バスケットボールフィリピン代表
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国または地域 |
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協会 | SBP | ||
ヘッドコーチ |
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FIBAランキング | 27位(2016年8月21日付) | ||
オリンピック | |||
出場回数 | 7回 | ||
初出場 | 1936 ベルリン | ||
最高成績 | 5位(1936) | ||
ワールドカップ (男子) / (女子) | |||
出場回数 | 4回 | ||
初出場 | 1954 世界選手権 | ||
最高成績 |
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アジア選手権 | |||
最高成績 | 優勝 | ||
ユニフォーム | |||
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バスケットボールフィリピン代表は、フィリピンにおけるバスケットボールのナショナルチームである。愛称はギラス・フィリピナス(Gilas Pilipinas)[1]。現在はSBPによって組織されている。
歴史[編集]
アジアではいち早くプロリーグを立ち上げたこともあってか、アジア選手権では、第1回を始め通算5回(中国に次いで2位)の優勝を誇る。また、1954年世界選手権でアジア歴代最高位となる3位に輝く。アジア選手権最後の優勝は1985年で、翌年の世界選手権予選も兼ねた大会であったが、エドゥサ革命のため世界選手権は辞退した。
1990年のアジア大会ではフィリピンプロバスケットボールリーグ(PBA)の選手による「フィリピン・ドリームチーム」を結成したが、決勝で中国に敗れている。
しかし近年はアジアにおける競争が激化し、加えて国際大会から締め出しを受け成績も伸び悩んでいる。
なお、現在アジア大会に参加するチームはPBAの選手によって構成され、アジア選手権はリーガ・フィリピナス(LP)の選手が中心となっている。
国際舞台からの締め出しと新組織[編集]
フィリピンの国内バスケはこれまでフィリピンバスケット協会(BAP)が統括していた。
2005年にナショナルチームの招集を巡り、PBAを始めとする各連盟間の対立が激しくなった。そのためフィリピンオリンピック委員会(POC)から資格停止を受けた。
その後新団体としてフィリピンバスケットボール連盟(SBP)を発足しFIBA加盟へ動いたが認められず。7月よりFIBAから資格停止となった。
その間、自国開催の東南アジア競技大会が行われていたが、バスケットボール競技は開催されず。
2007年、BAPとPBが統合。新団体SBPが誕生し、国際舞台に復帰。アジア選手権では主力不在の中国に勝利し9位で終えた。
2013年、自国開催のアジア選手権で準優勝を決め、1978年以来36年ぶりのワールドカップ(旧世界選手権)出場を果たした。
主な成績[編集]
夏季オリンピック[編集]
ワールドカップ(旧世界選手権)[編集]
アジア選手権[編集]
極東選手権[編集]
- 1913年 -
優勝
- 1915年 -
優勝
- 1917年 -
優勝
- 1919年 -
優勝
- 1921年 -
準優勝
- 1923年 -
優勝
- 1925年 -
優勝
- 1927年 -
優勝
- 1930年 -
優勝
- 1934年 -
優勝
アジア大会[編集]
主な歴代選手[編集]
脚注[編集]
- ^ “【W杯予選直前情報】バスケットボールを国技とする強敵フィリピンをホーム東京で迎え撃つ!”. バスケットボールキング. (2017年11月22日) 2020年1月25日閲覧。
関連項目[編集]
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