海軍が沈めた艦船21隻の航跡』潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2013年8月。ISBN 978-4-7698-2794-8。
  • 草鹿龍之介『連合艦隊参謀長の回想』光和堂、1979年1月。ISBN 4-87538-039-9。
  • 源田實「南太平洋海戦と頽勢の建直し」『海軍航空隊始末記』文藝春秋〈文春文庫〉、1996年12月(原著1962年)。ISBN 4-16-731003-1。
  • ブレイム・ケント 著、柳沢健 翻訳/中野五郎 日本語版監修『Guadalcanal ガダルカナル 日米“死闘の島”』株式会社サンケイ出版〈第二世界大戦ブックス 28〉、1972年3月。
  • 小板橋孝策『「愛宕」奮戦記 旗艦乗組員の見たソロモン海戦』光人社〈光人社NF文庫〉、2008年2月。ISBN 978-4-7698-2560-9。
  • 高橋定ほか『母艦航空隊 体験で綴る空母機動部隊の一挙一動と海空戦の真相!』潮書房光人社、2013年1月。ISBN 978-4-7698-1538-9。
  • (7-17頁)元「瑞鶴」艦爆隊長・海軍少佐高橋定『母艦飛行隊長が告白する名空母の証明 勇名をはせた艦爆隊長が証言する翔鶴型空母の強味と弱味
  • (198-218頁)元「翔鶴」艦爆隊偵察員・海軍少佐有馬敬一『空母「翔鶴」艦爆分隊長ソロモンの死闘 敵空母損傷と引きかえに多大な犠牲を出した第二次ソロモン海戦記
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第四巻 昭和十七年一月一日〜昭和十七年九月三十日』中央公論社、1996年7月。ISBN 4-12-403394-X。
  • イアン・トール著、村上和久訳『太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 〈上〉』株式会社文藝春秋、2016年3月。ISBN 978-4-16-390423-8。
  • 豊田穣「第九章 ソロモンの死闘」『空母瑞鶴の生涯』集英社〈集英社文庫〉、1985年7月(原著1982年)。ISBN 4-08-749009-2。
  • 中島親孝「第三章 敗北の構図〈第三艦隊参謀時代(一)〉、第四章 南溟の砲声〈第三艦隊参謀時代(二)〉」『聯合艦隊作戦室から見た太平洋戦争 参謀が描く聯合艦隊興亡記』光人社〈光人社NF文庫〉。ISBN 4-7698-2175-1。
  • チェスター・ニミッツ、E・B・ポッター『ニミッツの太平洋海戦史』実松譲、富永謙吾(共訳)、恒文社、1962年12月。
  • R・F・ニューカム著、田中至訳『サボ島沖海戦 米軍史上最大の敗北』光人社〈光人社NF文庫〉、1998年4月(原著1963年)。ISBN 4-7698-2192-1。
  • 福井静夫福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第一巻 日本戦艦物語〔Ⅰ〕』阿部安雄、戸高一成編、光人社、1992年5月。ISBN 4-7698-0607-8。
  • 福井静夫福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第二巻 日本戦艦物語〔Ⅱ〕』阿部安雄、戸高一成編、光人社、1992年8月。ISBN 4-7698-0608-6。
  • 福井静夫『新装版 福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第六巻 世界戦艦物語』阿部安雄、戸高一成編、光人社、2009年3月。ISBN 978-4-7698-1426-9。
  • 福地周夫『空母翔鶴海戦記』出版共同社、1962年6月。
  • 淵田美津雄奥宮正武「第3章 南太平洋上の決戦」『機動部隊』朝日ソノラマ〈文庫版新戦史シリーズ〉、1992年12月。ISBN 4-257-17269-X。
  • レオンス・ペイヤール著、長塚隆二訳「太平洋戦争 ― 日本の憩潮 一九四二年三月~一九四三年六月」『潜水艦戦争 1939-1945』早川書房、1973年12月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<1> ガ島奪還作戦開始まで』第49巻、朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<2> ガ島撤収まで』第83巻、朝雲新聞社、1975年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 潜水艦史』第98巻、朝雲新聞社、1979年6月。
  • 雑誌「丸」編集部編『写真 太平洋戦争<第四巻> 北方作戦 第1次 第2次 ソロモン海戦/サボ島沖海戦』光人社〈光人社NF文庫〉、1995年3月。ISBN 4-7698-2076-3。
  • ミリタリー・クラシックス編集部、執筆(松代守弘、瀬戸利春、福田誠、伊藤龍太郎)、図面作成(田村紀雄、こがしゅうと、多田圭一)「第二章 アメリカの戦艦」『第二次大戦 世界の戦艦』イカロス出版〈ミリタリー選書6〉、2005年9月。ISBN 4-87149-719-4。
  • 歴史群像編集部編『ソロモン海戦 米軍ガダルカナル島上陸により惹起されたソロモンの制海権争奪の前半戦を徹底解析』第5巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1994年11月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030044000。
    • 『昭17年7月14日~昭和17年11月30日 第11戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030051400。
    • 『昭17年7月14日~昭和17年11月30日 第11戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030051500。
    • 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(3)』。Ref.C08030096600。
    • 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(4)』。Ref.C08030096700。
    • 『昭16年12月~昭和18年11月 翔鶴飛行機隊戦闘行動調書(2)』。Ref.C08051577200。
    • 『昭16年12月~昭和18年4月 瑞鶴飛行機隊戦闘行動調書(2)』。Ref.C08051577700。
    • 『昭和17年12月31日現在10版内令提要追録第12号原稿・巻1/第6類機密保護』。Ref.C13072012500。
    • 『軍令部秘報 昭和15.10.15/I米国』。Ref.C14121189800。
    • 『昭和17.7.1~昭和17.9.28 太平洋戦争経過概要その3(防衛省防衛研究所)17年8月15日~17年8月31日』。Ref.C16120633400。
    • 『昭和17.7.1~昭和17.9.28 太平洋戦争経過概要その3(防衛省防衛研究所)17年9月1日~17年9月16日』。Ref.C16120633500。
    • 『昭和16.12~18.12 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1(防衛省防衛研究所)昭和17年8月』。Ref.C16120657200。
    • 『昭和16.12~18.12 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1(防衛省防衛研究所)昭和17年9月』。Ref.C16120657300。
    • 『昭16~17 軍艦熊野 接授電報 其の3軍令部秘報(防衛省防衛研究所)機動部隊 昭和17年8月25日~昭和17年8月27日』。Ref.C19010070800。

関連項目[編集]