ハンク・バウアー

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ハンク・バウアー
Hank Bauer
Hank Bauer 1953.jpg
ヤンキースでの現役時代(1953年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州セントクレア郡イーストセントルイス
生年月日 (1922-07-31) 1922年7月31日
没年月日 (2007-02-09) 2007年2月9日(84歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
192 lb =約87.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1941年
初出場 1947年9月6日
最終出場 1961年7月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

ヘンリー・アルバート・バウアーHenry Albert Bauer, 1922年7月31日 - 2007年2月9日)は、アメリカ合衆国イリノイ州セントクレア郡イーストセントルイス出身の元プロ野球選手外野手)、プロ野球監督。右投右打。

経歴[編集]

1941年シカゴ・ホワイトソックスと契約してプロ入りするが、ほどなくしてアメリカ海兵隊に入隊した。

第二次世界大戦後の1946年にはニューヨーク・ヤンキース入りし、1948年にメジャーデビュー。ヤンキース第三次黄金時代のリードオフマンとしてハッスルプレーを売りとしながら活躍した。盗塁はほとんどしなかったが長打力があり、1949年から10年連続二桁本塁打、18本の先頭打者本塁打を放った。1956年には自己最多の26本塁打、84打点を記録した。

ワールドシリーズでも1951年には第6戦で優勝を決定付ける3点三塁打、1956年の第1戦から1958年の第3戦にかけては17試合連続安打のシリーズ記録を樹立している。また、1958年のシリーズでは4本塁打を放っている。

その後、カンザスシティ・アスレチックスの選手・監督を経て1964年ボルチモア・オリオールズの監督に就任した。1966年ワールドシリーズではロサンゼルス・ドジャースを相手に4連勝してシリーズ優勝を果たした[1]

オリオールズの監督退任後は再びアスレチックスの監督、ニューヨーク・メッツ傘下のAAA級タイドウォーター・タイズの監督、ヤンキースのスカウト、カンザスシティ・ロイヤルズのスカウトとして活動した。

詳細情報[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 25(1948年 - 1951)
  • 9(1952年 - 1962年)
  • 42(1964年 - 1969年)

脚注[編集]

  1. ^ 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視舎、2013年、380頁。ISBN 978-4-905369-67-7。

関連項目[編集]